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NOVELS書き下ろし小説
- 魔法科高校の劣等生司波達也暗殺計画
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【6】反省会
背神兵の襲撃を受けた当日の富士アカデミーでは新入生だけでなく他の候補生についても、亜空間を使った演習は中止された。しかし翌日には何事もなかったように、亜空間での演習が再開されていた。
神暦十七年九月十六日。この日は土曜日だが、アカデミーの教練に土日は関係ない。昨日の遅れを取り戻すように新入生・第五位階「白」の少女たちは、朝から戦闘ロボット相手の模擬戦闘を繰り返していた。ただし昨日の襲撃に直接曝された三チームについては、本日の演習は中止となった。
だからといって教練が休みになったのではない。彼女たちは演習を免除された代わりに、現時点における自分のチームのウィークポイントを洗い出して報告するよう白百合に命じられていた。背神兵の直接のターゲットだった荒士が属するチームも、当然その中に含まれていた。「私たちのウィークポイントはやはり、遠距離攻撃力の不足だと思う」
イーダの目は、正面に座る荒士に向けられている。
「私もそう思う。荒士の意見も理解できるけど、飛行能力よりも火力の充実が先だと思うわ」
左隣に座るミラが、やはり荒士の顔を見ながらイーダの意見を支持した。
「私も、その、そう思います……」
荒士の右隣に座る幸織は、目を泳がせながらイーダとミラに同調した。
彼らは寮の談話室で円卓を囲んで白百合に出された課題を議論しているところだ。他にも二チームが同じ課題を与えられているが、彼女たちはそれぞれ別の談話室を使っている。――ちなみに寮の談話室は小さな部屋が全部で十二室ある。
何故教室やゼミ室を使わないのかといえば、アカデミーにはそれらが存在しないからだ。座学はバーチャル空間で行われる(残念ながら全感覚VR ではなく視覚と聴覚のみの限定的VR空間だ)。作戦の説明に使われるブリーフィングルームは存在するが、これは候補生が出動する昨日のような例外的事態にしか使用されない。
火力の不足を主張したのはイーダで、荒士は飛べないことを補強すべき問題点に挙げた。この違いは昨日の経験を反映している。
イーダの意識には、「自分の攻撃が通用しない」どころか攻撃の機会すら得られなかった背神兵相手に陽湖の弓矢が曲がりなりにもダメージらしきものを与えたシーンが、強く焼き付いていた。彼女が遠隔攻撃能力の欠如を指摘したのはその為だ。
一方で荒士は、空中に舞い上がった背神兵――グリュプスを名乗る鷲丞に自分の攻撃が届かなかったことに、強い敗北感を覚えていた。自分も飛べなければ同じ土俵で戦えないというのが荒士の実感だった。
ミラと幸織は昨日の戦いに参加していない。鷲丞の初撃で半失神・戦闘不能の状態だった。
戦闘に参加していない二人の為、および自分たちの立ち回りを客観的に振り返る為に、議論に先立ち四人は昨日の戦闘映像を視聴した。これはあの場にいた候補生の神鎧を通じて記録されていた情報を再構成したもので、撮影した録画ではないが再現度は実写映像に劣らない。
その映像を見てミラが最初に口にしたのは、防御力不足だった。直接斬り付けられたのでもない、単なる剣一振りの波動で戦闘から脱落してしまったことを情けなく感じたのだ。
だがイーダの意見を聞いて考えを変えた。防御力不足はチームの問題点ではない。イーダと荒士はあの波動に耐えたし、他の二チームで耐えていたのは一人だけだ。教官に求められているのは「チームの弱点を報告」だから、自分の回答では不適当だとミラは考え直したのだった。
幸織は逆に火力不足というイーダの考えを聞いて、自分の不甲斐無さを痛感した。チームで飛び道具を選んだのは自分だけだから、遠距離攻撃力不足という指摘を自分が責められていると誤解した。イーダは慌てて「そうではない」と弁解し表面的には幸織もそれを受け容れたが、心の片隅で誤解は自責に姿を変えて居座っていた。
幸織がイーダを支持したのは、この自責の念によるものだった。
「分かった。俺もその結論で構わない」
そして荒士はイーダの視線から目を逸らさずに、自説を引っ込めた。◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
アカデミーの外観は外の一般社会、旧暦(西暦)で言う二十一世紀の現代社会の風景と大きく異なるものではなかった。内部に使われている技術は一般社会を大きく超えるものだが、単に暮らしていくだけなら外の社会との違いを意識する機会は少ない。仕事や任務以外で圧倒的な技術差を意識するのは、アカデミーに出入りする為に転送システムを使用する時くらいだろうか。今、荒士とイーダが歩いている職員棟へと続く道はレンガで舗装された小径だ。これも
外 で使われているレンガ舗道と、見た目は何も違わない。
荒士とイーダが肩を並べて歩いているのは議論の結果を教官に報告する為だ。ゾロゾロと四人全員で報告に行くのもメリハリが無いのではと懸念する意見が出されて、まず議論を纏めたイーダが報告役に選ばれた。そしてイーダは、自分一人では客観性が担保できないかもしれないという理由で対立意見の論者だった荒士に同行を求めたのだった。
「……荒士、本心では納得していないのだろう?」
しかしイーダの本当の狙いは、荒士の真意を問い質すことにあった。
「いや、報告内容はあれで良い。遠距離の火力もあった方が良いのは確かだ」
イーダの疑念を、荒士はあっさりと否定する。
余りにもあっさりとしすぎていて、イーダは面食らった様子だった。
「……私も空戦能力はあった方が良いと思うぞ」
「つまり俺たちの間で相違があるのは優先順位だけということだ。だったら、多数決で良い」
「荒士。お前は、その、何と言うか……大人びているな」
荒士が歩調を緩めてイーダをまじまじと見詰めた。
「いきなり何だ?」
「いや……私たちくらいの年頃の男子は、もっと自己主張が強いと思っていたんだが」
イーダの声には戸惑いと意外感が込められていた。
「日本人ははっきりものを言わない、と思われているんじゃなかったのか?」
それに応える荒士の口調は、からかい混じりのものだった。
「そういう噂も耳にしたけど、言っていたのは主に年配の方々だった。同級生の口からはほとんど聞いたことが無いよ」
「それでも、そういうイメージのヤツもいたんだな」
「それは仕方が無い。じゃあ荒士は私の国にどういう印象を持っているんだ?」
イーダに切り返されて、荒士は両手を挙げた。
「降参。実は良く知らないんだ」
「フフッ。知ったかぶりをされるよりはっきり言ってくれた方がポイントは高いぞ」
今度はイーダが、からかうような ではなくからかう口調で、笑みを浮かべながらそう言った。◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
荒士とイーダは講堂の隣にある職員棟の一階、第二指導室で白百合の向かい側に並んで座っていた。二人と白百合の間には簡素なテーブルがあり、入学式の日のように荒士が目のやり場に困ることはなかった。
「――サイコキネシスという概念を知っていますか?」
教官の白百合にチームのウィークポイントに付いての結論を報告し、その流れで遠距離攻撃手段の修得方法について訊ねたところ、返ってきたのはこの反問だった。
「はい、一応は……。思念が物理的な力に変換される現象のことですよね? 主に物体を動かす能力として表現される……」
その質問に荒士が、少し自信無さそうな歯切れが悪い口調で答える。
「そうですね。もう少しアカデミー流に表現すると、思念エネルギーを物体に作用する力に変換する技術のことです」
技術なのか、と荒士は思った。だが考えてみれば神鎧も物質化したエネルギーを思念でコントロールする技術の産物だ。PK が技術として実装されていても不思議ではない。
荒士だけでなくイーダも、今の説明を一応は理解できているようだった。それを見て、白百合が本題に移る。
「エネリアルアームにはPK を光速のビームとして撃ち出す機能があります」
「質問をよろしいでしょうか」
「新島候補生、許可します」
「それは銃や弓矢のエネリアルアームから撃ち出される光弾とは異なるものなのですか?」
「別です。PKビームは、元々射出するものとして形成されている矢弾のように安定したものではありません。ただ神鎧にダメージを与えられるという点では、同じ効果を持っています」
つまり裏技的なものか、と荒士は理解した。安定していないということは、そう何発も撃てるものではないのだろう。だが神鎧にダメージを与えられるなら荒士としては文句は無かった。
「私からもよろしいでしょうか」
今度はイーダが発言の許可を求める。
白百合は「どうぞ」と言って質問を促した。
「昨日の背神兵が剣から飛ばした衝撃波や盾から放った光も、PKビームなのでしょうか?」
「私たちのものと同一ではありませんが、原理的には同じです」
神々の戦士と邪神群の戦士の武装には細かい違いがあるようだ、と荒士は思った。興味深いテーマだったが、今の自分が知ってもおそらく役に立たない。もっと力を付けてから改めて訊ねることにして、荒士はその疑問を忘れぬよう心に留めた。
「PKビームの教練は再来月を予定しています。ですが自主的に修得するのは構いません。具体的な修得手順はチューターを頼ると良いでしょう」
「何方にお願いしても良いんですか?」
「ええ。それも彼女たちに与えられた課題ですから」
荒士の質問に白百合は微笑みながら頷いた。◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その日の夜。寮の自室で
一般社会 のニュースをチェックしていた荒士の許に、インフォリストを使ったメールが届いた。
発信者名は「古都真鶴」。それが誰の名前なのか、荒士はすぐに思い出した。入学式で歓迎の辞を述べた主席候補生だ。昨日の救援部隊にも参加してくれていた。
メールの内容は、今日、白百合に相談した件だ。PKビームの技術を自主的に修得するならチューターを頼れと彼女は言っていた。投げっ放しにするのではなく、チューターの上級生に根回ししてくれたのだろう。
もしかしたらこの上級生は、唯一の男子である荒士の方からは声を掛けにくいのではないかと気を遣って、自分の方から連絡をくれたのかもしれない。
そんなことを考えながら荒士はメールの本文に目を通した。内容を要約すると「話したいことがあるから今から会えないか」。こんな時間から? と荒士は思ったが、彼の方に断る理由は無い。荒士はすぐに応諾の返事を送った。
返信があったのは五分ほど経ってからだった。内容は「自分の部屋に来てくれ」というもの。候補生の寮は三棟に分かれている。このメールによれば、真鶴の部屋は別棟の最上階だ。つまり彼女の誘いに乗るならば、夜遅く寮を出て別の寮を訪問し最上階まで共有スペースを通って行かなければならない。
荒士はアカデミー唯一の男子候補生。候補生の寮にいるのは女性ばかりで実質、女子寮だ。他の寮棟に荒士が立ち入ることを禁止する規則は無い。ただこんな時間に独りで女子寮 に足を踏み入れることには、心理的な抵抗があった。しかも訪問先は、年上とはいえそんなに年齢も変わらない女子の個室だ。荒士は遠慮を通り越して尻込みを覚えた。
応えが返ってくるまでに五分も掛かったということは、先方にも躊躇があるのだろう。しかしこれは、遊びの誘いではない。最上位階の候補生として指導に時間を割いてくれるという申し出だ。しかもいったんは誘いに応じる返事をしている。今更「断る」という選択肢は無かった。
荒士は「すぐにお邪魔させてもらいます」旨の返事を送った。
そして彼は精一杯身嗜みを整えて部屋を出た。本音を言えばシャワーを浴びて汗と汚れを落としたかったが、相手を待たせるのは気が引けた。真鶴の部屋の前に立った荒士は、不意に白百合の言葉を思い出した。入学式直後に指導室で言われたことだ。
――候補生相手のセックスはなるべく 控えて欲しい。
インターホンのボタンを押す手が、途中で止まる。手だけでなく全身が硬直した。
意識しすぎだとは分かっている。そもそも白百合の指導 には「恋人ができても」という前提条件が付いていた。言うまでもなく、古都真鶴は彼の恋人ではない。
滑稽な独り相撲だ、と自分が可笑しくなった。自嘲の念が湧き上がる。しかし一度懐いた性的妄想は、簡単には消えてくれなかった。彼はまだ十六歳。性欲を思いどおりにコントロールできる年齢ではなかった。
それでも意識の半分が自分を客観視したことで、硬直状態から辛うじて脱出する。彼は途中で止まっていた手を動かして、インターホンのボタンを押した。
インターホンでの応答は無く、すぐにドアが開いた。
「入ってください」
真鶴は荒士の名前を事前に確認することもなく、彼を部屋の中に招き入れた。間取りが自分の部屋と全く同じだったことに、荒士は軽い意外感を覚えた。
寮の個室は「ウナギの寝床」と言うほど狭くはないが、ワンルームマンション並みと言えるほど広くもない。机、椅子、ベッド、クローゼット以外には折り畳みの小さなテーブルと椅子を置ける程度だ。なお机は壁面収納になっていて、それとは別に、やはり壁面収納のテーブルと椅子が備わっている。
今は机が引っ込められ、テーブルが出されている。そのテーブルの上にはポットが一つと、カップが二脚。荒士が使っているような金属のマグカップではなく磁器のティーカップだ。その違いに荒士は異性を感じて密かにドキッとした。
「どうぞ、掛けてください」
真鶴は入り口から見たテーブルの奥に座って、荒士にも向かい側の椅子を勧めた。
「失礼します」と言いながら荒士が腰を下ろす。
真鶴はポットを手に取りカップにお茶を注いだ。予想に反して、紅茶ではなく緑茶だった。湯呑みではなくティーカップを使っているのが何となく同年代の女子っぽく感じられて、口元が緩みそうになる。――御陰で少し、緊張が解れた。
「どうぞ」
「いただきます」
お茶を一口飲んで、さらに緊張が抜ける。彼の中にようやく、目の前の少女を直視する余裕が生まれた。
入学式で遠目に見た印象に違わず、美しい少女だった。自分とそんなに年は変わらないはずだが――アカデミーの仕組み上、最大でも四歳差――、可愛いと言うより綺麗な女性だ。
ただその美貌には今、憂いが宿っているように見えた。
「白百合教官からうかがいましたが、PKビームをカリキュラムに先んじて修得したいそうですね?」
そんな余計なことを考えているところにいきなり本題を切り出されて、荒士は焦りを覚えた。「はい」
その所為で、最低限の答えを返すだけで精一杯だった。自分では狼狽を隠せたつもりだが、上手くできたという確信は持てなかった。
「エネリアルアームは安定して出せるのですか?」
「……すみません。エネリアルアームは神々の技術で物質化しているものではないんですか?」
質問の意味が分からなかった荒士は一瞬だけ躊躇った末に、無知を正直に告白した。
「エネリアルアームは戦闘に使用すると摩耗します。制御能力が不足していると、短時間で消えてしまうのです」
それを聞いて荒士は背筋に冷たいものを覚えた。昨日の戦闘で、打ち合っている最中に武器が消えるなどという事態に見舞われたら、ここにこうしていられなかった。自分で思っていた以上に昨日は綱渡りだったのかもしれない……。
「しかしそういう疑問を覚えるのならば、エネリアルアームの制御は十分にできているようですね」
「……そうなんですか?」
「ええ。エネリアルアームの安定性に不安が無いということですから」
慰められているのかもしれないが、これを聞いて荒士は少し安心できる気がした。
「実戦でエネリアルアームを安定的に使えるのであれば、PKビームの修得に進んでも問題無いと思います。夕食後で構わないなら、明日からでも始められますが」
「夕食後? 俺は構いませんが、良いんですか? 古都さんもお忙しいのでは?」
夕食後と聞いて目を丸くする荒士。
彼の反問を聞いて真鶴は大人っぽい、落ち着きが感じられる笑みを浮かべた。
「私の教練を気にしているのなら大丈夫ですよ。『白』の指導も『紫』の課題ですから」
「……ありがとうございます。チームメイトの都合を確認して俺の方からご連絡します」
荒士が応えを返すまでに少し間が空いたのは、真鶴の笑顔に見とれていたからだった。
彼は年上が好きとか綺麗系が好きとか、そういうステレオタイプな女性の好みは持っていない。故郷では、真面目な交際経験こそ無いもののそれなりにモテていた 彼は「好きになった相手が今の 自分の好み」というタイプだ。陽湖には「童貞君」とからかわれたが、実は反論しなかっただけで既にセックスも経験している。ちなみに相手は恋人ではない 年上の女性だ。
年頃の男子らしく、誘惑されればそちらに目と心を奪われる。異性に対する欲は人並みで、決して枯れてはいない。だが笑顔一つで心を奪われるほど単純かつ純情ではない、と自分では思っていた。
真鶴に惹かれている自分を荒士は自覚した。だが同時に陽湖の顔を――ではなく、入学式の後に釘を刺してきた白百合の言葉を思い出した。女性との交際というプライベートにまで口出しされることに対する反発を覚える一方で、深入りする前にブレーキを掛けられて良かったという思いもあった。
何故なら目の前のこの女性、古都真鶴は、おそらくあの男 の――。
「ええ、そうしてください。……少し、個人的なお話をさせてもらっても良いですか?」
自分の心の声でフラグが立ったような予感に見舞われて、荒士の背筋に悪寒が走った。
「ええと、はい、どうぞ」
「個人的なお話」の内容は何となく、分かるような気がした。だが話を聞く前に「嫌だ」と言える場面ではなかった。こんなシチュエーションでなければ拒絶できた、というものでもなかったが。
「ありがとう。早速ですけど……昨日の背神兵について、何か知っていることはありませんか?」
来たか、と荒士は思った。
「あの後、教官に教えていただきました。新島君、貴男は入学式の直前にも背神兵に襲われているそうですね。もしかして、同じ相手だったのではありませんか」
質問の形を取っているが、真鶴の目は確信の光を宿している。彼女は教官から――その「教官」が白を担当する白百合なのか紫を担当する菖蒲なのか荒士には分からない――襲撃者の背神兵について、自分が話さなくても詳しい情報を得ているのではないかと荒士は感じた。
「はい。同じ背神兵でした」
だから荒士はあの背神兵について自分が知っている情報を、隠す必要性を覚えなかった。
「あの背神兵は自分のことをグリュプスと名乗っていました」
「グリュプス……コードネームですね?」
自明とも思われる真鶴の問い掛けに「そうです」と頷いて、
「そして名月さん……入学前に襲われた際、俺を助けてくれた従神戦士の平野名月さんは、あいつのことを『こみやしゅうすけ』と呼んでいました」
荒士は彼女が本当に知りたかったであろう事実に言及した。
「やっぱり……」
荒士は真鶴がもっと驚くと思っていたが、彼女は目を見開くとか口に手を当てるとか、その類のリアクションは見せず、淡々と呟いただけだった。余りショックを受けているようにも見えないのが、荒士には意外だった。
「……新島君は名月さんとお知り合いなのですね」
「祖父君と御縁がありまして。古都さんこそ、名月さんとは親しくされているのですか」
「背神兵グリュプス……古都鷲丞は私の兄です」
荒士の脳裏に浮かんだ言葉は「やはり」だった。
「兄は姿を消す直前まで、名月さんとお付き合いしていました」
「――っ!」
しかしこの事実には、驚愕の余り声が出なかった。
強張った顔で真鶴を凝視する荒士。
そんな彼に真鶴は、どんな顔をすれば良いのか困っているような笑みを返した。
「そのご縁で、名月さんとは親しくさせていただきました。今は時々お目に掛かるだけですけど、その度に気を遣わせてしまっています」
「そうだったんですか……」
何の意味も無い応え。しかし荒士の中からは、他のセリフが出てこなかった。
「兄はマウナ・ケアアカデミーに所属していて、一昨年の『黒』の採用試験中に事故で行方不明になったんです」
つまりあの背神兵――真鶴の兄は神々の戦士となるまであと一歩の実力者だったということだ。道理で、正規の従神戦士となった名月と互角に渡り合えるはずだ。
真鶴の今にも泣き出しそうな声を聞きながら、荒士はそう思った。彼の意識は目の前の女性の悲しみよりも、敵の強さに向いていた。
「兄のことは諦めていたんです。でも、まさか背神兵に……」
遂に顔を両手で覆って真鶴は俯いた。手の下から嗚咽が漏れてくる。
「…………」
それを荒士は黙って見ていた。
何も感じていなかったわけではない。むしろ激しく動揺していた。
だがこのシチュエーションで泣いている女性に声を掛けるには、荒士は経験値が圧倒的に不足していたのだ。
荒士は途方に暮れた。およそ、五分後。
「ご、ごめんなさい。泣いたりして……」
泣き腫らした真鶴が、恥ずかしそうに謝罪する。
肩を窄めて上目遣いにこちらを窺う真鶴は、荒士に幼気な印象を与えた。先程までの大人びた美女のイメージとは対照的だ。庇護欲をそそる可愛らしさで、自分より年下にすら見える。
「い、いえ……」
そんな真鶴に荒士は動揺し、混乱していた。強く惹かれているのは否めない。だが、恋愛的な意味で魅了されていると認めることには抵抗があった。
真鶴は確かに美少女で、今まで彼の周りにはいなかったタイプだ。年上の美女というなら名月もそうだが、彼女と真鶴では印象が違う。名月のイメージは「明るく頼り甲斐がある姉」だ。
それに対して真鶴は、何処か危うかった。単に陰があるというだけではない。病んでいるという感じでもない。深く関われば巻き込まれ、呑み込まれてしまう……。彼女は、そんな漠然とした危機感を懐かせる少女だった。凜としていた彼女には、そんな危機感は懐かなかった。だが幼気な側面を見せた途端、荒士の意識の片隅で警鐘が鳴り始めたのだった。
「……俺は気にしていません。先輩も余り気にしない方が良いと思いますよ。ご家族であっても、あの男と先輩は別の人間なんですから」
ぶっきらぼうな言い方になってしまったのは、惹かれる気持ちと遠ざける危機感、相反する心理が荒士の中でぶつかり合って纏まりが付かなくなっているからだ。
「……そうですね。どんな理由があったとしても、邪神の僕になった兄と神々に仕える私は最早敵同士。そう割り切るしかないのでしょう……」
真鶴が荒士の言葉に頷き、自分に言い聞かせるような口調で「割り切るしかない」と呟く。
明らかに強がりだった。だが強がって自分を納得させなければ、現実を受け容れられないのだろう。
実の兄、鷲丞の裏切りは、神々に対するものばかりではない。家族、親族、友人、恩師など彼に関わってきた全ての人々に対する裏切りでもある。
アカデミーへの入学が決まった時、地元では町ぐるみで鷲丞を祝った。
鷲丞が背神兵になったと知れ渡れば、今度は街中の人々が掌を返して鷲丞の――真鶴の家族を責めるだろう。苦楽を共にした富士アカデミーの仲間は態度を変えたりしないだろうが、今後同僚となる従神戦士や代行局の職員は真鶴を「裏切り者の妹」という色眼鏡を掛けて見るに違いない。
いっそ鷲丞を憎めれば、真鶴は楽になれるはずだ。だが真鶴はまだ、兄のことを嫌いになれなかった。彼女にできるのは、「兄は兄、自分は自分」と自分に言い聞かせることだけだった。そうすることで真鶴の表情から寄る辺ない子供のような脆さが消え、元の凜然とした雰囲気が戻った。
「――それにしても、フフッ、『先輩』ですか。何だか新鮮ですね。男子からそう呼ばれるのは三年ぶり……いえ、四年ぶりでしょうか」
こちらに対する真鶴の親密度がいきなり増したのは、自分の錯覚だと荒士は思うことにした。◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――あっ、お邪魔してまーす」
「陽湖……何故お前がここにいる」
自分の部屋に戻ってきた(逃げ帰ってきた?)荒士を待っていたのは、彼のベッドの上に座るラフな服装の陽湖だった。
「えっ? 遊びに来たからだけど」
「……何当たり前のこと言ってんの? みたいな顔をしているけど、当たり前じゃないからな」
額に手を当てて荒士がため息を吐く。
「だって、鍵が掛かってなかったんだもの。これはもう、自由に入って良いと言われているとしか――」
「鍵は最初から付いてないだろ!」
陽湖のセリフを遮って荒士が喚く。彼が言うように、アカデミーの寮には鍵が付いていない。部屋の中の浴室とかトイレは内側から鍵が掛かるようになっているのだが、個室の扉には鍵が無かった。
一応ロッカーやクローゼットは鍵が掛かるようになっているが――これらの鍵は精神波 認証だ――、神々の施設で犯罪をやらかす度胸がある人間などいるはずもなく、面倒だからと鍵を掛けない候補生の方が多い。
ここは個室だが、寮なのだ。ワンルームマンションでもなければ学生向けアパートでもない。部屋の中といえど個人が占有する空間ではなく、管理権はあくまでもアカデミーにある。相部屋ではないだけで、基本的に各部屋の出入りは自由になっている。
ただ生活する上で、お互いがプライバシーを尊重し合うルールが成立している。そのほとんどが元はヨーロッパのマナーで、それがグローバルスタンダードと化したものだ。「部屋に入る時はノックをする」というのもその一つ。――もっとも各部屋にインターホンが備わっているので、実際にはノックではなくインターホンのボタンを押すという手順になっている。
そして「部屋の住人に無断で中に入らない」というのは、ノック以前の問題だ。このケースではどう見ても荒士に理があり陽湖に非がある。
「固いこと言わないの。男でしょ」
だが女性には許される決まり文句で陽湖は荒士の正論を封じた。昨今の社会は「女だから」には不寛容でも、「男だから」は非難しない。むしろ積極的に後押しする傾向がある。この場面でも荒士が折れた。
「……で、何をしに来たんだ」
「遊びに来たって言ったと思うけど」
「こんな時間からか?」
本当のことを言え、と荒士は目で圧を掛ける。
「話を聞きに来たの」
これ以上荒士の神経を逆撫でするのは得策ではないと陽湖も考えたようだ。肩を竦めるジェスチャーが似合いそうな口調で前言を翻した。
「荒士君が一号棟に入って行くのが見えたから。夜這い?」
候補生が暮らしている寮は三棟。その内一つは寮生全員が「白」。一つは「白」と「緑」。残る一つは「赤」以上の位階の候補生に割り当てられている。名称は順に三号棟、二号棟、一号棟だ。なお寮の建物は四棟あるが、四号棟は現在空き家になっている。
「夜這いなわけあるか! 大体この三号棟から一号棟の玄関は、間に二号棟が挟まっているから見えないだろ。鎌を掛けているつもりか?」
「あれっ、分かっちゃった? 荒士君の方にも、隠す気は無いみたいね」
陽湖は全く悪びれなかった。
「荒士君が一号棟の方に歩いて行くのが見えたのは本当だよ。で、何しに行ったの?」
何故そんなことが気になるんだ、とか、何故それを陽湖に話さなければならない、とか荒士は疑問を覚えたが、後ろめたいことは何も無い。隠す必要性を覚えなかった。
「チームのウィークポイントについて話し合った結果を報告に行ったら、教官からチューターの上級生に指導してもらうよう言われたんだ」
「今日の教練のテーマだね。それで?」
「教官から話を受けた上級生から部屋に来るよう指示された」
「……何かおかしくない? 何故こんな時間に呼び出すの?」
「それは……」
荒士の中で躊躇いが生まれる。背神兵グリュプスに襲われた二回とも陽湖は一緒だった。あの背神兵の本名が『こみやしゅうすけ』だということを陽湖も知っているし、真鶴と同じ苗字なのは偶然ではないと察してもいる。
ただそれでも、背神兵グリュプスが真鶴の実兄であるという事実は彼女のプライバシーだ。他人の口から広めて良い事柄ではない。
「俺も疑問を覚えないでもなかったが、指導してくれるというのをこちらから断るわけにも行かないだろう」
荒士は答えの中で、訪ねた相手を明かさなかった。
「怪しいなぁ……。指導に関するお話だけだったの? 本当に?」
客観的に見て、荒士は上手く誤魔化した。陽湖が疑いを覚えたのは、荒士との付き合いの長さによる嗅覚か。それとも最初から邪推 していたのか。
「何が怪しいんだよ」
「指導だけなら、こんな時間じゃなくても良くない?」
「他に何があるって言うんだ」
荒士の反問は反射的な物で、決して急所を突くような問い掛けではない。それは本人も自覚していた。
「それは、その……」
だからここで陽湖が口籠もるとは、荒士は予想していなかった。
「……陽湖。何か変なことを考えていないか?」
「変なことって何よ!?」
「訊いているのは俺だ」
向きになった陽湖に、荒士は冷たく言い返す。
「チューターの上級生は、夕食後で良ければ明日からでも実技指導をしてくれると言ってくれた。『紫』には『黒』になる為の試験が控えているんだ。日中は時間が取れないんだろう」
その上で、もっともらしい事実を切り取って突き付けた。
「それは、そうかもしれないけど……」
陽湖が目を泳がせる。
頃合いか、と思った荒士は話を変えようとした。
「――荒士君、教官に言われてるでしょ!」
しかし彼が新しい話題を切り出すよりも、陽湖の詰るような声の方が早かった。
「候補生相手にエッチなことをしちゃダメだって」
「はぁ?」
突拍子のないセリフ、ではない。真鶴を前にした荒士の脳裏にも過ったことだ。
しかしこのタイミングで出てくるとは思っていなかった荒士は、意表を突かれた。
「お前……そんなことを考えていたのか?」
ただ陽湖の方にも、荒士の動揺を見抜けるだけの余裕は無かった。
彼女の顔は、控えめに言っても赤かった。
「べ、別におかしくないでしょ! こんな時間に若い男女が同じ部屋でふ、二人きりなんて」
「……もしかして嫉妬か?」
「ち、違……心配しているの! 教官の命令を破ってるんじゃないかって!」
「寮の部屋には、鍵が掛からないんだぞ?」
「そ、そんなの、盛り上がっちゃったら関係無いわよ!」
「俺は嫌だけどなぁ……」
荒士は本気で顔を顰める。
「……第一、夜遅くに二人きりと言うなら今だってそうじゃないか」
そして、呟くようにそう言った。
その何気ないセリフに、陽湖は激しい動揺を見せる。
荒士のベッドに座ったまま、勢い良く後退る陽湖。壁に背中をぶつけた彼女は、両腕を交差させて自分の胸をかき抱いていた。
「ダ、ダメなんだからね!」
荒士がため息を吐く。彼は鈍感系主人公ではないので、陽湖が何を考えているのかすぐに理解した。
「言っただろ。俺は、鍵が掛からない所でそういうこと をするのは嫌だって」
陽湖は勢い良くベッドから飛び降り、部屋の扉を乱暴に開けて、身体を半分廊下に出したところで振り返った。
「荒士君のバカ! せっかく心配してあげたのに、もう知らない!」
そして涙目で叫ぶ。興奮していても汚い罵り文句が出てこない辺りが、彼女らしかった。
「陽湖、靴を忘れているぞ」
荒士は身を屈めてベッド横に揃えられている靴を手に持ち、陽湖に向けて差し出した。
「――っ!」
陽湖は真っ赤な顔で自分の靴を引ったくり、その場で履くのではなく手に持ったまま、荒士の部屋から走り去った。
彼女の背中を見送る荒士の口元は綻んでいた。愛しげな、ではなくほのぼのとした笑みだ。
陽湖が本気で勘違いしていたとは、荒士は考えていない。彼女は万が一にも自分が過ちを犯さないようにと、注意しに来てくれたのだ。荒士の方から手を出すケースばかりではなく、荒士が誘惑されるケースもあるのだと言いたかったに違いない。
陽湖は自分のことを過ちの対象になる女子だと、多分思っていない。荒士を男扱いしていないのと同時に、自分が女扱いされていないと思い込んでいるのではないだろうか。だから性的に襲われる可能性を匂わせただけで、あれほど動揺したのだと思われる。
――本当に、可愛い友人 だ。
微笑ましい気分に満たされた荒士の意識から、真鶴に対して懐いた気の迷い は消えていた。◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
荒士が真鶴の課外指導を受け始めてから一週間が経った。
「真鶴先輩、本日もよろしくお願いします!」
「ええ、頑張りましょう」
背筋をピンと伸ばし腰から上体を倒す荒士に、真鶴は柔らかい笑みを浮かべて頷く。
荒士が真鶴のことを名前で呼んでいるのは彼女のリクエストだった。苗字で呼ばれると背神兵に堕ちたの兄のことを思い出してしまうから、という理由で真鶴は名前呼びを荒士に求めたのだ。
「真鶴先輩、申し訳ございません。他の班員は、今夜はやはり、休ませて欲しいそうです」
指導が始まる前に、荒士が申し訳なさそうに真鶴に謝罪する。
荒士が「班員」と言っているのは言うまでも無く彼のチームメイトのことだ。アカデミーでは「班」という言い方はしないのだが、彼にとってはしっくりくるのか、教官のいない所では無意識に「班」「班員」という呼び方をすることが少なくなかった。
「あらかじめ連絡をもらっていましたし、白百合教官からも聞いていますから気にしなくても良いですよ。新島君は休まなくて良かったんですか?」
彼のチームメイトが今夜の自主訓練を休んでいるのは、日中の教練の疲労が無視できない水準で蓄積しているという理由で教官から完全休養を勧告されたからだ。
それを前以て知っていた真鶴は嫌そうな顔一つ見せず、それどころか気遣う口調で荒士の体調を訊ねた。
なお荒士は自分が名前呼びをしているという理由で、真鶴に同じことを求めはしなかった。
「俺は大丈夫です。先輩さえお差し支えなければ、ご指導をお願いします」
自分一人だけの為に真鶴に時間を使わせるのは申し訳ない、と荒士も思わないでもなかった。だが彼の中では、早く強くなりたいという思いが遠慮する気持ちに勝っていた。
「大丈夫そうですね。やはり男子の方が体力があるのでしょうか……。では、始めましょう」
真鶴の言葉に、荒士は「はい!」と勢い良く答えながら再度一礼した。亜空間で真鶴の指導を受ける荒士の訓練風景を、教官の白百合はカメラで観察していた。
(新島候補生のPKビームは実戦レベルに達していると判断します)
(まだ持続性に問題があると思われますが)
白百合の思念に応えて異議を唱えたのは、同じ白百合の思念だ。
教官・白百合は単一の個体ではない。同一データから作られ記憶と思考を共有する複数個体の白百合が第五位階「白」の教官を務めている。これは他の位階の教官も同様で、同じタイプのディバイノイドが複数人で教練に当たっている。
(継戦能力には確かに不安がありますね。しかし単発の威力は既に、「黒」に迫るものがあります)
(安定性に欠け出力に優れている。最初に計測した能力値のとおりですか。これは本当に、使いどころが難しい戦士になりそうです)
(しかし戦力になるのは、間違いありません)
(戦士になった彼をどう使うか。それは、神々が決めることです。私たちは自分の仕事をしましょう)
(第四位階への進級は現段階で既に条件を満たしていると判断します)
(賛成です)(同意します)(異議はありません)
(第三位階への進級を判断するのは若葉ですが、教練評定に意見を付けておきましょう)
若葉は第四位階「緑」の教練を担当するディバイノイドだ。第三位階「赤」への進級は「緑」の教官である若葉に決定権がある。
(現段階の実力がどうであれ彼も一年間は「白」のままです。結論を急ぐ必要は無いでしょう)
白百合の一人が「現段階の」と言ったのは、候補生の実力は後退するケースもあるからだ。いったん覚えた技術を失うことはないが、出力が落ちたり思いどおりに発揮させられなくなったりということは珍しくない。
特に新入生は能力が不安定だ。新入生は技術の習得状況に拘わらず一年間は進級しないというアカデミーの制度は、この点を踏まえていた。
(そうですね。教練が始まってまだ一ヶ月も経っていません。進級のことよりPKビームのレベルアップを考えるべきです)
(連射が不得手なのは通常のG型と同じですか。これは仕方がありません)
(それよりPKビーム使用直後に訪れる防御力低下について注意喚起すべきです)
(私から注意するより、指導を行っているチューターに言わせる方が良いでしょう)
(では私から菖蒲に依頼します)
カメラの映像を実際に 見ている白百合の個体が思念波による会話の場から退席して、代行官 を通じた思念回線で真鶴の教練を担当する菖蒲タイプのディバイノイドへコンタクトを求めた。