• NOVELS書き下ろし小説

  • 【5】演習と実戦

     背神兵により神々の統治用施設『祭壇オルター』の一つを破壊された。この事実は世界各国の代行局に大きな衝撃を与えていたが、従神戦士の訓練施設であるアカデミーの運営には、今のところ、、、、、影響は無かった。今はまだ、運営方針を変更するかどうか話し合っている段階だった。
     九月十五日。アカデミーの入学式から二週間。今日から新入生の教練は、初歩の初歩である神鎧装着から、武器を使った戦闘訓練に移行すると予告されていた。演習場に整列した新入生の顔は、荒士を含めて、隠し切れない緊張に強張っていた。
    「今日はまず従神戦士の武器、エネリアルアームの使い方を修得してもらいます」
     教官の白百合は集まった候補生を前にして、最初にこう告げた。
    「あなた方が使う武器は神鎧と同じくエネリアル製の物ですが、呼び出す方法が違います」
     これは事前学習では教えられなかった、初めて聞く内容だ。荒士も他の候補生同様、白百合の言葉に意識を集中した。
    「エネリアルアームには様々な形状の武器が存在しますが、どの武器も白兵戦・砲撃戦双方に対応できる性能を備えています。ですから従神戦士は基本的に自分に最も適した武器を選べば良いのですが、やはり武器によって適した用途がありますから、戦闘状況によっては武器を持ち替えながら戦うことが要求されます」
     教官の白百合がいったん言葉を切って、理解が追い付いているかどうか候補生の顔を見回す。少なくとも表面的には、要領を得ない顔をしている者はいなかった。
    「状況の変化に対応する為、エネリアルアームの招喚は音声コマンド方式になっています」
     荒士は小さくない意外感を覚えたが、すぐに「成程」と思い直した。武器を操って戦いながら他の動作はできない。銃を撃った経験は無いので、銃撃戦の中ならもしかしたら招喚用の装置を操作する余裕があるのかもしれないが、少なくとも剣や槍で打ち合っている最中にそんな余裕は無い。
     手が使えないなら、最も確実に意思を伝える方法は言葉を発声することだ。思考を直接伝えることも神々の技術には可能。現にインフォリストという思念操作の道具がある。だが生憎と人間は、思考だけで意思を伝達するのに慣れていない。戦いの中で咄嗟に武器を呼ぼうとしても、思念だとそこに迷いが混じって別の武器を呼び出してしまう可能性を否定できない。
     そんな風に教官の言葉を頭の中で噛み砕いて、荒士は続きに耳を傾けた。
    「音声コマンドは意味さえ同じならば、言語の種類は問いません。ただ各言語には一応、定型文句がありますからそれを覚えるようにしてください。その方が確実です」
     荒士の左手首でいきなり、インフォリストが振動する。
    「インフォリストに定型招喚文句を、皆さんの母国語で送りました。確認してください」
     白百合の指示に従い、荒士は思念でインフォリストを操作した。
     招喚用の定型文句は全部で九種類。どれも簡素なもので耳慣れない特別な言い回しは少なく、覚えるのに苦労は無さそうだ。
    (……そういえば名月さんやあの背神兵もこのフレーズを使っていたな)
     招喚コマンド、、、、、、の中に、記憶にある文言を見付けて荒士はそう思った。背神兵も従神戦士と同じコマンドを使っているのは少し意外だったが「背神兵は邪神に寝返った元従神戦士候補」と事前学習の教材にあったのを思い出して納得した。
    「確認しましたね? それでは早速、エネリアルアームを呼び出してみてください。実際に一通り手に取ってみれば、自分に最も適した武器が分かるはずです」
     ――何か直感のようなものが働くのだろうか?
     白百合の言葉に、荒士はそんな疑問を覚えた。だが精神を基盤にしたテクノロジーならば、道具との間に何か通じ合うものが生まれてもおかしくないかもしれない。荒士はそう考え直して、とにかく言われたとおり試してみることにした。
     九種類の招喚文句に対応して、エネリアルアームは九つのカテゴリーに分かれている。「剣・刀」「槍」「薙刀、グレイブ」「銃」「戦斧・ハルバード」「弓矢」「榴弾砲」「盾」「鎖・ワイヤー」の九種類だ。「銃」は炸裂弾を用いない火砲のことで大砲を含む。他方、榴弾砲は炸裂弾を用いる火砲一般だ。「ワイヤー」はワイヤーソーを含んでいる。いや、武器としてはワイヤーソーの方が一般的か。
    (……最初はやはり、槍からだろう)
     荒士は陽湖の祖父から槍術を伝授されている。並行して杖術も教わったし、剣道も嗜みとして手解きを受けているが、メインで稽古をつけてもらったのは槍術だ。その経験から荒士は、九種類の武器カテゴリーの中で槍に最も馴染みを感じていた。
    (招喚フレーズは「貫くものよ」。……なんか恥ずかしいな、これ)
     覚えるつもりで読んだ時には気にならなかったが、これを声に出して唱えることを考えると、アニメかゲームのキャラクターをリアルに演じさせられるような気がして彼は気恥ずかしさを覚えた。――なお西暦の時代程ではないが、この神暦の時代にもアニメやゲームなどのサブカルチャーは生き残っている。
     しかしこれは歴とした教練だ。「恥ずかしいから」では済まされない。
     荒士は覚悟を――という程のものでもないが――決めた。
     右手を前に突き出し、招喚コマンドを口する。
    「貫くものよ」
     ここで他人に聞こえないよう声を潜めるのは余計みっともない気がしたので、荒士はコマンドをしっかりと唱えた。
     唱え終えた直後、指を開いていた右手に熱い光が生まれる。
     荒士はその光を、軽く握り込んだ。
     光は光のまま、熱が手応えへと変わった。
     そして光は、細長い棒状の物体に変化する。微かな光を帯びた半透明の柄に、クリスタルのような質感の長い穂を付けた大身槍。柄の長さは百六十センチ前後で刃が四十センチ前後。
     全長は荒士の身長よりも二十センチ以上長い。だがその槍に荒士は、長すぎるという印象を持たなかった。前後左右、周りの候補生との距離を確認して、荒士は軽く槍を振ってみた。
     予想外にしっくりきた。
     いや、「予想外」と言うより「驚く程」と表現する方が適切か。まるで自分の為に誂えられた武器のようだ、と荒士は感じていた。
     もう一度、今度は本格的に力と気合いを入れて振ってみる。自由に振り回すことはできない。近くにいる候補生に当たらないよう、間合に注意しながらだ。しかし、それすらも気にならなかった。
     自分の身体の一部みたいに、自由に操れる。道場で扱い慣れた木槍でも感じたことの無い手応えだった。
     我知らず、気分が高揚する。もう他の武器を試す必要など無いと確信した。
    「新島候補生」
     しかしその、一種の酩酊状態は教官の声で、一瞬で醒めた。
    「訓練なので一応、他の武器も試してください」
    「――分かりました」
     荒士は手を止め、棒を飲んだような姿勢になって白百合に答えた。

     荒士はその後、命じられたとおり残る八種類の武器も招喚してみたが、やはり槍以上にしっくりくる武器は無かった。
     彼の行動を見張っていたわけでもないだろうが、荒士が再び槍を手にしたタイミングで白百合から集合の号令が掛かる。自然に互いの間隔を広げていた候補生が彼女の前に整列した。
     先程と違う点は、チームごとに並んだ各候補生の手に武器が握られていることだ。
     イーダはイメージ的に剣か槍だと思っていたが、実際には全長二メートルを超えるハルバードだった。
     ミラは剣。諸刃の剣身は目測で刃渡り五十センチ前後、幅五、六センチ。長剣ロングソードというほど長くはなく、細剣レイピアとは明らかに形状が違う。古代ローマで用いられたグラディウスという種類の剣に似ていたが、あいにくと荒士にはそこまでの知識が無い。剣に加えて彼女は小型の盾を持っていた。
     最も意外だったのは幸織だった。荒士は彼女の和風な雰囲気から勝手に薙刀だろうと決め付けていたが、実際に幸織が選んだ得物は銃。それも護身用の拳銃とかではなく、全長一メートル近い小銃だった。形状はアサルトライフルに近い。
     そしてチームは違うが、チラッと盗み見たところ陽湖が選んだ武器は弓だった。姉の名月と同じ。そういう意味では、意外感は無い。もっとも名月は薙刀も使っていたが。
    「これから亜空間に移動して、演習用ロボットを使った実戦形式の訓練を行います」
     亜空間と聞いて、半数近い候補生が表情に不安をのぞかせる。
    「神々の技術で演習用に造られた亜空間です。危険はありません」
     すかさず白百合はフォローを入れた。「黙って命令に従え」というスタンスでないのは、候補生たちの年齢を考慮しているのだろうか。取り敢えず教官の安全を保証するセリフで少女たちの動揺は静められた。
    「では右列から順番に、転送ゲートへ進んでください」
     浮き足だった空気が消えたのを見計らって、白百合が次の指示を出す。
     候補生たちはキビキビした足取りで演習場の奥、転送機が作り出した『ゲート』へ進んだ。

     神々の超技術ハイパーテクノロジーの産物、物質転送機には三つのタイプがある。
     一つ目はエレベーターケージのような小さな部屋から小さな部屋へ移動するタイプ。扉が閉じて次に扉が開けば別の場所に移動している。感覚的にはまさに超高速のエレベーターだ。
     二つ目は円形のシーリングライトのような外見の装置から発せられる光を浴びると、任意の場所に転移テレポートするタイプ。神鎧兵の瞬間移動にはこのタイプが用いられている。
     そして三つ目はこれから荒士たちが使う、離れた空間を直結するゲートを作り出すタイプだ。ゲートの形状は、床に接して投映される円形、または正三角形の平面。技術的には長方形とか他の形のゲートを作り出すことも可能なのだが、地球の代行局で運用されているゲートは円形と正三角形の二種類だ。
     ゲートの中を「表」から見ると、深い霧が立ちこめているように白く濁った空間になっている。「裏」から見ると、完全な暗黒だ。ただゲートの縁だけが、「表」から見ても「裏」から見ても七色の光で細く縁取られている。とにかく、入る方向を間違えることは無さそうだった。
     何も見えない空間に足を踏み入れる行為には、どうしても不安がつきまとう。だが自分たちが最初というわけではないのだ。荒士は案外古い価値観を持っているので、同い年の女子が先に進んでいるのに男の自分が尻込みしている姿を見せることなどできない。彼はチームの先頭を切って、直径二メートル半の円形の転送ゲートに足を踏み入れた。
     ゲートの形状から受ける印象で、くぐればすぐ別の空間に出ると荒士は思っていた。だがその予想は外れた。
     ゲートの中に入ると、そこは白く霞掛かった世界だった。体感で約二メートル先に光を放つ円盤が「地面」に立っている。高輝度の発光パネルのような、均一に光る円盤だ。
     白い世界に案内人ナビゲーターはいなかったが、光る円盤が出口だと直感的に分かった。もしかしたら神鎧には、それと意識させないナビゲーション機能が付いているのかもしれない。
     荒士は何かに操られているかの如く、何も考えずに発光する円盤へ向かった。
     そしてその先に、足を踏み出す。
     円盤の向こうには巨大なドームで覆われた世界、、が広がっていた。ドーム式球場とか、そんなレベルではない。果てが遠く霞んで見えない。正面に視界を遮る森や山は無く、どこまでも平らな景色が続いている。弧を描く地平線も水平線も見えないから、この世界は平らなのだろう。まるで古代人が思い描いた平面世界のようだ。
     後続の邪魔にならないよう数歩進んで、荒士は振り返った。背後に何の支えもなく立っているのは漆黒の円盤。成程、表面と裏面ではなく入り口と出口だったのか、と荒士は思った。
     振り返った彼が見ている前で、イーダがゲートから姿を現した。ゲートを出た直後のイーダがわずかによろめいたのは、急転した光景に感覚を乱されたからに違いない。もしかしたら荒士自身も同じだったかもしれない。
     続いてミラと幸織が手をつないで出てくる。ミラが半歩先んじていたので、躊躇う幸織をミラが励ましながらゲートを越えてきたのだろう。二人もやはり、三歩ほど足取りを乱していた。
     ミラは左手に剣を持っている。それに荒士は今、気が付いた。思い返せば、ミラがインフォリストをはめていたのは右手首だ。どうやら彼女は、左利きらしい。
     槍と剣では立ち回りが違うとはいえ、利き腕が右か左かは立ち位置に影響する。白兵戦に備えて覚えておかなければならないと、荒士は心に留めた。
     イーダと幸織の利き腕も確認しておく必要がある。荒士は改めて二人に目を向けた。
     彼の許に歩み寄って立ち止まったイーダは、右手一本でハルバードを持っている。彼女は右利きと見て間違いないだろう。
     左手をミラに引かれている幸織は、右手でグリップを握りアサルトライフルを――無論、アサルトライフルその物ではない――ぶら下げている。幸織は右利きか。
     なお荒士が地面に立てて持っている槍は、それなりの重量がある。軽すぎない、扱いに適した重量だ。
     だが幸織の銃は見た感じ、極めて軽いように思われた。もし実銃と同じ重量があったら、彼女の細腕ではあんな持ち方はできないだろう。
     それとも神々から下賜される武器の重さは一定ではなく、シチュエーションによって変動するのだろうか。どちらもありそうだ。
     六つのゲートから百十二人の候補生全員が亜空間に移動し終えるのに約三十分掛かった。荒士には長すぎる、無駄な時間に思えた。もっと大きなゲートを開けば良いような気がするのだが、代行局には何か、そうはできない事情があるのだろうか。
     順番が比較的最初の方だった荒士は待っている間、槍の素振りでもしていたかったというのが本音だった。だが教官の指示は「整列して待機」だ。勝手な真似はできない。若い荒士には前時代的にも感じられるが「動かずに待っている」のも訓練の一環なのかもしれない。
     とにかく、全候補生が亜空間の演習場に揃った。
     すると何の前触れもなく、教官である白百合の合図も無く、二段十四列に整列した各チームの前にヒューマノイドタイプの戦闘ロボットが出現した。二腕二足歩行だが人間そっくりのアンドロイドではなく、骸骨に装甲を被せたようなフォルムだ。
     突然転移テレポートしてきたロボットに硬直する者、後退る者、構えを取る者など反射行動を取る候補生が大勢いた。ちなみに荒士は槍の穂先をロボットに向けようとしてギリギリで思い止まった。
    「最初はエネリアルアームの習熟訓練です。午前中一杯をこれに充てる予定になっています。戦闘ロボットには一対一の模擬戦を命じています。チーム内で交代しながら、ロボットを相手に武器の使い方を覚えてください」
     白百合の指示に、候補生は戸惑いを隠せない。それは荒士も同じだった。模擬戦をやれと言われても、現在の密集状態では到底不可能だ。何処に行けば良いのだろうか。
     その戸惑いが質問として形になる前に。
     候補生は、チームごとに別々の訓練ルームへ移された、、、、

    ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

     いきなり景色が変わった。一瞬前までは何処までも平らな、ただ広いだけの世界にいたのに、今は灰白色の壁と天井と床に覆われた屋内に立っている。
     ただ屋内といっても狭い部屋の中ではなく、ちょっとした体育館並みの広さがあった。間合が短い剣や刀だけでなく、槍や銃の練習にも十分なスペースが確保されている。
     いきなり自分が立っている場所が変わったのは多分、というか間違いなく神業――神々の超技術ハイパーテクノロジーによる瞬間移動の結果だろう。ロボットが転送機の端末を兼ねているのかもしれない、と荒士は考えた。――真相はここが神造、、の亜空間だから物質の座標を自由に入れ替えられるからなのだが、今の荒士に答え合わせの術は無い。
     それに何時までもそんなことを気にしている余裕も無かった。
    『準備は良いですか』
     何処からか教官の声が響く。
     それを合図にしたのか、ロボットの両手に剣と銃のキメラのような武器が出現する。通常の剣と異なり、ブレイドが前腕の延長上にある。ジャマダハルと呼ばれる北インドで使われていた特殊な刀剣に似ている。そして人間であれば手の甲側に三連の短い銃身。ロボットはその武器を握っているのではなく、腕と一体化していた。
    「誰から行く?」
     イーダが他の三人に問い掛ける。
    「俺から行かせてもらう」
     真っ先に荒士が答えてロボットの前に進み出た。
     始まりは、いきなりだった。
     荒士が正面に立った直後、間髪を容れず戦闘ロボットの左腕が刺突を繰り出す。
     荒士が反応できたのは、ほとんどまぐれだった。刺突を巻き込むようにして外へいなす。
     続けて迫る右腕の刺突は石突き側を使って上に弾いた。
     槍の回転運動に合わせて足を引き、ロボットから離れようとする。
     だが、ロボットは距離を詰めてこなかった。
    (手加減してもらっているのか)
     槍の間合いを取ることに成功した荒士だが、素直には喜べない。
     戦闘ロボットは体勢を崩していなかった。同じ二本足といっても、バランス能力は人間より明らかに上だ。
     荒士の武器が槍でロボットの武器は双剣。
     ロボットの剣には銃が付属しているので、離れても戦えないということはない。だが接近した方が有利であるのは間違いない。
     それなのに間合いを詰めてこなかった。まさか対人戦術がインプットされていないなどということはないはずだから、これは手加減しているからだとしか思えない。
     なにくそ、という反発心が湧き上がる。しかしそれが無謀な突進につながる前に、荒士は精神的なクールダウンに成功した。
     この場所に送り込まれる直前、教官の白百合は「エネリアルアームの習熟訓練」と言った。つまり、この演習の目的は勝ち負けを競うことではなく、力試しの場ですらない。神々の武具――エネリアルアームの扱いに慣れることが目的に設定されている。
     であるならば、練習相手に用意されたロボットが決着を急がないのはむしろ当然だ。様々なパターンを候補生に経験させなければ演習の目的に適わない。仕切り直しは手加減などではなく、ロボットに与えられた役割に沿ったものだと言える。
     槍術の心得があっても、エネリアルアームを使って戦うのは荒士も初めてだ。思う存分、練習させてもらおう。――荒士はそう考えて、今度は自分から戦闘ロボットに挑み掛かった。

     この部屋、と言うか空間は、四人同時に模擬戦をしても十分な広さがあった。にも拘わらず一人ずつ交代で戦闘ロボットを相手に戦うよう指示されたのは、チームメイトの立ち回りを参考にし、またチームメイト同士でアドバイスし合うことを求められているのだろう。少なくとも荒士はそう解釈した。
    「朱鷺、ちょっと良いか?」
     その仮説を念頭に置いて、荒士は模擬戦が終わったばかりの幸織に話し掛けた。
     三巡目の模擬戦が終了して、姿を見せない白百合から「小休止にします」の声が届いたところだ。荒士の目には、何となくだが、床に座り込んだ幸織が無理をして平気な態度を装っているように見えた。
    「は、はい。何でしょうか」
     幸織の返答は、声が裏返っていた。
     話し掛けられただけでこれ程はっきりと動揺したのは、やはり彼女が無理をしていて精神状態に余裕が無いからだろう。
     荒士が幸織に話し掛けたのは、彼女がエネリアルアームを上手く扱えていないように感じたからだ。彼には槍術の下地がある。だから材質は特殊でも、「槍」という武器の扱いに苦労はない。エネリアルの槍と通常の槍の違いにも、一回目で既に慣れていた。
     イーダもおそらく同じだ。彼女も何らかの下地があって、ハルバードの扱いには明らかに慣れていた。ミラは三回目の模擬戦で剣と盾を使うコツを会得したようだった。おそらくフェンシングの一種の、サーブルの応用ではないかと荒士は推測している。
     チームメイトの中で一番苦労しているのは、明らかに幸織だった。そして彼女を観察していて、荒士は一つ思い付いたことがあった。
    「――銃のマニュアルは読んだ?」
     幸織の隣に座りながら、荒士は彼女に訊ねた。
    「マニュアルですか? いえ……、あの、マニュアルってあるんですか?」
     意外感が動揺に勝ったのか。不思議そうに訊ねる幸織の声は、何時もの調子だった。
    「槍や剣には必要無いだろうけど、銃はマニュアルが無いと困るんじゃないか?」
    「引鉄を引けば弾が出るので……。マニュアルの有無は気にしていませんでした」
    「そうか。――教官、少しよろしいでしょうか」
     幸織に向かって頷いた後、荒士は空中に向かって呼び掛ける。
     一見、一人芝居をしているようだがこれは、神鎧の通信機能を使って白百合に呼び掛けているのだった。
    『新島候補生、質問を許可します』
     果たして、白百合からはすぐに返答があった。
    「ありがとうございます。エネリアルアームのマニュアルの呼び出し方をお教えいただきたいのですが」
     荒士の怖い物知らずとも取れる遠慮の無い口調の質問に、幸織が目を見開く。
    『銃と榴弾砲のマニュアルは用意されていますから「マニュアルのインデックスを表示」と念じれば閲覧できます』
     白百合は荒士の意図を見透かしたような答えを返した。いや、本当に分かっているのだろう。彼女たちはディバイノイド。神々が人類統治の為に作り出した、生きた端末だ。
     人造人間、いや、造人間である彼女たちには、人間のような「心」は無いかもしれない。だがディバイノイドは代行官アルコーン――巨大人工頭脳オラクルブレインと直接つながっている。そして神々の支配を代行するオラクルブレインには、人間の行動とその背景、人と人とのコミュニケーションに関するデータが膨大に蓄積されている。
     そのデータにアクセスし、オラクルブレインの演算能力を利用できるディバイノイドにとっては、十六歳の少年の考えを読むことなど造作も無いに違いなかった。
    『表示されたインデックスをタッチすることで詳細を確認してください』
     荒士は「ありがとうございました」と礼を述べて、早速マニュアルを開いてみた。
    「あの……、新島君、何をしているんですか?」
     荒士の目の前に浮いているマニュアルが幸織には明らかに見えていない。どうやらこれは呼び出した本人だけが見ることのできる仮想ディスプレイのようだ。
     インデックスには「銃」と「榴弾砲」という大項目が並んでいる。
     荒士は白百合に言われたとおり、「銃」の項目に右手の人差し指で触れた。
     展開された中項目の内、直感で「射撃モード」を選択する。
     展開された索引メニューには「単射」「連射」「散弾」の三項目が並んでいた。
    「新島君?」
    「荒士? 何してるの?」
     幸織だけでなく、向かい側に座っていたミラまで訝しげな声を掛けてくる。
     だが荒士は幸織のフォローという元々の目的其方そつち退けで、好奇心の虜になっていた。
     荒士の口から「へぇ」とか「ほぅ」とか、呟きが漏れる。
     幸織とミラは顔を見合わせ「何かしら?」「さぁ?」と目と目で会話していた。
    「……朱鷺」
    はいひやいっ」
     不意に荒士から名前を呼ばれ、幸織が再び声を裏返らせる。
    「エネリアルアームの銃は自由に射撃モードを切り替えられるんだけど、知っていたか?」
     幸織が「いいえ」と言いながら、プルプルと首を左右に振る。
    「あの、射撃モードって何ですか?」
     そもそもそこから幸織は分かっていなかった。
    「あっ、やっぱり連射とか三点バーストとかあるんだね」
     そして意外にも、ミラは良く知っていた。
    「銃がアサルトライフルの形してたから、多分そうじゃないかと思ってた」
    「……三点バースト? というのはなかったな」
     むしろミラの方が荒士よりも詳しいようだ。
    「じゃあセミオートとフルオート?」
     ミラが喋っているのはオランダ語なのだが、「セミオート」と「フルオート」は何故か英語だった。もっとも、神々の技術により外国語を日本語として理解している荒士の方でも「セミオート」「フルオート」と聞こえている。
     ついでに言うなら「三点バースト」も「三点射」ではなく「three-point burst」でもなく「三点バースト」だ。神々の翻訳技術は本人が理解できる言葉よりその者の母国語で一般的に用いられている語句に変換するもののようだ。
    「いや、『単射』『連射』『散弾』の三つだ」
     荒士の回答も、ミラには「セミオート」「フルオート」「ショットガン」と聞こえていたことだろう。
    「単射、連射、散弾ですか……。銃を武器に選んだら、その三つを使い分けなきゃならないということですか?」
     強がって平気な振りをしていた幸織の表情が翳る。トリガーを引くだけで精一杯なのに、それ以上の技術的なあれこれを要求されても無理だと思ったのだ。
    「そんなに難しく考える必要は無いと思う」
     思うような結果が出せずに弱気になってしまう気持ちは荒士にも何となく分かる。こういう時に浅慮な励ましは相手を追い詰め、下手な慰めは後ろ向きの心理を増幅してしまう。だから彼は敢えて慰めを口にせず、アドバイスを送ることにした。
    「まずマニュアルを開いてみてくれ。『マニュアルのインデックスを表示』と念じれば索引が見えるはずだ」
     荒士はディバイノイドに教わったやり方を伝えて、幸織に『射撃モード』の項目を開かせた。
    「……そこに書いてあるとおり、普通の射撃が点を穿つものであるのに対して散弾は面に多数の弾をばらまくものだ。これなら細かな狙いは必要無い。敵に銃口を向ければ何発かは当たる」
     幸織はじっと自分だけに見える仮想画面のマニュアルを見ている。彼女は荒士の言葉に何の反応も、相槌すらも返さなかったが、真剣に聞いているのは雰囲気で分かった。
    「単射やフルオートに比べると散弾の威力は低い。だが与えるダメージは、ゼロじゃない。倒せなくても接近を阻む効果はあるはずだ。ダメージを積み上げれば、足も止まるに違いない」
    「……分かりました。相手の動きが止まったところを、今度は連射で狙い撃てば良いんですね」
     荒士が全てを説明する必要は無かった。戦いには向いていない性格でも、幸織は理解力が低いわけではない。彼女は荒士に与えられたヒントを元に、自分で打開策を考え出した。

     エネリアルアームの習熟訓練は一人当たり五回、行われた。アドバイスの甲斐があって、五巡目になると幸織もエネリアルアームの銃を一応は使えるようになっていた。
     もしかしたらそれで、荒士のチームは次の段階に進めると判断されたのかもしれない。五巡目が終わって幸織が一息ついたところで、荒士たち四人は元の平面大地に戻された。
     そこには全員が揃っていた。自分たちが一番最後だったか、と口惜しさを覚えた荒士だったが、すぐに自分が考えていた状況とは様子が違うと気付いた。
     周りにいる同期の少女たちの多くが、キョロキョロと他のチームの様子をうかがっている。その目の中には戸惑いと不安が宿っていた。
     彼女たちの表情には、後から追い付いてくる者を待っていた余裕は無い。少なくとも荒士はそう感じた。
    (……同時だったのか?)
     脳裏に浮かんだ疑問。次の瞬間、それが正解だと荒士は直感した。
     自分たちのチームを含めて、全ての候補生は同時にこの場所へ戻ってきたのだ。移された先で過ごした時間の長さに拘わらず。
     全員が待ち時間ゼロの、合理的な演習の運用だ。ただ、それを可能にする技術がどれ程「超」高度なものか、荒士には想像も付かない。
     この世界の支配権を確立した際に、神々は人類に「自分たちは宗教的な存在ではない」と告げた。荒士が生まれる前のエピソードだが、普通の、、、小学校で教わった。日本だけでなく、世界中の学校でそう教えているはずだ。あるいは、親から聞いているに違いない。
     だが信仰の対象ではないとしても、神々は「神」の名に相応しい力を持っている。荒士はこんな些細な出来事からも、それを思い知らされた。

     エネリアルアームに習熟するという課題は、あくまでも準備に過ぎなかった。
     次の課題は戦闘ロボットを相手にした集団戦。今回は各チームごとではなく、三チームずつに分けられた。チーム単位で模擬戦を行い、休んでいる時間は他のチームの戦い方を見学するように、という意図だと思われる。
     送り込まれた先は屋内ではなく、何も無い運動場のような広場。足下は固く締まったむき出しの砂地だ。ただ、本物の砂や土なのかどうかは分からない。
     頭上は雲一つ無い青空。ただし、快晴と表現するには明るさが足りない。頭上にベールが掛かっているような、ぼんやりした青空だ。薄く春霞が掛かっているような青空、と表現しても良いかもしれない。
    「荒士君」
     今回の演習で同じフィールドに割り当てられたチームの一員である陽湖が、自分のチームから一人離れて荒士に話し掛けた。
    「先に行かせてもらって良い?」
    「ちょっと待て」
     荒士はこのチームのリーダーというわけではない。と言うか、荒士のチームではリーダーを決めていない。
     これはきちんとしておく必要があるな、と思いながら、荒士はチームメイトへ振り返った。
    「私は構わないぞ」
     荒士が言葉で問う前にイーダが答えを返した。
    「私も」「私もです」
     ミラと幸織が、ほぼ同時に続く。
    「――ってことだ。お先にどうぞ」
     荒士も順番に拘りは無かった。

     模擬戦の順番は、荒士のチームが最後になった。
     壁もフェンスも、障碍物が何も無い演習場で、時々飛んでくる流れ弾を自分たちで防ぎながら見学をしていた荒士たちは、全滅判定を受けた二番目のチームと入れ替わって模擬戦の開始指定ポジションに立った。
     戦闘ロボットの方でも機体は交代する。損傷を受けた物だけでなく総入替だ。
     新たなロボットの登場を待ちながら、荒士は「陽湖のチームは勝ったからな……負けたら格好が付かない」と考えていた。
     前のチームは全滅。その前の陽湖のチームは二人が退場判定を受けたもののロボットを全滅させて勝利。陽湖は生き残った二人の内の一人だ。
     なお「戦死判定」ではなく「退場判定」なのは、正式に神々の軍勢に加わった、、、、、、、、、、、、、「黒」の従神戦士は敵の攻撃を受けても戦えなくなるだけで死ぬことはないからだ。少なくとも、荒士たち候補生はそう教わっている。
     密かに闘志を高めていた荒士だが、演習相手のロボットが中々登場しない。前のチームの時は、陽湖のチームに破壊されたロボットが消えた後すぐに、新たな機体が登場した。
     稼働可能なロボットが残っていたので、整備しているのだろうか?
     荒士がそんなことを考えているところに、白百合の切迫した声が届いた。
    『非常事態です! 直ちに演習を中断し、皆さんを回収……』
     おそらく「回収します」と続くはずだったセリフは、そこで途切れた。
    (――何だ、この空気は?)
     演習場を覆う空気――雰囲気が変わった。
    「えっ、何っ?」
     それを感じ取ったのは荒士だけではなかった。陽湖に続いて、同じような声が幾つも上がる。
    「な、何でしょう。何だか、嫌な感じが……」
     荒士のチームでも、幸織が怯えた表情で身を竦ませ、イーダは対照的に口元を引き締めて身構えた。
    「何が起こるのかしらね?」
     ミラが期待感をのぞかせる声で荒士に話し掛けた。舌なめずりしているような不敵な態度は頼もしいとも言えるが、不謹慎にも思われた。
    「不謹慎だぞ」
    「荒士も笑ってるじゃん」
     感じたままにミラをたしなめたところ、彼女から思いがけない指摘を受けた。
    「……笑ってる? 俺が?」
    「うん。何が起こるのか待ちきれないって顔になってる」
     そんな顔をしている自覚がなかった荒士は思わず半透明のシールドの下になっている顔を撫でた。
     手袋に覆われた指が、素手と変わらぬ感触を意識に伝える。
     だから分かる。確かに自分の口角が上がっているのを荒士は自分の手で、、、、、確かめた。
    「やっぱり自覚が無かったんだ」
     ミラが面白そうにニヤニヤと笑う。
    「荒士ってクールそうに見えたけど、実は凶暴なんだね」
    「クールじゃないのは認めるが、狂犬扱いされるのは心外だ」
     浴びせられた暴言に荒士は顔を顰めた。
    「悪口じゃないよ。なよなよした男よりワイルドな方が私は好きなの」
     荒士に秋波を送るミラ。
     冗談か本気か、場違いなラブシーンは、しかし未遂に終わった。
    「来るぞ!」
     イーダが警告を発する。
     彼女の声が届く前に、荒士もそれを感じ取っていた。
     ――何かが来る。
     次の瞬間、特大の風船が破裂したような音がした。
     幸織とミラが思わず目を閉じ、耳を塞ぐ。いや、彼女たち二人だけではなく三チーム十二人の候補生の内の九人が、似たような行動を取っていた。
     例外はイーダと陽湖、それに荒士。
     目を逸らさなかった荒士は見た。
     戦闘ロボットが出現するはずの、目の前の空間がガラスのように割れて砕け散る光景を。
     その向こうに広がる暗黒から、見覚えのある甲冑を纏って歩み出てくる人影を。
    「お前は! 確か古――」
    「グリュプスだ。久し振りと言うほどではないな、新島荒士」
     破れた空間の向こう、暗黒の中から現れたのは背神兵・古都鷲丞だった。彼は本名を呼ぼうとする荒士のセリフに被せて、邪神につけられたコードネームを名乗った。
    「――何をしに来た!?」
     荒士は鷲丞の名前に拘らなかった。思いも寄らぬアクシデントに、そんな精神的な余裕を持ち得なかったのだ。
     荒士の詰問に鷲丞は、長剣の一閃で答えた。
     刃は届いていない。見た目だけで言えば素振り、あるいは空振りだ。
     しかしその一振りによって、正体不明の衝撃が荒士を襲う。
     それが精神に加えられた打撃だと、荒士にはまだ理解できない。
     荒士は折れそうになる膝に力を入れ、足を踏み締めて槍の穂先を鷲丞に向けた。
    「ほう……」
     猛禽類を模った兜の下からのぞいている鷲丞の口から、軽い驚きが漏れる。鷲丞は荒士を始めとする、この場にいる候補生全員を無力化するつもりで、今の精神攻撃を放ったのだった。
    「三人も耐えるとは」
     しかし彼の意図に反して、三人の候補生が抵抗の姿勢を見せている。
     神鎧には肉体だけでなく、敵の攻撃から精神を守る機能もある。しかし神鎧の性能を何処まで引き出せるかは、装着者の力量次第だ。
     荒士たちはまだ神鎧に触れて二週間の「白」。神鎧兵の中では最低ランクだ。それに対して鷲丞は最高ランクの「黒」に相当する実力を持っている。
     この格差を考えると、荒士たちが立ち続けているだけでなく応戦態勢まで取っているのは、驚くべき精神力と言えた。
    「だが今日こそは一緒に来てもらうぞ、新島荒士。先日のような時間稼ぎは――」
     鷲丞の発する闘気が膨れ上がる。
     闘気に反応して、荒士が槍の構えを変える。
    「――させん!」
     鷲丞の長剣が、防御の構えを取った荒士の槍を激しく弾いた。

    ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

    『非常事態発生!』『非常事態発生!』『非常事態発生!』……。
     演習用の亜空間が外部から干渉を受けたことに対応を促したのは、ディバイノイドの白百合だけではなかった。アカデミーと代行局の幾つもの部署が警報を発した。
     これはアカデミーに対する攻撃であり神々の支配に対する敵対行為。そして亜空間に干渉できるのは神々と邪神群のみ。つまりこの干渉は、邪神の陣営による攻撃であることが明らかだ。
     あいにくと現在ここに、待機中の従神戦士はいない。富士代行局は出動中の従神戦士にミッション中断及び帰還命令を出した。同時に、他の代行局に応援を要請した。
     そして富士アカデミーでも、最高位階「紫」の候補生に出動命令が下された。

    演習用亜空間ドリルスペースが邪神の攻撃を受けているのですか!?」
     神鎧を脱いで休憩中だった古都真鶴は、第一位階「紫」の教官であるディバイノイド・菖蒲に命じられた突然の出動に、驚きを隠せなかった。
     この、、世界に七つあるアカデミーでは亜空間での演習中、毎年のように行方不明が発生している。原因については「邪神が亜空間に干渉した所為だ」という噂が以前から根強かった。
     その一方で「神々の代理人が管理する亜空間に邪神が介入できるはずがない」と、噂を否定する声も高かった。これは神々に対する忠誠心の表れであると共に、自分が属している陣営の優位を信じたいという人間的な心理の反映でもあった。
     しかし今、その盲信が覆された。邪神が少なくとも技術力において、神々と同等のレベルにあると示されたのだ。真鶴の動揺も、ある程度は当然と言えた。
    「観測されたエネルギーから判断して背神兵が一体、侵入しています」
     富士アカデミーに在籍する七人の「紫」を前にして、ディバイノイド・菖蒲は機械的な口調で状況を説明する。それは真鶴の質問に対する答えでもあった。
    「背神兵が侵入した個別演習場ドリルジムは現在、入退場が妨害されており、候補生十二名が閉じ込められている状態です」
    「教官殿、ドリルスペースへの侵入は可能なのですか?」
     菖蒲の状況説明ブリーフィングに「紫」の一人、イギリス出身のレベッカ・ホワイトが質問を返した。――なお、真鶴だけでなくレベッカを含めた他の六人も、神鎧を未装着の制服姿だ。
    「可能です。『演習広場ドリルスクエア』までは支障なく出入りできます」
     ドリルスクエアは荒士たちがゲートをくぐって最初に入った、ただ平らな大地、、のことだ。
    「閉じ込められた十二名以外の「白」は既に、通常空間に退避しています。またドリルジムへの通行妨害は代行局の技術チームが解除に当たっています。――古都真鶴、クロエ・トーマ、メイ・マニーラット」
     名前を呼ばれた、真鶴を始めとする三名は「はい」と声を揃えて一歩前に出た。
    「以上の三名はいったんドリルスクエアに出動し、通行妨害が解除され次第、ドリルジムに突入して閉じ込められている『白』十二名を救出してください」
    「背神兵を討たなくてもよろしいのですか」
     アフリカ系フランス人のクロエ・トーマが菖蒲に訊ねる。
    「討伐は必要ありません。三人は『白』の候補生の救出に専念してください」
    「了解しました」
     やや不服そうな表情を見せながらも、それ以上反抗的な態度をクロエは取らなかった。
    「私たちは待機ですか?」
     続けて、突入要員に選ばれなかった四人の内の一人、ドイツ出身のソフィア・ウェーバーが質問する。
    「亜空間への攻撃が陽動である可能性も否定できません」
    「では、私たちは敵の奇襲に備えると?」
    「そうです」
     菖蒲の答えに、ソフィアだけでなく七人全員が納得の表情を浮かべた。
    「それでは、出動してください。勇敢な戦士に神々のご加護があらんことを」
    「はい! 神々に栄光あれ!」
     菖蒲の命令と共に、七人の「紫」は一斉に神鎧を纏った。

    ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

     鷲丞が繰り出した斬撃は、最初から荒士の身体に届くものではなかった。
     荒士が構えた槍の穂を狙ったものだった。
     鷲丞の長剣に弾かれた槍は、穂先が大きく流れた。
     自分に向けられていた穂先が逸れた隙に、荒士へと向かって鷲丞が踏み込む。
     だが荒士の手が軸の役目を果たして槍が回転し、穂先の代わりに石突きが鷲丞を迎え撃つ。
     鷲丞は剣を立てて横殴りに襲いかかる石突きを防いだ。
     荒士はすぐさま槍を引いた。
     穂先を背後に、左手を石突きの近くに。
     今度は右手を滑らせて、穂先で突くのではなく長い穂の刃で斬り掛かる。
     弧を描いて頭上から襲いかかる槍の穂を、鷲丞は盾をかざして受け止めた。
     鷲丞が盾を上げたまま、横薙ぎに剣を振るう。
     穂が盾を打った反動で槍を立て、荒士は長剣をその柄で受け止めた。
     斬撃の勢いが完全に止まる前に、荒士は膝を屈め槍を傾けて長剣を上に逸らす。
     そこから流れるように穂先を戻し、起き上がる勢いを加えて、荒士は鷲丞の首を突いた。
     咄嗟に上半身を傾け刺突を躱す鷲丞。
     槍の穂が鷲丞の兜の側面、頬の辺りを掠める。
     エネリアルアームと次元装甲がこすれ合う火花を横目に見ながら、鷲丞は後ろに跳んだ。
     荒士もすかさず追い打ちを掛けるが、脚力だけでなく神鎧の補助も受けた跳躍には追い付けない。
     二人の白兵戦は、仕切り直しとなった。
    (この男は……)
     鷲丞は心の中で驚きと忌々しさと、わずかな賞賛が入り交じった呻きを漏らした。
     忌々しさと称賛は、荒士の技術に対するもの。鷲丞も神鎧の力を引き出す訓練だけでなく、選んだ得物を操る訓練を積んできた。だが武器を操る技術は荒士の方が上だと、鷲丞は口惜しさと共に認めないわけにはいかなかった。
     だからといって鷲丞は、荒士に脅威を覚えていない。
     このまま戦っても自分が勝つ。総合力では自分の方が上だ。
     鷲丞はそう判断している。
     鷲丞が驚いたのは荒士の槍術に対してではなかった。
     荒士の槍は、鷲丞の喉を狙っていた。
     躊躇なく鷲丞を殺そうとしていた。
     殺人を忌避しないその精神性が、鷲丞を驚かせた。
    (この男を我が神の許へ連れて行って、本当に良いのか?)
    (こんな奴を我々善神の使徒、、、、、に加えても良いのか……?)
     神々の支配が確立した後、この世界で人間同士が争う戦争は稀なものになった。神々は人間の政治に、原則として介入しない。だが人命と資源を徒(いたずら)に損耗する戦争や内戦には例外的に介入する。明確な基準は示されていないが、戦闘期間が七日を超えるか、大量破壊兵器使用の兆候が見られると停戦を勧告する。しかし戦いを止めるだけでその原因を解決しようとしないから、邪神の側についた鷲丞たち以外にも「神々は質が悪い」と感じている人間は多い。
     しかし泥沼の戦争・内戦が無くなったことにより、少年兵という忌まわしい存在はこの世界から姿を消した。戦争は大人たちのものに戻った。
     だからアカデミーに入学したばかりの年齢、具体的には十五、六歳で殺人を忌避しないのはかなり特殊な人間性だと言える。貧困が原因で凶悪犯罪に走る事例が少ない日本では、尚更そう考えても良いだろう。
    (身近に暴力が転がっている環境で育ったか、先天的な素質か……。まさか今時、真剣勝負、、、、を前提にした武術を教わっていたということはあるまい)
     正解は鷲丞が考えた最後のケースだ。しかし彼はその選択肢を真っ先に否定した。
     その上で鷲丞は「環境の所為ならばまだしも、先天的な精神性ならば善神の使徒には相応しくない」と考えた。

    (いきなり実戦かよ? アカデミーの警備はどうなっているんだ!)
     荒士は内心、悪態を吐いていた。
     彼が苛立つのも無理はない、、、、、、を通り越して当然、、だろう。アカデミーの内部で――アカデミーが作った演習用の亜空間で背神兵の襲撃を受けたのだ。しかも初めて武器を使った教練の、その日に。荒士にしてみればふざけた話である。――もっとも、巻き込まれたチームメイトや陽湖にしてみればさらに理不尽な話なのだが。
     心の中でアカデミーに対する罵詈雑言を並べ立てている間も、荒士は一瞬たりとも、鷲丞から目を離さなかった。彼は自分が初心者であり、相手が格上であることを十分に弁えている。
    (――こいつ! 気配が、変わった?)
     油断なく相手の様子をうかがっていたから、荒士は鷲丞の変化を見逃さなかった。
     今の攻防において荒士は、鷲丞の刃から殺気を感じなかった。手抜きという程あからさまではなかったが、確実に本気ではなかった。
     だが、今は違う。荒士は向かい合う鷲丞の目から、明確な敵意を感じ取っていた。
     荒士はアカデミー入学直前の、鷲丞と名月の戦いを目に焼き付けている。剣と薙刀で切り結んだ白兵戦、あれならばまだ対応できると荒士は考えている。
     両者ともパワーとスピードは見るからに凄かったが、技術は正直に言って拙かった。師匠の片賀順充には遠く及ばないし、槍が届く間合いの技だけならば自分の方が勝っていると、あの時に荒士は感じた。その印象は、自分で刃を交えた今も変わらない。
     荒士が教わった槍術は順充が自分で考案した我流だ。試合ではなく実戦、それも多対多を想定した乱戦の中で、一秒でも速く敵を殺すという方針で編み出された我流の兵法。成功率が下がる高度な技や何合も打ち合うことを前提にした連絡技を敢えて切り捨て、正確な刺突と単純確実な返し技で構成された槍の技術。それが順充から教わった荒士の槍術だった。その技術は背神兵相手にも十分に通用する。それを荒士は実感していた。
     ただし、通用するのは相手が地に足を付けて、槍が届く距離で戦ってくれている、、、、、、、、場合のみ。背神兵は従神戦士同様、飛ぶことができる。空中だけでなく地上でも、飛ぶような高速移動が可能だ。
     荒士は見ていないが、空中戦の機能があるということは、それに対応する攻撃手段もあると考えるべきだろう。得物が剣でも遠隔攻撃が可能に違いない。
     槍の間合いの外から攻撃されたなら、まだ神鎧の機能をほとんど引き出せていない荒士では対処できない。為す術もなく、一方的に嬲られるだけだ。
     ――待っていては、やられる。
     ――やられる前に、れ!
     危機感に駆り立てられ、闘争本能が命じるままに、荒士は槍を繰り出した。

     鷲丞にはまだ、迷いがあった。
     荒士のことを危険で排除すべき相手と確信する一方で、彼を捕らえてこい、、、、、、という邪神の命令も忘れてはいなかった。
     その迷いが鷲丞の身体を縛っていた。荒士を斬るにしても捕らえるにしても、剣を振るう必要がある。しかし迷いに囚われて、彼は攻撃の為の一歩を踏み出せなかった。
     その停滞は、一秒に満たない短い時間だった。
     しかしそれは、荒士に先手を取られてしまうには十分な時間だった。
    「チィッ――」
     鷲丞の口から口惜しげな舌打ちが漏れる。
     それは己の優柔不断に対する苛立ちの表れであり、躊躇無く急所を狙ってくる荒士に対する忌々しさの表れでもあった。
    「このっ!」
     鷲丞が後ろに跳びながら長剣を横薙ぎに振り抜く。
     剣は届かぬ間合いだが、刃の軌跡から衝撃波が放たれた。
     荒士は直感で地面に伏せた。
     それが正解だった。
     荒士と鷲丞の戦いに割り込む隙をうかがっていたイーダは、やはり直感的な反応でハルバードを立てて衝撃波に耐えようとした。しかし呆気なく、後方に弾き飛ばされてしまう。
     荒士が伏せて攻撃が途切れた隙に、鷲丞が半物質の翼を広げる。
     荒士は慌てて立ち上がり今日最速の刺突を繰り出したが、間に合わなかった。
     鷲丞の身体が空に舞う。
     今の、、荒士には届かぬ高み。
     にも拘わらず、鷲丞を候補生の攻撃が襲った。
     荒士の槍は、、届かなくても、届く武器を操る者がいた。
     陽湖だ。彼女は荒士の真似をして、衝撃波をやり過ごしていたのだった。
     鷲丞は荒士に意識を集中していた。他の候補生は無力化済みと考えていた為、注意を払っていなかった。
     故に。
     光の矢は、鷲丞を直撃した。
     神々の武具・エネリアルアームの扱いは、飛び道具の方が難しい。
     剣や槍などを手で操って、武器その物で直接攻撃する場合は初心者でも十分な威力を出せる。初心者と熟練者の違いは白兵戦の武器として使用する限り、威力よりもエネリアルを武器の形に維持する持続性において顕著に表れる。
     だが弓矢や銃などの飛び道具は、手を離れた後に「武器の形を維持する」のが初心者にとっての第一関門だ。その威力も、初心者と熟練者で大きな差が生じる。
     このような理由から、陽湖が放った矢には鷲丞にダメージを与える程の威力は無かった。だが不意打ちとなったことに加えて、偶然、飛行を制御する翼に命中したことで、鷲丞は空中で体勢を崩した。

    (――今だ!)
     敵が体勢を崩し飛行高度が下がったのを見て、荒士は心の中で叫んだ。
     そう叫ぶのと同時に、彼は槍を素早く逆手に持ち替えた。
     右手一本で、槍を肩の上に担ぐ。
     ステップを踏み、右手を大きく後方に振りかぶり、
     荒士は鷲丞目掛けて、全力で槍を投げ付けた。
     武器を手放すのは、馬鹿げた自殺行為。そういう見方もあるかもしれない。
     だが古代において投槍は、有力な戦闘手段だった。日本では余り用いられなかったが、古代ローマでは『ピルム』という投擲専用の槍が考案され基本兵装となる程だった。
     そして実戦性のみを追求した片賀順充の我流槍術には、投槍の技術が含まれていた。荒士もそれを順充に仕込まれている。
     荒士が投げたエネリアルの槍が手を離れた後も形を保っていたのは、数え切れない反復練習で会得した投槍術のイメージがあったからだろう。
     荒士の槍は鷲丞が咄嗟に翳した盾に激突し、盾に刺さる代わりに派手な爆発を起こした。
     槍は矢よりも遥かに大きい。半物質化で生じた見せ掛けの質量には、サイズの違いを越える差があった。
     エネリアルアームが物質の形を失う際に解放されるエネルギーは、その見せ掛けの質量に比例する。荒士の槍は高威力の爆弾、いや、ミサイルになって鷲丞の盾を吹き飛ばした。
     だが残念ながら、鷲丞に与えた損害は盾だけだった。鷲丞自身にダメージは無かった。
    「――やってくれたな!」
     そして荒士の攻撃は完全に、鷲丞を本気にさせた。

     飛び上がった直後に喰らった光の矢は、鷲丞にとって完全に想定外の攻撃だった。地上で槍と打ち合っている最中、荒士を援護する攻撃が皆無だったことから、鷲丞は他のアカデミー候補生が戦力にならない――戦闘力を失っている、または、そもそも戦う術をまだ知らない――と判断していた。その所為で光矢の奇襲をまともに受けてしまったのだった。
     光矢の威力自体は小さかった。入学したばかりの第五位階・白が操る、威力を出すのに熟練を必要とする飛び道具だ。それを考えれば上出来といっても良かったが、無論、神鎧の防御を突破して鷲丞自身にダメージを与えるものではなかった。
     だが、当たり所が悪かった。光矢は飛行をコントロールする翼に命中した。
     当たり前だが、人間は飛べない。人間という生物は、空を飛ぶようにできていない。
     神鎧兵が空を飛ぶ為には、この先入観を覆す理由付けが必要だ。例えば「神々(邪神)から与えられた翼があるから空を飛べる」などの。F型神鎧兵は例外なく、空を飛ぶ時は翼を出す。G型も多くは翼という象徴、、に頼っている。少数だがサーフボードのような物に乗って空を飛ぶG型神鎧兵もいる。
     神鎧兵は翼で揚力を得て飛んでいるのでも、翼から何かを噴射して空中に浮いているのでもない。だが「翼があるから飛べる」という心理的なシステムになっている為に「翼をやられた」と認識してしまうと上手く飛べなくなってしまうのだ。
     特殊な神鎧兵である鷲丞も、その例外ではなかった。翼に被弾したと感じて、、、から「翼は損傷していない」と確認するまでの短い時間、彼は飛行を制御できなくなっていた。制御を取り戻した時には、高度が半分以下になっていた。それでもまだ、地上からは剣も槍も届かない高さだった。
     しかしここでもう一つ、想定外の事態が鷲丞に襲い掛かる。彼は空中姿勢を安定させた後すぐに、荒士に目を向けた。その時、荒士はまさに槍を投げようとしていた。
     荒士が投擲した槍は、生身の筋力では出し得ないスピードで鷲丞に迫った。
     鷲丞は反射的な防御動作で、盾を前に翳した。
     自分の盾で鷲丞の視界が塞がれる。
     次の瞬間、盾を持つ左手に激しい衝撃が伝わった。荒士の投げた槍が盾に衝突して生じたものだ。
     馬鹿な、と鷲丞は思った。
     あり得ない、とも思った。
     高度が下がっているとはいえ、彼我の距離は二十メートル以上ある。
     この距離で、投げた武器が形と質量を保ち続けるなど初心者の技量では、、、、、、、、考えられないことだ。
     しかも、この威力。
     確かに神鎧を纏った兵士の運動能力は、精神力次第で何処までも上昇する。身体を動かすイメージが、そのまま身体の動きになる。
     しかし人間は常識に縛られるものだ。先入観から中々抜け出せないものだ。自分の身体が、自分が覚えているより早く、強く、巧みに動くイメージは、そう簡単に描けるものではない。
    (――こいつは、F型に適合した最初の男というだけではなく)
    (――こいつは、特別、、なのか?)
     自分でも理由が分からないショックが鷲丞の心を襲った。
     だが幸い――と言えるかどうか――彼はすぐにそれを忘れた。些細な、、、ショックを上書きする出来事が彼を襲ったからだ。
     盾と槍の衝突から極短いインターバル――一瞬といっても過言ではない――を置いて、左手で烈しい爆発が起こった。
     神鎧はその衝撃を防ぎ切った。鷲丞の身体はダメージを負わなかった。だが左手に持っていた盾は、その爆発により吹き飛んでしまっていた。
     何が起こったのか、鷲丞は一秒に満たないタイムラグの後に覚った。
     盾に衝突した衝撃で、槍が形を失った、、、、、のだ。
     解放されたエネルギーが爆発となった。まるで、ミサイルのように。そのエネルギーに鷲丞の盾は耐えられず、形を保てなかった、、、、、、、、のだ。
     これは謂わば、相討ちだ。
     信じる神から特別な「鎧」を与えられた鷲丞が、アカデミーに入学したばかりの荒士と相討ちになったのだ。
    「――やってくれたな!」
     プライドを傷つけられた怒りが咆吼となって鷲丞の口から吐き出された。
     ただ盾を形成していたエネルギーが解放されたことで、槍の爆発を相殺したという面もある。結果的に、鷲丞自身にはダメージが及ばなかった。その意味では、盾は本来の役目を果たしたとも言える。
     鷲丞が逆上しつつも判断力を保っていたのは、その理解があったからだった。
    (まずは弓矢を潰す)
     荒士が投げた槍の速度は、確かに人間の筋力で出しうる限界を超えていた。だが神鎧兵の水準で考えれば、まだまだ人間の領域を超越する領域へ一歩を踏み出した程度に過ぎない。来ると分かっていれば、躱せるレベルのものでしかない。
     それよりも今は、自分に攻撃が届く弓矢に対処するのが先だ。自分にとっては大したことのない威力だが、先程のように思い掛けない隙を曝す切っ掛けになりかねない。――鷲丞はそう判断した。
     盾の再招喚は容易だが、敢えてまだ呼び出さない。長剣は基本的に近接白兵戦の武器だ。遠隔攻撃には、通常よりも余分に気合いを注ぐ、、、、、、必要がある。
     鷲丞は長剣を両手で握り、大きく振りかぶった。

     空中で長剣を頭上に大きく振りかぶった鷲丞を見て、荒士は「やばい!」と直感した。
     鷲丞の目は兜に隠れているが、何処を見ているかは何となく分かる。
    (陽湖が狙われているだと!?)
    (俺の所為で!?)
    (――させるものかっ!)
     そこから先、荒士は何も考えていなかった。彼が取った行動は完全に反射的なもの。思考よりも先に身体が動いた。
     鷲丞はもう、振り下ろしのモーションに入っている。その攻撃が直線で放たれるとして、射線に割り込む為には二メートル以上の距離を移動しなければならない。
     間に合うはずがないタイミング。
     鷲丞が長剣を振り下ろす。
    「遮るものよ!」
     だが間に合うはずがなかった荒士は、陽湖の前に立っていた。
     しかもただ駆け付けるだけではなく、方形の盾を構えて。形状は日本の警察が使用しているライオットシールドとほぼ同じ。古代日本の持盾や古代ローマのスクトゥムとも似ている。
    「ぐぅぅっ!」
     その盾を両手で構えて、荒士は鷲丞が放った衝撃波を受け止めた。盾の表面でバチバチと音を立てている火花は、盾を構成するエネリアルが衝撃波に削られていることを示している。
     音が止み、火花が消える。
     荒士の感覚では何十分も続いたその時間は、実際には数秒のことだった。
     衝撃波は消え、荒士が招喚した盾は健在。
    「馬鹿な!」
     それは空中の鷲丞が上げた声だった。

     鷲丞は自分の目が信じられなかった。
     荒士が招喚コマンドを唱え終えるより早く盾が出現したことは、まだ良かった。招喚コマンドは所詮、イメージ形成を補助するものだ。極度の集中状態では、コマンドの完成より先にエネリアルアームが呼び出されることも、それほど珍しくはない。
    (受け止めた、だと……)
     しかし入学したばかりの新人が、自分が最も得意としているわけでもない武具で、善神の使徒である自分の攻撃を受け止めるなどあってはならないことだった。
     それとも盾が本来の武器で、槍はそうでなかったとでもいうのか。ならば荒士は、サブウェポンで自分と対等に打ち合ったということになる。それは、なおさらあり得なかった。
    「馬鹿な!」
     鷲丞は再度、激高の叫びを放ち、全力で長剣を振り下ろした。
    「馬鹿な! 馬鹿な! 馬鹿なっ!」
     一度だけでなく、二度、三度、四度と繰り返し衝撃波を放つ。
    「くっ!」
     衝撃波を受け止める度に、荒士の盾は火花を散らして徐々に削れていった。
    「ふざけるなぁ!」
     鷲丞が放った通算六度目の衝撃波。
    「ぐぁっ!」
     荒士の盾は火花の中に消え失せ、直後に起こった爆発で彼は大きく後方に吹き飛ばされた。

    「荒士君!?」
     自分のすぐ前まで吹き飛ばされてきた荒士の許へ、陽湖は彼の名を呼びながら駆け寄った。
    「荒士君? 大丈夫!? 荒士君!」
     荒士の顔の横に両膝を突いて、陽湖が青い顔で叫ぶ。
     一方の鷲丞は、ゆっくりと地上に降下した。地面に立った彼の両肩は、大きく上下していた。
     鷲丞が肩を上下させたまま足を踏み出す。
     なおも陽湖が名前を呼び続けている荒士へと近付いていく。
    「待てっ!」
     その前にハルバードを構えたイーダが立った。
     しかし――。
    「邪魔だ」
    「くぅっ――!」
     横殴りに鷲丞が繰り出した長剣の一振りで、イーダは吹き飛ばされてしまった。
     鷲丞が歩みを再開する。
     顔を上げた陽湖が、弓を構えて鷲丞に矢を向けた。
     鷲丞が長剣を、右肩に担ぐ格好で斜めに振りかぶる。
     陽湖が矢を放った。
     鷲丞は盾を装備していない左腕で光矢を面倒くさそうに払った。
     溶けるように消える光矢には見向きもせず、鷲丞は左手を長剣の柄に添えた。
     思わず目を閉じる陽湖。
     その時。
     亜空間の、空が割れた。
     邪神が封鎖した「通路」を力ずくで突破したのが、そういう風に見えているのだ。
    「下がりなさい!」
     若い女性、いや大人になりかけた少女の声と共に、その割れ目から矢が降ってきた。
    「遮るものよ!」
     鷲丞は後ろにジャンプしながらその矢を躱し、同時に盾を再招喚する。陽湖の矢と違って、この射手の矢は盾で防御しなければならない威力を持っていると判断したのだ。
     しかしそれ以上、矢は襲ってこなかった。続けて鷲丞に撃ち込まれたのは矢ではなかった。
     銃弾の雨が鷲丞に降り注ぐ。鷲丞は盾で銃撃を防御したまま、開いてしまった荒士との間合いを詰めようとした。
     それを読んでいたのだろう。光の銃弾は、踏み出した足に狙いを変えた。ブーツに光弾が命中する。ダメージは小さかったが、皆無でもない。鷲丞は足を止めた。
     割れた空からF型の神鎧を装着した従神戦士が降下して、荒士と陽湖をかばう位置に着地した。さらにその少女の左右に、やはりF型を身に着けた二人の戦士が舞い降りる。
     装甲の下のボディスーツは、三人とも紫色だった。

    「第一位階の先輩たち!? 荒士君、先輩が助けに来てくれたよ!」
     何時の間にか荒士の頭を膝の上に抱え込んでいた陽湖が、喜色を隠せぬ顔と期待を隠せぬ声音で荒士に話し掛ける。
    「……胸を押し付けないでくれ。苦しくはないが窮屈だ」
     しかし、荒士から戻ってきた返事は全く関係の無いものだった。
     陽湖は慌てて身体を起こし、両手を交差させて胸を押さえた。
    「い、いやらしい!」
     裏返った声。半透明のシールドに隠れていても、顔が赤くなっているのが分かる。
     荒士は膝枕されている状態から、ふらつきながら手を突いて身体を起こした。
    「何を勘違いしているのか知っている、、、、、けど、装甲とヘルメットで胸の感触なんて分かるわけないだろ。単に頭を抱え込まれて窮屈だっただけだ」
    「なっ……まっ、紛らわしいのよっ!」
     陽湖は八つ当たりの叫び声を荒士に叩き付け、フイッと顔を背けた。
     ――幸い、二人の場違いなラブコメは誰からも注目されなかった。
     助けに来た「紫」の三人は緊張に口元を引き締めて、鷲丞に武器を向けている。
     右側には幸織のアサルトライフルと同じタイプの銃を構えたメイ・マニーラット。
     左側にはクロスボウを消して右手に細剣レイピア、左手に小型の円盾バツクラーを装備したクロエ・トーマ。
     中央には真鶴が、長弓に矢を番えて鷲丞と荒士を結ぶ線上に立っている。
    「――まさか」
     その真鶴が不意に一言呟いて、構えていた弓を下げ矢と共に消した。
    「真鶴!?」
    「どうしたというのですか!?」
     メイとクロエが驚きと不審の声を次々と投げ掛ける。
     だが真鶴は二人の声が聞こえていないかのように反応を見せず、足を前に踏み出した。
    「まさか……。兄さん、なの……?」
     二歩、三歩とスローモーションのような足取りで鷲丞に近付きながら真鶴は問い掛ける。
    「背神兵が、お兄さん……?」「真鶴のお兄様なのですか……?」
     メイとクロエが同時に、違う言葉で同じ意味のセリフを呆然と呟いた。
     真鶴の背後では陽湖と荒士が二人とも「やはり」という表情で、顔を見合わせている。
     鷲丞は遠目にも分かる程はっきりと、身体をビクッと震わせた。
    「兄さんでしょう? 答えて!」
     そのリアクションで確信したのか。真鶴は詰る口調で、激しく叫んだ。

    「答えて!」という真鶴の叫びが、鷲丞の金縛りを解いた。
     鷲丞を縛っていたのは彼自身。思い掛けない再会と、あるはずの無い後悔で自縄自縛になっていた鷲丞は、自分を詰る声音の叫びに対して強烈な否定の衝動を覚えた。
     真鶴は鷲丞の実の妹だ。彼が懐いた後悔は、家族に何も告げずに失踪した罪悪感によるもの。
     人の情としては、罪悪感も後悔も当然のものと言えるだろう。
     しかしそれでは魔神、、の許を逃れて善神、、に帰依したことを、自分が後悔しているみたいではないか。
     そんなことは、鷲丞には断じて認められなかった。
    「――ッ!」
     無言の気合いと共に、鷲丞は長剣を振るった。

     まさか問答無用で斬り掛かられるとは、真鶴は考えていなかったのだろう。彼女は鷲丞の斬撃に対処できる態勢ではなかった。
     だがこの時、真鶴は鷲丞に斬られなかった。
     肉親の情が鷲丞の剣を鈍らせた? ――否。そうではなかった。
     鷲丞が斬撃のモーションを起こすのと同時に、彼の攻撃に備えていたクロエが二人の間に割り込んだのだ。
     クロエが左手のバックラーで、鷲丞の長剣を受け止めるのではなく受け流す。だがそのパーリングは、完全には成功しなかった。流しきれなかった衝撃でクロエはよろめいた。
     鷲丞はターゲットを真鶴からクロエに変えて、二の太刀を浴びせようと剣を振り上げる。
     クロエに振り下ろされた長剣を、今度は真鶴が招喚したばかりの太刀で受け止めた。これが通常の武器なら幅と厚みに劣る太刀で長剣を正面から受け止めるのは難しいだろうが、真鶴が手にしているのはエネリアルの武器だ。
     競り合う太刀と長剣を挟んで、真鶴は鷲丞と睨み合った。
    「くっ……、何故!」
     真鶴の問い掛けは「何故、答えないの」だったのか。それとも「何故、騙したの」、あるいは「何故、裏切ったの」だったのか。
     その質問が完成する前に、鷲丞の長剣は真鶴の太刀を押し切った。
     振り抜かれる長剣。
     真鶴は体勢を崩しながら自ら後ろに跳んで、致命的な隙が生じるのを回避した。
     鷲丞は前に踏み出した足で突っ込み掛けていた身体を止めて、盾を前方に翳した。
     光弾が盾の表面を叩く。真鶴を援護するメイのフルオート射撃だ。エネリアルアームの銃は発射音を立てない。「パパパパッ」という破裂音は、光弾が盾に弾かれる音だった。
    『――邪魔をするな、鬱陶しい』
     盾を翳したまま――盾で顔を隠したまま、鷲丞が苛立たしげな声を出した。その「声」が空気の振動ではなく思念波だと、この場の何人が気付いただろうか。それ程までに明瞭なテレパシーだった。
     その異様な迫力に、メイが思わず射撃を中断した。
     盾を叩く光弾の雨が止む。
     鷲丞が翳していた盾を下ろした。真鶴たちの側からは盾に隠れて見えなくなっていた頭部が露わになる。
    「――っ!」「――っ!」「――っ!」
     真鶴、クロエ、メイの三人が揃って息を呑む。鷲丞の頭部を覆う兜の形が変わっているのを見たからだ。
     盾で頭部を隠す前の鷲丞の兜は、フェイスガードが鼻の下まで伸びていた。つまり、口から顎は見えていた。
     だが今は、顔全体が黒銀の装甲で隠されている。両眼をのぞかせていた穴もミラーシェードのようなシールドで塞がれた。
     真鶴たちは、その意味を知っていた。
    「二人とも、Sフェーズを!」
     叫ぶ真鶴。
    「遅い!」
     間髪を容れず、鷲丞が吼えた。
     吼えながら彼は、長剣を真横に振り抜く。
     斬撃の途中で剣が伸びた。刃渡り一メートル前後の剣身に、三メートルを超える光の刃が重なった。
     メイとクロエが激しい火花と共に吹き飛ばされる。神鎧の装甲が光刃を受け止めた際に発生したエネルギーが衝撃波となって二人を襲ったのだ。二人とも肉体には傷を負わなかったが、神鎧を直撃されたことで精神にダメージを受けていた。
     真鶴は光刃に捉えられる直前、光の中に消えていた。
     鷲丞が盾を、素早く頭上に掲げる。
     その盾に、細くまばゆい光条が突き刺さった。
     それは小さな、長さわずか数センチの光矢だった。
     盾の表面に光の波紋が広がり、微少な光の矢が溶けて消える。
     盾は肉眼では分からないレベルで厚みを減じていた。
     光矢が、今度は右側面から鷲丞に襲いかかる。針のような光矢が次元装甲の表面で光となって爆発し、内部の鷲丞に衝撃を伝えた。
     直感で剣を振る鷲丞。打ち払われた次の矢がエネルギーに還り、光になって広がる。
     その光に照らされて、小妖精となった真鶴の姿が空中に浮かび上がった。身長およそ十五センチ。背中に四枚の光翅を広げて弓を携えている。Sフェーズによる変身だ。
     鷲丞の変化もSフェーズへのシフトによるもの。身体のサイズは変わっていない。だが兜の形状変化で、真鶴たち「紫」はそれに気付いた。
     Sフェーズとその前段階であるNフェーズとでは、出力が段違いだ。いや、段階が違うと言うより次元が違うと表現する方が適切かもしれない。Sフェーズはそれ程までに強力で、それに応じて装着者の負担も大きい。まさしく、神鎧兵の切り札と言える。
     アカデミー生である真鶴たちの力は、邪神の正戦士である鷲丞にただでさえ劣る。その鷲丞のSフェーズだ。真鶴たちもSフェーズにならなければとても対抗できない。だから、変身が間に合わなかったクロエとメイは呆気なく倒され、変身が間に合った真鶴だけが抵抗を続けている。
     もっとも、真鶴も攻撃を回避するのが精一杯だ。Sフェーズ同士の力量差は、Nフェーズの時よりも広がっていた。
     真鶴が鷲丞と戦い続けていられるのはF型のSフェーズが持つ「小型化しても出力は落ちない」という特性の御蔭と言えるだろう。攻撃力は落ちていないから真鶴の光矢を鷲丞は無視できない。速力を維持したまま的が小さくなった所為で、鷲丞は中々攻撃を当てられずにいる。――今のところは。
     G型のSフェーズは、F型のそれとは対照的に巨大化する。マルチバースには空中戦艦や大型機動兵器、巨大改造生物を軍事力として運用する文明もある。G型の巨大化能力は元々、それらと効率的に戦う為のものだった。
     巨大兵器が主戦力として活躍する戦場であっても、全ての戦闘ユニットがそのサイズというわけではない。体高数十メートルの機動兵器が闊歩する横で、身長百数十センチの機械化兵が強力な武器を向けてくるというケースも決して珍しいものではなかった。
     巨大化している間は同じスケールの敵にしか対応できない――というのでは、神々の戦士は務まらない。自分よりも小さな標的に対する攻撃手段も当然備えている。
     鷲丞の神鎧は通常のG型を邪神の力で強化カスタマイズした物だ。普通のG型神鎧兵にできることが、鷲丞にできないはずはなかった。
     鷲丞が身体ごと振り返る。
     そこでは今まさに真鶴が、光矢を鷲丞に射掛けようとしていた。
     鷲丞が盾を真鶴に向かって突き出す。
     円形の大盾が、全面にわたって光を帯びた。目を焼く程の強烈な輝きではないが、同時に見逃しようがない明るさだ。太陽より暗く満月より明るい光が真鶴を照らした。
     女性らしい悲鳴ではなく、投げられて叩き付けられた時に発するような苦鳴が真鶴の口から漏れる。あるいは、重量級の相手から体当たりを受けた時に発するような。
     鷲丞の盾から放たれた光は「エネルギー放射によるシールドバッシュ」とでも呼ぶべき性質の攻撃だった。その光は前方に向かって均等に拡散する形で放たれた。収束されていない分、有効射程は短い。しかし広範囲を照らす為、回避は困難だ。これは照準が難しい標的を攻撃する為の「技」だった。
     苦鳴を上げヘルメットの下の顔を歪めた真鶴が落下する。糸が切れた操り人形のように手足を投げ出して地に伏せた真鶴の身体が小妖精のサイズから人間の大きさに戻った。鷲丞の攻撃によるダメージの所為で、Sフェーズを維持できなくなったのだ。
     亜空間の戦場に立っている戦士は、鷲丞ただ一人となった。

     後輩の救助に来た「紫」のアカデミー生を全て倒して、鷲丞は一つ息を吐いて、Sフェーズを解除する。まだ任務は完了していないが、障碍は全て排除した。標的も、身体こそ起こしているものの既に抵抗する力を失っており、後は連れて帰るだけだ。
     だが、安心するのは少し早すぎた。
     鷲丞の意識内に警報が鳴り響く。神鎧のセンサーが脅威につながる変化を感知した報せだ。鷲丞は火災報知器の非常ベルの音に設定した警戒音――これは装着者がカスタマイズできる項目だ――に意識を向けた。
     しかし、彼が脅威の正体を理解するよりも早く。
    『鷲丞。残念だが、時間切れだ』
     鷲丞の許へ、彼が信奉する神の声が届いた。

    ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

     最初の内は亜空間の制御をすぐに回復できると、アカデミーでは考えられていた。亜空間を形成しているのはアカデミーのシステムだし、邪神の技術に対する神々の技術の優位を疑う者は皆無だったからだ。
     だから余計に職員の焦りと動揺は大きく、激しいものになった。
     既に十分以上、亜空間のコントロールが回復していない。人間の、、、職員の間では「こんなはずでは」という焦りと当惑と疑念が混じり合い、大きく育ちつつあった。
    『アカデミー職員の皆さん』
     そんなタイミングで、アカデミーの亜空間制御セクターに代行局から通信が入った。
    白銀しろがね卿!?」
     通信機のモニターに登場した銀髪の男性型ディバイノイドの顔を見て、職員が驚きの声を上げる。そのディバイノイドは代行局でも特殊な個体だった。
    『以後の空間制御オペレーションはこちらで引き受けます』
     ディバイノイド・白銀の言葉を聞いて職員の間に安堵の空気が流れる。中には、思わずのことだろうが、あからさまにホッと息を吐く者もいた。
     アカデミー職員から戸惑いが払拭され、その動作に秩序と積極性が戻る。白銀は神々の統治システムに関する高い管理権限を与えられた三種類、、のディバイノイドの一つ。その白銀が「引き受ける」と明言したのだ。システム修復の目処が立ったということだろう。
    『皆さんは候補生の救出に専念してください』
     白銀の言葉に、アカデミー職員は秩序と活気を取り戻した。

    ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

     ひび割れた空間が修復される。
     鷲丞がこの亜空間に侵入する際に生じた暗黒をのぞかせる大穴も、真鶴たちが助けに来た際にこじ開けた裂け目も、見る見る内に塞がっていく。
     しかし、暗黒へつながる穴が完全に閉ざされてしまう直前に灰色の靄が穴の縁にへばり付き固形化して、修復を阻む枠となった。
    『鷲丞、急いで戻りなさい』
     鷲丞の意識に帰還を促す邪神のテレパシーが届く。
     それを聞いた鷲丞は帰還路である暗黒の穴に飛び込むのではなく、上体を起こしただけでまだ立ち上がれずにいる荒士へ向けて突進した。
     咄嗟に陽湖が弓を構え、荒士は片膝立ちで槍を構えようとする。
     だが二人とも体勢が不十分だ。鷲丞の防御を撃ち抜き、剣撃をしのぐには不可能。二人ともそれを自覚していた。
     今度こそダメか――。荒士と陽湖がそう思った時。
    「――そこまでだ」
     上空から一人の戦士が降り立った。舞い降りるのではなく勢いよく落下したその戦士の長剣は亜空間の、偽りの大地に亀裂を刻んだ。
     再びタイミング良く、援軍が訪れたのだ。
     アカデミーの女生徒ではなく男性の戦士。関節部からわずかにのぞく、甲冑の下のボディスーツは光沢のある黒。つまり、正規の従神戦士だ。
     ご都合主義にも見えるが、この亜空間を作ったのはアカデミーで、アカデミーには代行局が隣接している。むしろギリギリになるまで従神戦士が駆け付けられなかったことの方が、邪神側に都合が良すぎるとも言えるだろう。
     助かった、という思いを懐いたのは、荒士と陽湖の二人だけではなかった。

     邪神側の当事者である鷲丞には「ご都合主義」などと愚痴を零す余裕は無かった。彼はフェイスガードの下で顔を引き締め、長剣をしっかり握り直した。
     鷲丞は緊張していた。相手はアカデミーの生徒ではなく正規の従神戦士。――理由はそれだけではなかった。
     荒士たちの救助に現れた従神戦士が着けている神鎧はスタンダードなG型だ。ぱっと見の印象はスマートなフルプレートアーマー。兜にも角や鍬形や羽根のような飾りは付いていない。
     ただ兜には通常、両目だけがのぞいているフェイスガードが付属しているのだが、その従神戦士は顔を露わにしていた。
     その顔を、彼が何者であるかを鷲丞は知っていた。
    (魔神の英雄……今能翔一)
     この、、地球の人間で最初に神鎧兵となった七人の内の一人で、唯一今も現役として第一線に立ち続けている従神戦士の象徴的な存在。
     鷲丞の緊張は恐れにより生み出されたものではなかった。
    (ここでこいつを倒せば……)
     興奮の裏返しの緊張。功名心がもたらす、武者震いのようなものだった。
     今能翔一は現在地球防衛の任に当たっている従神戦士の、精神的支柱のような存在だ。ここで彼を倒すことは、今後の戦いに大きな意味を持つ。鷲丞の意識は、その思考で占められた。
     今能翔一が手強い敵であることは、見ただけで分かる。今までで最強の敵だ。
    (だが、勝てない相手じゃない)
    (いや、勝つ! こいつは必ず、ここで倒す!)
     鷲丞はもう、荒士を見ていなかった。目の前にちらつく大金星に、彼は目的も状況も見失っていた。
     闘志をむき出しにした鷲丞の眼差しを、翔一は冷静に受け止めている。――いや、「冷静」と言うよりも「機械的」という表現の方が相応しいかもしれない。
     相手にしていないのではない。見下してもいない。翔一は鷲丞のことを、敵としてきちんと認識している。応戦の構えも取っている。
     だが、それだけだ。翔一は任務を遂行する為に牽制の、、攻撃を仕掛けた。攻撃されれば、反撃する。そこに感情の介在は見えない。
     ただ、為すべきことを為す。そこにあるのはインプットに従ってアウトプットを返す、機械のような分かり易さだった。その揺らぎの無さが、翔一から隙を消していた。
     対峙する鷲丞に焦りが生じる。「倒す」と決めたにも拘わらず、攻撃に移る切っ掛けを彼は掴めずにいた。無理に仕掛けても手痛い反撃を喰らうだけ。それが理解できるから、鷲丞は動けなかった。
     焦りが段々と大きくなっていく。自分の精神状態がまずいものだと分かるから、焦りはますます膨張していく。今はまだ焦りを自制心が上回っている。だがそれも、何時まで持つか分からない。自分を抑えられなくなって無謀な突撃に走れば、待っているのは無様な敗北だ……。
     鷲丞の精神状態は悪循環に陥っていた。焦りを意識すればするほど焦ってしまう。だからといって、この場を退くという決断もできない。
    『戻りなさい、鷲丞』
     この鷲丞にとって二進にっち三進さっちも行かない状況を打開したのは、邪神アッシュだった。
    「ハッ、しかし」
    『作戦は中止だ。鷲丞、これは命令だよ』
    「了解しました!」
     自分自身の意思よりも「神の御心」が優先する。それは鷲丞にとって考える余地も迷う余地も無い真理だった。
     鷲丞は直ぐ様「暗黒へつながる穴」へ飛び込んだ。
     その直後、「穴」を固定していた灰色の靄が消え去り、「穴」は見る間に閉じていく。
     翔一は鷲丞を、追跡も追撃もしなかった。