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NOVELS書き下ろし小説
- 魔法科高校の劣等生司波達也暗殺計画
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【2】アカデミー入学
神々が自らの軍勢に加わる戦士を育成する為の施設、アカデミー。
神々に代わり地球を統治する『代行官』とその手足となって働く『代行局』は、地球上に七ヶ所のアカデミーを建設した。
小アジア・トルコのアララト山麓に設けられた『アララトアカデミー』。
アフリカ・タンザニアのキリマンジャロ山麓に設けられた『キリマンジャロアカデミー』。
北アメリカ・USAのレーニア山麓に設けられた『レーニアアカデミー』。
南アメリカ・エクアドルのチンボラソ山麓に設けられた『チンボラソアカデミー』。
オーストラリアのマウント・オーガスタス山麓に設けられた『オーガスタスアカデミー』。
オセアニア・ハワイのマウナ・ケア山麓に設けられた『マウナ・ケアアカデミー』。
極東アジア・日本の富士山麓に設けられた『富士アカデミー』。
以上の七つである。
代行局によって運営されるアカデミーでは毎年九月一日午前九時に、一斉に入学式が行われる。――「一斉に」と言っても現地の暦で九月一日午前九時だから、世界で最初に入学式が行われる富士アカデミーと最後に入学式が行われるマウナ・ケアアカデミーでは約一日の時間差があるのだが。
そして神暦十七年(西暦二〇一七年)最初のアカデミー入学式が、今まさに富士アカデミーで始まろうとしていた。◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
富士アカデミー入学式を前にした新入生――新たな従神戦士候補生は全員が今、整然と並べられた講堂の椅子に腰掛けている。席順の指定は無かったので、知り合いがいる者は顔見知り同士、そうでない者は適当に座っていた。
新島荒士は前者。ただし知人は一人だけ。その旧友の少女――世間一般では「幼馴染み」と表現する――が隣の席から話し掛けてきた。
「予想どおり、注目を集めているね」
少女の名は平野陽湖。身長は百五十センチ台半ばと小柄だが、十六歳の日本人女性にしてはメリハリの利いた体型、ショートボブにした艶やかな黒髪と長い睫に縁取られたくっきり二重瞼の目が印象的な美少女だ。
彼女が言うように、荒士は注目を集めていた。こっそり盗み見る視線だけでなく、ぶしつけに品定めするような視線も少なくない。
「予想どおりか。分かっちゃいたがな……」
嘆息する荒士。彼の顔には、諦めの表情が浮かんでいた。
富士アカデミーに今年入学する候補生の数は百十二名。その内、百十一名はスタンドカラーの白いジャケットに白のプリーツスカートの制服を身に着けている。
富士アカデミーはF型――『タイプ・フェアリー』の神鎧適合者専門の訓練機関だ。F型適合者は去年まで、女性のみだった。神鎧にはF型の他にG型――『タイプ・ギガース』があって、こちらは現在も適合者は男性のみである。
百十二名の内で、ただ一人プリーツスカートを穿いていない――白のスラックスを穿いたその一名が、この星で 初めて見付かった男性のF型適合者、新島荒士だ。これでは、目立たない方がおかしい。荒士本人も、諦念と共に受け容れるしかなかった。
二日前、邪神群に寝返った神鎧の適合者、「邪神の戦士」である『背神兵』の襲撃を受けた荒士と陽湖は今年「神々の戦士」となったばかりの陽湖の姉、平野名月に警護されて昨日、富士アカデミーに到着した。そして今日、こうして無事入学式に出席している。
「本当にな。勘弁して欲しいよ」
うんざりした声で荒士は愚痴を追加した。
「しかたないよ。何てったって、世界初だもの」
陽湖にしてみれば慰める意図のセリフに違いない。しかし反論しようがない客観的な事実であるだけに、遣り場のない苛立ちを荒士の中に蓄積する結果にしかならなかった。
「アカデミーの生徒に選ばれたんだから、文句を言うのは罰当たりかもしれないが……別に女子校じゃなくても良くないか?」
許容量を超えた不満が、ついつい荒士の口から溢れ出る。
「代行官様の決定に文句を言うのは止めた方が良くない?」
しかしそれは神々に対する不満とも解釈できる言葉だ。陽湖は慌てて幼馴染みをたしなめた。
神鎧の適格者を選び出す検査は満十五歳を迎えた子供たちに対して、世界中で本人が気付かぬ内に実施される。そして十二月三十一日までに判明した適格者に対して、翌年の二月に検査結果がその国の政府を通じてではなく、その地区を所管する代行局より直接通知される仕組みだ。その際に入学先のアカデミーも指定される。そこに本人の都合や希望は考慮されない。
「――そうだな。言っちゃいけないことだった」
真面目な顔で反省を口にする荒士。
こっそり左右を見回していた陽湖は、咎める視線が無かったことに安堵した。
「それに富士アカデミーは女子校じゃないよ」
緊張の反動だろう。陽湖が悪戯っぽい表情で軽口を叩く。
「それくらい知ってるさ。何より、男の俺が入学できたんだからな」
荒士はなおも、何か言いたそうな顔をしていた。
しかし彼が言葉を重ねる直前、演壇に変化が生じた。
新入生の全員が自発的に姿勢を正す。
百十一名の少女と一人の少年が注目する先に、二対四枚の光翅を背負った人影が忽然と出現した。翅が放つ光でディテールは見て取れないが、シルエットから女性だろうと推測できる。
二メートルの上空に出現した女性は、光の翅を広げたままゆっくりと演壇上に下り立った。
光翅が消える。
その女性の詳細な姿形が、新入生の目にようやく明らかになった。
両耳にメタリックな羽根飾りがついた銀色の兜を被り、同じく銀色の胸甲とガントレットとアーマースカートを紫色のボディスーツの上に着けている。膝から下は、すね当てと一体化した銀色のブーツ。
新入生の間から「神鎧……」という複数の呟きが様々な言語で 漏れた。
アカデミー入学が決まった適合者には、検査結果の通知と同時に学習用VR端末が代行局から貸与される。新入生はその端末で、入学までの半年を使って事前に最低限必要な知識を習得するよう義務付けられている。
だからここにいる百十二名全員が、これから自分たちに与えられる「神々の武具」がどのような物なのか知っている。しかし同時に、神鎧を実見したのは荒士と陽湖を除き、初めてだった。彼女たちの反応は、むしろ控えめだったと言える。壇上の少女が新入生に話し掛けた。
不思議と 良く通る声だ。マイクも使わず声を張り上げている様子もないのに、彼女の声は講堂の最後列まではっきりと聞き取れた。
「私は当アカデミーの首席候補生、古都 真鶴 です」
(こみや?)
その苗字に、荒士は聞き覚えがあった。彼を襲った背神兵のことを、陽湖の姉の名月は「こみやしゅうすけ」と呼んでいた。音韻の印象からして「こみや」が姓だろう。
どんな字を当てるのかを別にすれば、日本人の苗字として「こみや」はそれ程珍しいものではない。だが何故か荒士には、偶然とは思えなかった。
彼は隣に座る陽湖の顔を、横目で窺った。彼女は壇上の女生徒を食い入るように見詰めている。その眼差しで、陽湖も自分と同じ疑惑を懐いていると荒士には分かった。
二人は無言で神々の鎧を纏った年上の少女を見詰めていたが、彼らの周りでは沖合から届く潮騒のようなざわめきが起こっていた。首席候補生という名乗りに新入生が反応したものだ。
しかし講堂はすぐに静けさを取り戻した。誰から注意を受けたわけでもない。自分たちが「選ばれし者」だという自覚が新入生の少女たちに秩序を思い出させたのだろう。
「新入生の皆さん、富士アカデミーへようこそ」
ざわめきが静まったのを見て、少女――真鶴が話を再開する。
「今、私が身に着けているこれが神鎧。邪神と戦う為に、人類に下賜される神々の鎧です。皆さんは既にご存じだと思いますが、ここ富士アカデミーをはじめとする各アカデミーは普通の意味の学校ではありません。神々から賜った武具である神鎧の使い方を修得し神々の戦士となる為の訓練施設です。皆さんは学び舎の生徒ではなく戦士の候補として訓練される者、候補生です。まず、それを心に留めておいてください」
新入生の多くが緊張に顔を強張らせた。真鶴の言葉に、ここが軍事施設で自分たちは兵士になる為に選び出されたのだと、少女たちは改めて思い出していた。
「私がここに立っているのは、候補生の代表としてではありません。アカデミーには候補生による自治組織の類は存在しません」
生徒会長ではないんだな、と荒士は心の中で呟いた。壇上の少女、真鶴は荒士が思い描く「生徒会長」のイメージそのままの外見と雰囲気を持っていた。
「アカデミーでは教官の補佐を務める候補生が新入生のケアを担当します。これをアカデミーでは便宜的にチューターと呼んでいます」
ここで真鶴が、右手の指先で喉元に触れる。立ち所に神鎧が光になって消え、真鶴は制服姿になった。
デザインは新入生と同じ、スタンドカラーのジャケットにプリーツスカート。
だが、色が違った。上下白の新入生に対し壇上の、真鶴が纏う色は紫。
兜が消えたことで露わになった艶やかな黒髪は、六・四分けのストレートロング。それはスレンダーな真鶴の雅な雰囲気に、とても良くマッチしていた。
彼女の素顔に、実年齢は自分たちとほとんど変わらないのでは? と意外感を覚えた新入生も少なくない。荒士もその一人だった。おそらく、三歳も離れていないだろう。彼は年上の少女が纏う大人っぽい雰囲気に惑わされず、そう思った。
「後ほど教官からご説明があるかと思いますが、アカデミーの制服の色は位階を表します。皆さんは第五位階『白』。私の制服は第一位階『紫』を意味しています。チューターの役目を与えられるのは『紫』の候補生です」
荒士を含め彼女の容姿に気を取られていた新入生の視線が次のセリフによって、真鶴が着ている制服へと改めて吸い寄せられる。自分たちが纏うまっさらな、つまりは何の経験も反映していない「白」とは違う、見るからに身体に馴染んでいる「紫」の制服。
つまり紫の制服を着ている上級生 が俺たちの指導係 というわけか。――荒士はそう思った。
「現在、このアカデミーに在籍している第一位階『紫』は、私を含めたこの七人です」
真鶴がこう言った直後、彼女の頭上に紫の制服を着た六人のバストショットが空中投影された。各空中静止画像の下部には「クロエ・トーマ」「ソフィア・ウェーバー」「ツァイ・メイリン」「メイ・マニーラット」「ルシア・ペレス・ロドリゲス」「レベッカ・ホワイト」の氏名が表示されている。
「アカデミーでの生活で悩むことができたら、遠慮無く私たちチューターに相談してください。富士アカデミーは学校ではありませんが、私たちは『従神戦士』となる為に学ぶ仲間です。一人でも多くの候補生が『従神戦士』となれるよう、共に切磋琢磨して参りましょう」
六人分の空中映像が消える。
「皆さんの奮励を期待しています」
真鶴はそう締め括り、演壇を降りて舞台裏に消える。
彼女に代わって、人間ならば二十代半ばに該当する女性体が登壇した。
「女性」ではなく「女性体」と表現したのには、もちろん理由がある。
褐色の肌に彫りの深い顔立ち。アッシュブロンドの髪に灰色の瞳。そして耳朶の無い、尖った両耳。神々の侵略を受けなかった もう一つの地球の日本人少年ならば「ダークエルフ」という架空の種族名を思い浮かべたことだろう。――ただし耳は長くない。
しかしこの世界の若者は、彼女の本当の正体を知っている。直接目にするのは初めてでも、マスメディアで一度ならずその姿に触れたことがあるはずだ。少なくともこの場に集められた少女たちは――無論ただ一人の少年も――彼女を「ダークエルフ」と呼んだりはしない。
白のレディーススーツ上下に身を包んだ壇上の女性体は『ディバイノイド』。神々が地球統治の為に創造した「人造人間」ならぬ「神造人間」だった。
「私は第五位階『白』の担当教官『白百合 』です。今日から一年間、皆さんを指導します」
彼女の話は自己紹介から始まった。
「当アカデミーの訓練に座学はありません。必要な知識はHVRデバイスで直接記憶してもらいます」
この話は、新入生にとって目新しいものではない。
HVRデバイス――睡眠学習用VR端末 。
神々の技術に関する知識を直接脳に書き込む装置。新入生に事前貸与された学習用端末もこれだ。候補生は既に、アカデミーで教育を受けるに当たって必要な事前知識と、合わせて大学教養課程に相当する知識をこの装置を通じて与えられている。
「訓練は実技の練習と演習です。基本的に四人一組のチーム単位で行います。チームは今からお配りする携帯端末で通知します。皆さん、利き手ではない方の手をこういう風に、顔の前に掲げてください」
ディバイノイド・白百合にならって新入生が一斉に、片手を顔の前に立てて掲げた。荒士と陽湖も左手を目の前に立てる。それを待ち構えていたように彼女たちの手首を光の輪が包み、一秒後に半透明の腕輪になった。
驚きを示すざわめきが講堂のあちこちで起こる。だがそれはすぐに収まった。
「操作方法はHVRデバイスで既に学んでいると思います」
ディバイノイドが言うように、この腕輪のことは事前学習で教えられていた。
「試しにチームメイトのデータを呼び出してみてください」
荒士は指示されたとおりに、思念波でインフォリスト――Information Wristbandの地球現地語略称。Info Listではない――を操作する。
目の前に、自分だけに見える幻影のモニターウインドウが出現し、そこに彼がチームを組む女子生徒の名前が表示された。
「……あーっ、残念。荒士君とは別のチームか」
隣の席で、陽湖が声を上げてぼやいた。
「分かっちゃいたけど、女子の中に男子は俺一人だな」
しかし失望は、淡々と呟いた荒士の方が強い。
「仕方無いよ。富士アカデミー全体で見ても、男子は荒士君一人だもん。まあ……ファイト?」
「励ますのなら疑問形は止めてくれ……」
陽湖の無責任なエールに、荒士は呻き声で抗議した。
「静かに」
ディバイノイド・白百合の注意に、荒士と陽湖以外にも私語をしていた候補生の声が一斉に静まる。
「この後、チーム単位で身体測定を行い、神鎧の招喚器を配布します。本日はこれで解散です。招喚器を受け取ったチームから寮に向かってください」
演壇上で真鶴が実演して見せたように神鎧を外す際は、一々手で脱いだりはしない。これは着用する際も同様で、神鎧は指先一つの操作で自動的に装着される。そのための道具が招喚器、代行局の正式名称は『神鎧コネクター』だ。単にコネクターと呼ばれることも多い。
(しかし、身体測定か……)
ディバイノイドの指示に、荒士は困惑を覚えていた。
アカデミーの男子候補生は荒士一人。まだ顔も知らないが、同じチームの三人も女子のはずだ。チーム単位の身体測定ということだが、どの程度の測定をするのだろうか。もし服を脱いで行うものなら、気まずさはこの上ない。
しかし荒士の心配は、杞憂で済んだ。
「なお一部の候補生についてはチーム単位ではなく、個別の指示に従ってください」
そう言ってディバイノイドの白百合が壇上から引っ込んだ直後、彼のインフォリストに着信のサインが点った。荒士はすぐにメッセージを開く。そして、無意識に眉を顰めた。
他の候補生がチーム単位で集まり始める中、荒士はただ一人、講堂の外へ足を向ける。
「あれ? 荒士君、何処行くの?」
その背中に、陽湖が不思議そうに声を掛けた。
「俺だけ場所を変えろってさ」
「そっかぁー。黒一点だもんね」
荒士の答えに、陽湖は「納得」とばかり頷いた。
「紅一点の反対語なら、せめて白一点にしてくれよ」
荒士のどうでも良いツッコミ。
「アカデミーじゃ、白より黒の方が偉いんだよ」
それに対して陽湖も、言葉遊びでしかない応えを返す。
「はいはい、じゃあな」
荒士は陽湖に背を向けた体勢でお座なりに手を振った。
「後で部屋まで遊びに行ってあげるね」
荒士は陽湖のセリフに反応を見せず、講堂を後にした。◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
インフォリストから空中に表示された幻影の地図に案内されながら荒士は、講堂と渡り廊下でつながれた隣の建物に入り「第一指導室」と書かれた部屋の前に立った。
荒士は一度深呼吸してから、扉をノックした。
「新島荒士です」
ノックの音ではなく荒士の声に反応して、扉が自動で開く。
見た目の印象から普通の木製引き戸だと思い込んでいた荒士は、スムーズに開いた扉に少なからず意表を突かれた。
「――失礼します」
荒士は動揺を残した顔で――自分では平然としているつもりだ――指導室に入る。
室内には向かい合わせに置かれたハイバックの椅子が二脚。テーブルは無い。その椅子の片方にディバイノイドの白百合が座っていた。
「そちらに掛けてください」
白百合が前置き無しで荒士に座るよう命じる。
「はい」
荒士は大人しく命令に従い、ディバイノイドの正面に進んで手振りで指図された椅子に腰を下ろした。
ディバイノイド・白百合の服装はレディーススーツ上下に薄手のストッキング。
正面から彼女の姿を認めて、荒士は心の中で首を捻った。
講堂の壇上では膝下丈のタイトスカートだった。ところが今は、スカート丈が膝上五センチ、いや、十センチはあるだろうか。肌の色と同じ褐色のストッキングに包まれた太ももが大胆に露出している。
(いつの間に着替えたんだ?)
彼は苦労して視線を剥がしながら――残念ながら完全には目を逸らせず「チラ見」になっただけだった――現実逃避気味にそう思った。
荒士の表情を、というより視線を読んで、白百合が含み笑いを零す。
「新島候補生。私は講堂の壇上にいた『白百合』とは別個体ですよ」
「は……?」
荒士は言われたことが理解できないという表情を浮かべた。ディバイノイドの顔立ちは肌の色と耳の形を除けば北欧系白人のもので、日本人である荒士には細かな見分けが付かないかもしれない。だが目の前の『白百合』に関して言えば、壇上の『白百合』と寸分違わず同じ顔だと荒士は自信を持って断言できる。
この荒士の考えは、正解でもあり、思い違いでもあった。
「私たちディバイノイドは用途に応じて幾つかのタイプに分かれているのですよ。知らなかったのですか?」
可笑しそうに白百合が問う。
「いえ、位階ごとに別タイプのディバイノイドが教官を務めてくださることは、事前に教わっていますが……。あっ!」
返答の途中で、荒士は「しまった!」という表情で声を上げた。
「どうしたのですか?」
白百合は荒士の無作法を咎めず、ただ不思議そうに訊ねた。
「すみません! 教官に対して、その、無遠慮にディバイノイドなんて……」
「ああ、構いませんよ。ディバイノイドという単語は別に、蔑称ではありませんから。私たち自身も使っていますし」
白百合が宥めても、荒士は焦りと緊張で顔を強張らせている。
これ以上この話題を引っ張っても時間を無駄にするだけだと考えたのか、白百合は自分から種を明かした。
「私たちはタイプごとに同一のデータから作られています。一種のクローンですね。ですから、第五位階『白』を担当する『白百合』は、全員が同じ顔、同じ外見の身体を持っているのです」
「別人なんですか……?」
「ええ」
「別人」という、ディバイノイドを人のカテゴリーに含める荒士の思考のあり方に、白百合は愛想笑いではない笑みを浮かべながら頷く。
「じゃあ……『白百合』という教官のお名前は、種族名みたいなものなんですか?」
遠慮がちに荒士が訊ねる。
「いえ、私たちは全員が『白百合』ですよ」
荒士の問い掛けに対して、白百合は首を振る仕草を伴わず否と答えた。
「……?」
ディバイノイドが何を言おうとしているのか理解できず、荒士は呆けてしまう。
白百合は荒士の困惑を放置するような、意地の悪い真似はしなかった。
「ディバイノイドの意識は仕えている各地の代行官 ――オラクルブレインに接続されていて、タイプごとに意識を共有しています。ですから、『白百合タイプ』は全員が『白百合』なのです」
神々が自らの代理人として地球に置いた代行官 の正体は、巨大で超高度な光量子コンピュータだ。物質文明を育んできた地球人にも理解しやすいよう、技術レベルはまるで違うが、地球の科学技術の延長線上にある巨大建造物として設置されている。それが『代行官 』であり、ハードウェアとしての名称が『オラクルブレイン』。この事実は秘密でも何でもない。
その予備知識があっても、荒士は混乱を免れなかった。
どれほど高度な人工知能であろうと、オラクルブレインは結局のところ機械でしかない。その機械を介して意識を共有しているというのがどんな状態なのか、平凡な地球のテクノロジーの中で育った彼にはピンと来なかったのだ。
荒士は「分かったような、分からないような」という顔をしている。
「そういうわけですので、私のことも『白百合』と呼んでください。……そろそろ本題に入りましょう」
この場で荒士に理解させるのは難しいと判断して、白百合は話題を変えた。
「新島候補生。貴男は富士アカデミーで、現在唯一の男子生徒です」
「――はい」
改めてディバイノイドから突き付けられた事実に、荒士は不満を表に出さぬよう気を付けながら言葉少なに頷く。
「外見も悪くありません。これから少なくない女子生徒が、貴男に好意を寄せることになるでしょうね」
「俺、いえ、私は、モテたことなどありませんが」
謙遜ではなく本気で、荒士は白百合の言葉を否定した。
「だから、これから ですよ」
「はぁ……」
白百合の意図が理解できず、荒士は曖昧に相槌を打った。
「新島候補生も若い男性ですから、魅力的な女性に言い寄られれば悪い気はしませんよね?」
「それは、まあ」
「アカデミーは男女交際を禁じてはいません。神々もそこまで地球人の私生活に干渉する意思は無いのです」
「……そうですか」
「正直に答えてください。新島候補生に恋人ができたと仮定します。ある程度お付き合いが進展すればキス、もっと関係が深まればセックスをしたいと思いますよね?」
思いがけず突っ込んだ内容の質問に、荒士は動揺を露わにしてしまう。
「なっ!? ……それは、ええと」
多感な十六歳の少年には答えにくい質問だった。相手が(少なくとも外見上は)魅力的な美女であれば尚更だ。
「……多分」
しかしじっと見詰める白百合の視線に逆らえず、荒士は赤くなった顔で正直に頷いた。
「セックスをするような仲になって、完全な避妊が可能だと思いますか?」
「それは、その……」
そもそも荒士は避妊に関して、一通りの知識しか持っていない。この国では、女子に対しては早くから充実している母体保護教育も、男子に対しては――もう一つの地球と同様に――疎かにされる傾向があった。
「……自信がありません」
荒士はますます赤面して俯きながら、要求されたとおり正直に答える。
白百合は真剣そのものの表情で頷いた。
「訓練課程における妊娠は不可避のブランクを生み、能力の向上を妨げてしまいます」
ここで荒士は「神々の技術ならば候補生が何もしなくても完全な避妊が可能なのでは?」という疑問を懐いた。
「アカデミーの役目は一人でも多くの戦士を神々の戦列に送り届けること。この目的にとってマイナスになる要因を、私たちは看過できません。ですから、新島候補生に候補生の恋人ができても、セックスはなるべく 控えて欲しいのです」
だが白百合は、当然かもしれないが、恥ずかしげな素振り一つ見せず大真面目に語っている。
見た目は二十代半ばの美女が十六歳の少年に、セックスを控えろと。
「これは絶対ではありませんし命令でもありませんが、私たち『白百合』からの強いお願いです。どうでしょうか」
魅惑的な(見た目は)少し 年上の美女にこのような「お願い」をされて「否」と言えるミドルティーンの少年がいるだろうか?
「……分かりました。恋人ができても、その、しません」
少なくとも荒士に、そんな度胸は無かった。
彼は気恥ずかしさに耐えるのが精一杯で、理不尽だと怒ることもできなかった。
顔を赤くして小刻みに震える荒士の力みを解きほぐすように、白百合が親しみを込めた笑顔で笑い掛ける。
「新島候補生、勘違いをしていますよ」
白百合が少し悪戯っぽく首を横に振った。人間よりも表情が豊かで、魅力的かもしれない。
「同じ生徒同士では、です。相手が生徒以外なら、私たちは干渉しません。いえ……」
白百合が身を乗り出し、思わせぶりに声量を下げた。
「むしろ、推奨します」
「ええっ!?」
荒士の口から素っ頓狂な声が漏れる。
白百合がそれまで揃えていた脚を組む。
あからさまな挑発だが、荒士の目はそれに抗えず、タイトミニのスカートから伸びる薄手のストッキングに包まれた脚に引き寄せられた。
「先程も言ったように、アカデミーの目的は一人でも多くの従神戦士を送り出すことです。それは神鎧の適合者を育てることと同義です」
いきなりシリアスな方向に話題が変わって、荒士は慌てて目を白百合の顔に向け直す。
しかし彼の意識はまだ、白百合の魅惑的な脚線美に引きずられていた。
「神鎧への適合性は、先天的な要素に大きく左右されます。これは肉体的な遺伝情報とイコールではありませんが、ある程度の相関関係が確認されています。遺伝情報が関係するなら、選び出された候補生同士の子女は高い適性を持っている確率が高いのではないかと、私たちも地球人も考えました」
そんな荒士の精神状態を、おそらくは見通した上で敢えて、白百合は事務的な口調で真面目な話を続けた。
「しかし結果は、これまでのところ思わしくありません。神々の戦列に加わった地球人の戦士に子供が生まれた例はまだありませんが、G型適合者とF型適合者の間にできた子女が高い適合性を持つ確率は、期待された程ではありませんでした」
この話に、荒士は意外感を覚えた。
目の前にいるディバイノイドのように、人間 を合成することができるくらいだ。遺伝子操作くらい、神々には造作もないことではないのだろうか。
それとも「神々の戦士」としての適性は、遺伝子以外のファクターで決まるのだろうか? ――荒士はそんな風にも思った。
「そこで私たちは考えました。タイプの異なる適合者同士では有意の相関性が認められなくても、同じG型同士、F型同士であれば異なる結果が得られるのではないかと。オラクルブレインも、この仮説を支持しました」
ディバイノイドが意味ありげな眼差しを荒士に向けた。
話がここまで進めば、荒士にも白百合が何を言いたいのか見当が付く。
「残念ながらこの世界では、女性のG型適合者はまだ現れていません。しかし男性のF型適合者は見付かりました。新島候補生、貴男です」
だが分かっていても、荒士は白百合が向ける一際強い視線に硬直してしまう。まるで蛇に睨まれた蛙の、金縛り状態に陥っていた。
「当アカデミーの職員は、半数以上が元候補生。つまり、F型適合者です。彼女たちは全員が三十歳以下で、二十歳を過ぎたばかりのF型適合者も大勢います。もしも貴男と彼女たちの間に子供ができたら、その子供たちの養育に必要な費用は代行局が負担します。希望があれば養育そのものも引き受けますよ」
「…………」
荒士は現在十六歳。早い者は最後まで 経験している年頃だ。だが同時に彼の年齢で、実際に子供を作ることまで考えている男子は、少なくとも日本人にはほとんどいないだろう。
とんでもなく飛躍した話に、荒士は意識が飛びそうになった。
「もし、恋人でもない女性とそういう 関係を築くのに抵抗があるのなら……、まず『私たち』で慣れても良いのですよ。私たちディバイノイドの肉体は地球人とほとんど同じですし、だからといって妊娠することはありませんから」
白百合は艶然と微笑んで、これ見よがしに足を組み替えた。薄手のストッキングに包まれた形の良い足が、一瞬、根元まで露わになる。
「い、いえ! 結構です!」
飛び掛けていた意識が戻ってくる。荒士は興奮よりも焦りで、金縛りから抜け出した。
「フフッ。今ここで、とは言っていません。でも、リビドーを持て余したらすぐに相談してくださいね。何時でも、お付き合いしますから」
笑ってはいるが、このディバイノイドは冗談で自分をからかっているのではない。白百合は本気でお付き合い するつもりだと荒士は理解した。
……というより、彼女から滲み出るプレッシャーで理解させられた。
「お、お話はそれだけでしょうか!?」
喰われる 。
そう直感した荒士は、逃げ腰で立ち上がった。
「ええ、注意事項は以上です。では端末の指示に従って、身体測定に向かってください」
白百合は直前までの態度から一転して、教官に相応しい理知的な口調と表情で荒士にそう告げた。
「分かりました!」
だからといって、荒士の警戒感は消えない。彼は逃げ出すように指導室を後にした。
「失礼します」と深く頭を下げたままの荒士の前で、ドアが自動的に閉まる。その前に顔を上げていたなら、自分の直感は間違っていなかったと彼は確信しただろう。
荒士を見送る白百合は、そんな目をしていた。◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「へぇ~、そんなこと言われたんだ」
予告どおり荒士の部屋へ遊びに来た陽湖は、興味津々の表情で荒士の話を聞き終えた後、面白がっているというよりむしろ感心しているような口調でそう言った。
時刻は夜九時。候補生の寮は個室だった。風呂は各部屋に付いているが、食事は食堂で摂る形式だ。二人とも既に夕食を済ませている。
ただし、時間も席も別々だ。陽湖は同じチームになった三人と一緒にテーブルを囲み、荒士は食堂の隅に一人きりだった。
そのことに荒士は不満を覚えていない。彼の心に、そんな余裕は無かった。
「まったく……。俺は種馬かよ。盛りのついた猿じゃあるまいし、『孕ませて良いよ』『そうですか、では遠慮無く』なんて気になれるものか」
「でも、ヤってみたかったんじゃない?」
仏頂面の荒士に、明らかにからかっている顔で陽湖が訊ねる。
そのあからさまな表現に、荒士は顔を顰めた。
「女子が『ヤる』なんて言うな。白ける」
「あはは、純情~。童貞君はこれだから」
ケラケラ笑う陽湖を、荒士が憮然と見る。
「……お前だって処女じゃないか」
この反撃を受けて、陽湖はたちどころに余裕を失い顔を真っ赤にした。
「しょ、処女には黄金の価値があるんだよ! 鉄屑以下の童貞と違って! 第一、女の子にそんなこと訊くなんてセクハラ!」
「質問じゃねーよ。そもそも言い出したのは陽湖じゃないか」
「うるさい! セクハラダメ! セクハラ禁止!」
「はいはい、悪かった。許してくれ。……まったく、どっちが純情なんだか」
後半のセリフを、荒士はため息と共に小声で呟いた。
「何か言った?」
しかし陽湖は聞き逃さなかったようだ。彼女は明らかに何を言われたのか分かっている顔で、幼馴染みに詰め寄った。
「いいや、何にも」
とぼけることで、荒士は言い争いを避けた。
荒士が無意識に、首に巻かれたチョーカーを撫でる。チョーカーはおろか、普通のネックレスもしたことが無い荒士にとってはどうにもしっくりこないのだ。この違和感に気を取られたことも、面倒ごとを避けた理由だろう。
陽湖の首にも、正面に虹色の微光を放つクリスタルに似た宝珠がはまった、同じデザインのチョーカーが巻かれている。この宝珠が神鎧の招喚器である『神鎧コネクター』だった。
「……でも、どうするの? 冷やかしとは思えないけど」
荒士が折れて見せたことで少し冷静になった陽湖が、脱線していた話題を元に戻す。
「冷やかしじゃないって?」
一方、荒士の方では既に終わった話だったようで、陽湖が何を言いたいのかすぐには理解できなかった。
「だからさ。教官とか職員とか、向こうの方から迫ってくるんじゃない? 自分の意思で、なのか、命令されて仕方無く、なのかは分からないけど」
「……気分の悪い話だな」
ありそうなことだと荒士も思ったのか、陽湖の指摘を否定せず眉を顰めた。
「相手は神様だからね。私たちがどう感じるかなんて、余り気にしてないと思うよ」
そう言いながら、陽湖の眉間にも皺が寄っている。
「そりゃそうかもな」
陽湖が不快感を見せたことで、荒士は逆に事態を客観視する精神的な余裕を得た。
「さっきも言ったように、種馬扱いされるのは気に食わないけど……。女にもてるのは、楽しみな気がする」
「荒士君、年齢イコール彼女いない歴だもんね」
陽湖が「ニシシ」と馬鹿にするように笑う。荒士から苛立ちが消えたことで、彼女もいつもの調子を取り戻していた。
「ほっとけ」
荒士は面白く無さそうにそっぽを向く。だが、不愉快な気分にはなっていない。その証拠に彼の口元は、軽く緩んでいた。
「まっ、楽しめるなら良いんじゃない? でも、本気になっちゃダメだよ」
「何でだよ?」
荒士がこう問い返したのは、ポーズではなかった。彼は本気で「訳が分からない」という顔をしていた。
「何ででも」
陽湖が明後日を向く。
彼女の態度に「訊いても答えは得られない」と付き合いの長さで覚った荒士は、陽湖を問い詰めようとはせずただ首を捻った。◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
世界各地の代行局とアカデミーには物質転送機があって、地球上の任意の場所に
転移 できる。また神鎧の招喚器であるコネクターを付けていれば、任意の場所から代行局の転送機へと転移 できる。
だから代行局員は普段、代行局敷地内の宿舎での生活を義務付けられてはいるが、転送機を使って何時でも――無論、許可は必要だが――実家に戻ることが可能だった。
神暦十七年九月一日、富士アカデミーの入学式が執り行われた日の夜。代行局所属・富士アカデミー職員の鹿間多 光 は父親に呼び出されて東京の実家に戻った。
彼女の父親の鹿間多盛 は防衛省の幹部職員で、代行局に対する折衝窓口の役目を担う『代行局調整官』の地位にある。勤務後の娘を私用で実家に呼び出す程度の、代行局に対する影響力は持っていた。
呼び出しを受けて帰宅したのだから当然かもしれないが、まだ午後七時だというのに父親の盛は珍しく帰宅していた。
「お父さん、急用って何?」
帰宅早々、リビングで父親と対面した光は、ソファに腰を下ろすと同時に早速用件を訊ねた。
「今日、富士アカデミーに男子の候補生が入学したそうだが」
盛も余計な前置きは挿まず娘の質問に応える。――答えたのではなく質問に質問を返した。
「うん。別に秘密じゃないはずだけど」
光は気分を害した様子も無く、素直に頷いた。
盛はその地位から、アカデミーの情報に優先的にアクセスできる立場にある。
「その男子生徒に関して、代行官 閣下から何か指示が出ていないか?」
「指示?」
光は心当たりが多すぎて、父親が何について言っているのか分からない。
小首を傾げる娘に、盛は言い難そうに咳払いする。
「その……、だな。F型適合者同士で子供を作れ……とか」
父の言葉を聞いて、光の顔は羞じらいの色に染まった。
彼女は今年で二十一歳だが、十六歳になる年に女性しかいない富士アカデミーに入学し卒業後はそのまま富士アカデミーの職員に採用されている。この環境の所為で、男女の 色事に慣れる機会が今までに無かった。
「な、何を言ってるの! そ、そ、そんな指示なんて……。無いことも、ないけど」
「光! まさかお前!?」
盛が慌てふためいた顔で身を乗り出し、娘に詰め寄る。
「ち、違うよ! 強制じゃないの!代行官 閣下は『子供ができたら援助する』と仰っているだけだから!」
光は焦ってセリフを噛みながら、ますます赤くなった顔で父親の疑惑を否定した。
「強制ではないんだな……?」
ホッとした表情で、盛が腰をソファに戻す。
「だから違うって!」
「そうか……」
必死に力説する娘の様子を見て、盛はようやく納得した。
「……話って、それだけ?」
一方、散々居心地の悪い思いをした光は、この場を早く切り上げたかったのだろう。そんな言い方で幕引きを催促した。
「いや……」
しかし、盛の話はまだ続きがあった。
「何よ?」
言いにくそうに言い淀む父親に、光は棘のある口調で先を促す。
「その男子生徒……、名は何と言ったか」
「新島荒士君だけど」
「そう、新島君だったな。男性で初めて発見されたF型適合者。しかも日本人だ」
「それで?」
父親が何を言いたいのか分からず、光は首を傾げた。
「政府としては、新島君を他国に渡したくない」
盛の言葉に、光は不吉な予感を覚えた。
「……それで?」
「子供ができるだけなら構わない。だが、情が移って新島君に相手の女性の国へ行かれてしまうのは避けねばならない」
「まさか?」
光が予感を確信に変えて、大きく目を見開く。
「身体の関係になれとは言わない。断じて言わん! だが、その男を日本にしっかりつなぎ止められるよう、頑張ってくれないか」
光が父親に、軽蔑の眼差しを向ける。
「お父さん、言ってることが矛盾しているって、分かってる……?」
娘の冷たい視線に、盛は目を泳がせた。
「む、矛盾などしとらんだろう。新島君も、周りが女性だけの富士アカデミーで所在ない思いをするはずだ。親身になってくれる年上の女性がいれば、依存心も生まれるのではないか?」
「そうかしら」
「十代の男などそんなものだ」
「それって、お父さんの経験談……?」
娘の眼差しに軽蔑のニュアンスを感じて、盛は一度、咳払いをした。
「――幸いお前は富士アカデミーの医務室勤務だ。他の局員よりも個別に接触する機会が多い。それにお前は外見にも恵まれている。『憧れのお姉さん』的なポジションに収まるのは、決して難しくない……と、思うのだが」
盛が言ったとおり、親の欲目を抜きにしても光は容姿に優れている。スレンダーながら出るべきところは出ている体型に、やや童顔だが整った目鼻立ち。ストレートの髪をミディアムのワンレングスに切りそろえ、前髪を軽くサイドに流した髪型に垂れ目気味の優しげな双眸が、確かに「女子大学生のお姉さん」的な雰囲気を醸し出している。
しかし盛は、自分の言い分に無理があることは承知していた。彼の口調が尻すぼみになったのはその為だった。
「あのねぇ……。最近の男子高校生が、精神的なつながりだけで満足するはずないでしょ」
その「無理」に、光もすぐに気が付いた。――なおアカデミーの候補生は「高校生」ではないのだが、高校生くらいの年頃 という意味なら間違いではない。
「お父さん、個別に接触する機会が多いって言ったけど、それって言い換えれば二人きりになることが多いってことだからね!」
遂に光は、声を張り上げた。彼女にとって父親の言い分は、到底受け容れられるものではなかった。
「い、いや、分からんぞ。男というのは、意外に純情で格好を付けたがるものだ」
娘の迫力に気圧されながらも、盛は引き下がらなかった。
「そんな保証が何処にあるのよ! お父さん、娘が可愛くないの!?」
当然の反応として、光のボルテージはますます上がる。
「うっ……いや、無理強いするつもりはないんだ。ただお前にも、新島君の重要性は理解できるだろう? 神々は人間の政治や外交には干渉しない建前になっている。だが実態は分からない。これは推測に過ぎないが、神々は気象や自然災害をコントロールすることで、自分たちに協力的な国家に恩恵を与えているというのが、私たちの間では定説になっている。神々の軍勢加わる従神戦士の供給は、人類が神々にできる最大の貢献だ。神々の恩寵が及ぶのは、本人だけではないに違いないんだ」
「それは……多分、そのとおりだと思うけど」
トーンダウンする光。彼女も代行局員として公人の側面を持っている。国益を無視できない父親の立場は、彼女にも理解できた。その所為で怒りを持続するのが難しくなってしまう。
「その少年と反りが合わなければ、無理をする必要はないんだ。だがもしそうでないなら、同じ日本人として、後輩の相談相手になってあげるくらいは構わないだろう?」
娘の変化を見逃さなかった盛が、すかさず畳み掛ける。
「……私、教練は担当しないから、悩みの相談を受けるような機会は無いと思うよ」
「もちろん、仕事を疎かにしろと言うつもりは無い。機会があったらで構わない」
「うーっ……」
光が悩ましげに呻き声を上げる。
悩んでいる時点で彼女の負けだった。
「……機会があったらね。話を聞いてあげるだけだからね」
「それで良いとも! 頼んだぞ、光」
晴れ晴れとした笑みを浮かべる盛を、光は恨めしげな目で睨み付けた。
その上目遣いの眼差しに、怖さはまるで無かった。◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
父親のペースで締め括られた話し合いの後、鹿間多光は実家に泊まらず富士アカデミーの職員用宿舎に戻った。
「光」
宿舎のロビーを通り抜けようとしたところで、彼女は横合いから聞き覚えのある声で話し掛けられ立ち止まる。同じ宿舎の職員は全員一応知っているが、親しく付き合う相手は自然と限られてくる。――これは、光だけに当てはまる話ではない。
「彩香先輩」
彼女に声を掛けたのは光が代行局で最も親しくしている、先輩の須河 彩香 だった。
彩香は、光とはタイプの違う美女だ。焦げ茶色の、やや癖のある髪をショートに纏めた髪型と切れ長の目、日に焼けた肌。その外見はフェミニンな光に対してマニッシュな印象だが、プロポーションは逆に一つ年下の後輩より女らしい。――なお念の為に付け加えておくと、神鎧の適合者が美男美女ばかりという事実は無い。
「実家に戻っていたそうね」
「戻っていたって、大袈裟ですよ。ちょっと寄ってきただけです」
「実家が恋しくなった?」
彩香のセリフは質問ではなく、仲が良い後輩をからかうもの。
「違いますって」
それが分かっている光の返事は、素っ気なかった。
「父に呼ばれて」
「はぁん?」
付け加えられた光の言葉に、彩香が訳知り顔になる。
「お見合いでも勧められた?」
「な、何でそうなるんですか!?」
光が慌てて否定する。しかし、彼女の声には勢いが無かった。
「……いや、冗談だったんだけど。そういや、顔色が冴えないね。実家で何か言われた?」
光にそう訊ねた彩香は、真顔になっている。
「大したことじゃありませんよ」
「大したことない、って顔はしてないよ? 無理難題でも吹っ掛けられた?」
彩香の声の中に、心配の成分が増す。
「本当に、そんなんじゃ……」
「――そうだ!」
はっきりしない後輩の答えに、彩香は一転、明るく声を上げた。
「こないだ、美味しいって評判の日本酒を手に入れてね。光が好きそうな甘い香りの軽快系。一緒に呑もうよ」
「……良いですね」
光が少し迷った末に頷いたのは彩香の気遣いが理解できたからという理由もあったが、それ以上に彼女自身が「呑まなきゃ、やってられない」という気分だったからだ。
「そうこなくっちゃ」
後輩の気が変わらない内に、と考えたのでもないだろうが、彩香は光の手を取って自分の部屋へと引っ張っていった。「……それで結局、実家で何を言われたの?」
二人とも良い感じに酔いが回り遠慮が無くなったところで、彩香がロビーの話を蒸し返した。
「代行官 閣下から出された通達、知ってますよね?」
今度は光も誤魔化そうとしない。これも酒精の効果だろうか。
「代行官 閣下の通達? どれのこと?」
彩香は別に、とぼけているのではない。代行局員の彼女たちには代行官から直接下されるものだけでも毎日数件、多い時には十数件の通達が届く。単に「通達」と言われても、どれのことだか特定は難しい。
「富士アカデミー新入生の、新島荒士君に関する通達ですよ」
「ああ……。初めて見つかった男子のF型適合者に関する、あれ?」
彩香は目を細めて宙を睨み、通達の内容を記憶の中から引っ張り出した。
「えっ!?」
そして大きく目を見開く。
「それって、新入生に抱かれろってやつでしょ? まさか光が実家に呼ばれたのって……」
「何を言っているんですか!? 違いますよっ!」
光が真っ赤になって、怪しくなり始めた呂律で言い返した。
「抱かれろなんて言われてませんし! 第一、通達の内容もそうじゃなかったでしょう!」
「そうだっけ?」
「そうですよ! 『セックスしろ』じゃなくて『子供ができても養育には代行局が責任を持つから心配するな』って内容だったでしょう」
光の熱弁に、彩香が小首を傾げた。
「それって結局、F型適合者の彼とセックスして子供を作れという内容なんじゃないの?」
彩香の指摘に、光は「うっ」と言葉に詰まる。
「……とにかく、強制じゃないんです! セックスを強制なんてされていませんから!」
しかしすぐ、開き直ったような反論を続けた。
「ふーん……」
彩香はそれ以上ツッコまず、光のグラスに冷酒を注いだ。