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NOVELS書き下ろし小説
- 魔法科高校の劣等生司波達也暗殺計画
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夜の帳に闇は閃く
【4】入学式の日
四月四日、土曜日。今日は二〇九九年度の魔法大学入学式の日だ。開式の時間まで、まだ三十分以上あるが、先程からスーツ姿の新入生と付き添いの父母家族が続々と大学の門を潜っていた。
ただ昔のように、ダークスーツ姿の新入生ばかりではない。さすがにポロシャツやジーンズで来ている新入生はいないが、明るい色のスーツや上下揃いではなく上衣と下衣で異なる色合い・柄を組み合わせたブレザー姿も見られる。
女子新入生の場合はワンピース姿も少なくない。それもフォーマルな色、柄、デザインだけでなく、場違いにならない程度に華やかな物で着飾っているお洒落な女子も、決して異端ではなかった。
では黒羽 家の双子はと言えば、二人とも伝統的なダークスーツ姿でこそなかったものの、決して奇抜な服装でもなかった。
亜夜子 のファッションはシックな黒のワンピースに、微妙に色合いが異なるボレロの組み合わせ。つい先日、巻き髪ロングからミディアムレイヤーに変えたヘアスタイルとそれに合わせて少しだけ手数を増やしたメイクも相俟って、グッと大人っぽい印象だ。元々年齢以上の色香を纏う少女だったが、今の亜夜子 は妖艶という言葉すら似合っている。
だからといって彼女は、入学式に相応しくない厚化粧をしているわけではない。服装もアクセサリーもTPOを弁えた物だった。
その意味ではむしろ文弥 の格好の方が、奇抜と言えるかもしれない。淡いベージュのスーツに同系統色の革靴。ストライプのシャツに臙脂色のクロスタイ。タイを留めるスティックピンのヘッドには大きめの黒曜石 があしらわれている。男子学生にしてはかなり華やかなコーディネートだ。むしろレディースのスーツに多い組み合わせかもしれない。
さらに文弥 は、かなりしっかりとメイクしている。前世紀とは違って化粧する男性は珍しくなくなったが、女性のメイクとはやはり丁寧さが違う。
では、文弥 のメイクはというと。
ジェンダーレス……よりも、さらに女性寄りのものだった。それでも女装しているように見えないのは文弥 のバランス感覚と、メイクに対する慣れが上手く機能した結果か。
文弥 は中学生の頃から『ヤミ』という少女に変装して黒羽 家の仕事に携わっていた。美少年 とはいえ彼は歴とした男だ。中性的な容貌ではあっても女顔ではないし、小柄であっても身体はしっかり鍛えられている。その彼が、正体を隠す為に少女を演じなければならなかった。それ故、女性らしさを演出する化粧技術に、生来の女性よりも巧みになる必要があった。
この、文弥 が任務で培った変装 技術は「どうすれば男の自分を女に見せられるのか」を彼に体得させると同時に、その逆の「何処までなら女に見られないか」も理解させていた。
言うまでもなく、文弥 は男子学生として魔法大学に入学している。だから外見で男性として認められる必要がある。その一方で、美少年 のままでは魔法大学で目立ちすぎるという懸念を無視できない。今の「一見女性だが、良く見れば男性と分かる」服装とメイクは、この二つの課題を同時に解決する為のものだった。
ただ周りの新入生たちはそんなことを知らない。特に男子には、今の文弥 は中性的な格好の美女学生にしか見えていなかった。
「予想どおり、熱い視線を集めているわね」
フフッ、と笑いながら文弥 の耳元で亜夜子 が囁く。
「姉さんの方が見られていると思うよ」
素っ気なく応える文弥 に、亜夜子 は楽しげな笑みを浮かべたまま「当然よ」と返した。
「私たちって、どう思われているのかしら? 仲が良い女友達? それとも美人姉妹かな」
「……姉さんは確かに美人だけど」
「自分で言う?」という言葉は、文弥 は口にしなかった。
「文弥 だって美女学生に見えるわよ。……でも案外、気付かれないものね」
魔法大学の新入生は、ほぼ百パーセントが一高から九高の、付属高校の卒業生。去年の九校戦で活躍した文弥 たちの顔を知っている者は多いはずだ。だが今のところ、文弥 に向けられる視線は「あの美女は誰(だ)?」というものばかりだった。
「姉さんのことは分かっているみたいだけどね」
集音の魔法を使っているわけではないが、自分に関わりのある噂話はざわめきの中でも案外聞こえるものだ。心理学でカクテルパーティー効果と呼ばれる現象である。
「とにかく実験は成功と言えそうね。貴男の素顔を間違いなく知っているはずの男たちまで見とれちゃっているんだから」
去年の九校戦で文弥 と対戦した男子新入生の熱っぽい顔を横目で見ながら、亜夜子 は満足げに小さく頷いた。◇ ◇ ◇
入学式が終わって講堂を出ると、空気が張り詰めていた。普通逆のような気がするが、式の最中の講堂の中よりも緊張感があった。
表情が硬くなっているのは学生本人よりも付き添いの大人たちの方だ。彼らは一様に「見ない振りをして目を離せない」という状態だった。
その張り詰めた空気の焦点で、達也 が文弥 たちに向かい手を上げて歩み寄り始める。
しかしその時には既に、二人は達也 に向かって走り出していた。
「亜夜子 、文弥 。改めて、入学おめでとう」
駆け寄ってきた姉弟に、達也 が祝辞を贈る。
「ありがとうございます!」「ありがとうございます」
声を弾ませる文弥 。落ち着いた仕草で会釈する亜夜子 。
「達也 さん、お一人ですか?」
続けて、亜夜子 は訝しげにこう訊ねた。
「深雪 とリーナは混乱が起きないように、駐車場の車の中で待たせている」
「ああ、なる程……」
亜夜子 は深く納得した。魔法関係者が大勢集まっているこのような場にあの二人が素顔で登場したら、達也 とは別種の、より大きな混乱を引き起こすに違いない。
達也 の影響力はその他大勢 の意識を引き付け、物理的に遠ざける。魔法に関わる者ならば誰もが彼を意識せずにはいられないが、明確な目的意識がない限り畏怖が足を遠ざける。しかし深雪 とリーナの場合は、意識と肉体に強力な引力を作用させる。さながら巨大な恒星のように。どちらか一人でもそうなのだ。二人揃えば、慣れない者は魅力という名の熱量に焼かれてしまう。あるいは美という名の重力によって、ロッシュ限界に引き込まれた天体のように壊れてしまわないとも限らない。
入学式に自走車で来校することを、魔法大学は原則として認めていない。だが深雪 とリーナが車で待っているという言葉に、亜夜子 も文弥 も疑問を覚えなかった。
駐車場の使用を大学が認めたのは、紛れもなく特別扱いだ。だがそれは十師族・四葉家に対する特別扱いと言うよりも、混乱を避ける為の予防措置という性質の方が強いのは説明されるまでもなかった。
「付いてきてくれ」と言う達也 に、姉弟は素直に躊躇いなく「はい」と応じた。二人は家族が入学式に来ていないことを知っていた。黒羽 家は四葉一族の諜報部門。人目が多い場所を好まない。姿を見られたくらいで正体がバレてしまうとは思っていない。そこまで自信が欠如している臆病者は、黒羽 家にはいない。だが陰に潜み闇に生きる者の習いで、避けられるリスクは徹底して避けるのが黒羽 の流儀だ。少なくとも二人の父、黒羽 貢はその方針に忠実だった。
達也 は表に出てこない姉弟の家族に代わって、二人の為に入学祝いの席を設けた。そのレストランがあるホテルまで、自分の運転で連れて行こうとしているのだった。
自然に割れた人垣を抜けて、達也 、亜夜子 、文弥 の三人は魔法大学の駐車場へ向かう。その途中、文弥 が自然な動作で達也 の耳元に顔を寄せた。
「達也 さん、お気付きですか。不届き者が現れたようです」
「三組だな」
達也 は自分を狙うグループの数を答えることで、文弥 の問い掛けに頷いた。
その数は、文弥 が感知した視線と一致する。自分が間違っていなかったことに、文弥 は心の中で小さく安堵した。
「一組は公安、一組は陸軍情報部。彼らは良く見掛ける連中だ。もう一組は……外国の諜報員か。南欧系のようだが、見覚えがないやつらだな」
だが達也 の次のセリフを聞いて、弛緩していた文弥 の意識に緊張が走った。達也 を標的とした暗殺者を送り込んでいる組織はイタリアと新ソ連の犯罪組織の連合体だと分かっている。
「南欧系というと、イタリア人ですか?」
「そうかもしれない」
達也 がエレメンタル・サイトを使えば正体はすぐに分かる。だが文弥 はそれを求めなかった。
この程度のことで達也 に手間を取らせるなど、文弥 的にはあり得ないことだった。
「捕らえさせます」
「実害は無いのだから止めておけ。それに、公安や情報部も分かった上で泳がせているんだろう。彼らを無用に刺激する必要は無い」
達也 の口調はそれほど強いものではなかった。
だが達也 に叱られたと感じて文弥 が小さくないショックを受けていることは、双子の姉である亜夜子 には明らかだった。◇ ◇ ◇
深雪 とリーナを加えた食事の席では、文弥 は朗らかで愛想が良かった。リーナを相手に軽口を応酬するなど、一見リラックスしているようだった。
だがマンションに戻って入浴を済ませメイクを落とした文弥 の表情は暗かった。
「文弥 、気にしすぎるのは良くないと思うわよ」
逆効果になるかもしれないと思いつつ、亜夜子 は言わずにいられなかった。弟の気持ちが分かるからだ。達也 が文弥 に告げた「警戒しすぎると相手を無用に刺激する」という戒めは、亜夜子 の心にも刺さっていた。
監視されていることに気付いても、それを監視者側に覚られるのは下手のすることだ。相手を逃がすか、相手の態度を硬化させるか、どちらにしても益は無い。だが、教訓は教訓としてしっかり受け止めた上で、それを引きずらないよう心掛けるべきだと亜夜子 は思っていた。
「いや、気にしなければならないことだ」
しかし文弥 の考えは違ったようだ。一つ意外だったのは、文弥 に落ち込んでいる様子が見られなかったことだ。彼の声からは強い意志が伝わってきた。
「姉さんはどうだか知らないけど、僕はどうやら東京に来て浮かれていたみたいだ」
「……何故そう思うの?」
「達也 さんから受けたあの指摘は、言われるまでもなく分かっていたはずのことだった。実際、上京前の僕ならあの状況でこちらを見ているだけの、正体も分からない相手を捕まえようなんて言わなかったと思う」
文弥 は反省の弁にしては自信が滲む口調で自分の言動を振り返った。いや、と亜夜子 は思い直す。これは自信があると言うより開き直り――吹っ切れているように感じられた。
「分業しよう。大学生活は姉さんに任せるよ」
「えっ、どういうこと?」
文弥 の提案は、亜夜子 にとって大層唐突なものだった。
「ヒューミントを考えると、大学の人脈は無視できないと思うんだ」
「え、ええ。そうね」
ヒューミントとは人を介した諜報活動のこと。訊問やハニートラップなどのアクティブな諜報だけでなく、友人知人を介した噂話の収集のようなパッシブな活動も、何が何処で役に立つか事前には分からない。魔法師社会の情報を収集するなら、魔法師の人脈は多い方が良いに決まっている。
「男でなければアクセスできないネットワークもあるだろうから大学を完全に無視はできないけど、それ以外は裏方 に専念しようと思う」
ここで文弥 が言っている「裏方」は大道具や小道具などの舞台の裏側で働くスタッフのことではない。表に立たず、陰で実質的に物事を進める実権者のことでもない。
裏側で働く方――つまり、裏社会の活動を担当するという意味だ。
「……それは得策ではないと思うわ」
強い口調ではなかったが、亜夜子 は文弥 の提案に疑問を呈した。
「姉さんの言いたいことは分かるよ」
文弥 は亜夜子 の反論を最後まで言わせなかった。
「隠密行動には姉さんの魔法の方が向いているのは、僕だって理解している」
姉の反論は、文弥 の想定内だった。
「直接動く時は、もちろん姉さんにも頼らせてもらうよ」
「つまり……部下を動かす段階は貴男が担当したいということね?」
「専念したいんだ。黒羽 家の役目に。そして自分をもっと、研ぎ澄ませたい」
文弥 が亜夜子 の瞳を正面から見詰める。彼の瞳には、生半可でない決意が宿っていた。
先に視線を逸らしたのは亜夜子 。彼女は目を伏せると、小さくため息を吐いた。
「……分かりました。ただし、条件があります」
いきなり口調を改めた亜夜子 に、文弥 は警戒感を浮かべた表情で身構えた。
「――どんな条件?」
そして弟は姉に、条件を問う。
「大学にはきちんと通うこと。私たちにはまだまだ学ぶことがたくさんあるし、それに……」
「……それに?」
「貴男が大学に来なくなったら、達也 さんが心配するでしょ」
意表を突かれたという顔で、文弥 の表情が固まった。
「それは……駄目だね」
「ええ、駄目ね」
「分かったよ。大学にはちゃんと通うことにする」
文弥 はあっさり白旗を揚げた。
亜夜子 は当然という顔で、ニコリともしなかった。◇ ◇ ◇
有希 、若宮 、鰐塚 、奈穂 の四人組は今日も有希 のマンションに集まっていた。ちなみにこの四人組のリーダーは有希 だ。彼女は当然嫌がったのだが「文弥 と一番仲が良いから」という理由で他の三人に押し付けられたのだ。それに伴い彼女たち四人は「チーム・ナッツ」と呼ばれるようになっている。
ただチームを組んでいると言っても、頻繁に集まるわけではない。仕事の打ち合わせも回線越しで、顔を合わせるのは仕事現場というパターンの方が多い。今回の仕事は例外だった。
有希 、若宮 、鰐塚 の三人がダイニングテーブルを囲み、奈穂 が彼らにお茶を出す。奈穂 が腰を下ろすのを待って、有希 が口を開いた。
「それで、どうだった?」
「魔法大学は、やはり無視すべきですね」
その問い掛けに鰐塚 は、興奮も落胆も無い平板な口調で答えた。
「周りを公安がウロチョロしていた。構内に入らなくても、近付いただけで面倒なことになりそうだ」
そう続けた若宮 は、げんなりした顔をしている。
有希 はそんな若宮 に同情の目、ではなく勝ち誇るような目を向けた。これには昨晩、「入学式には大勢の部外者が来るから、その中に刺客が紛れ込んでいるかもしれない」と主張した若宮 に、有希 が「来るわけねーだろ」と反論したという背景がある。
有希 にも確証があったわけではない。ただ魔法大学の入学式のように魔法師が大勢いる中で暗殺に踏み切る同業者などいないという確信があった。
自分も魔法師である若宮 には、有希 が懐く魔法師に対する忌避感が良く分からなかったようだ。彼女の主張に耳を傾けながらも、方針を変えようとしなかった。
「対応すべき状況を絞り込めたのは、良かったんじゃないでしょうか」
奈穂 が口にした、本気とも慰めとも取れるセリフで、話題は明日以降の段取りに変わった。◇ ◇ ◇
近畿地方警察からの出向で警察省広域捜査チームに着任した
空澤 巡査部長は、外国人組織犯罪捜査班に配属された。出向前に携わっていたテロ対策と外国人組織犯罪捜査には共通点もあるが、異なる点も多い。
今はまだ、言われるがままにあたふたしている状態だ。既に日没は過ぎている時間だが、空澤 はようやく捜査班の刑事部屋に戻ってきたところだった。
管内で発生した事件に対処する自治体警察とは違い、広域捜査チームは自分たちで捜査対象を選ぶ裁量を与えられている。空澤 が配属された捜査班は、このところ密入国が急激に増加しているロシアンマフィアの動向を調べていた。
今日は先輩の刑事のお供で所轄の警察署巡りだった。各地の捜査情報は警察省のサーバーに吸い上げられ、広域捜査チームはそれを閲覧できる。ただデータだけでは読み取れないこともあるので、めぼしい情報を見付けたら担当の警察官のところへ話を聞きに行く。当然相手には煙たがられるが、そこを上手く協力させるのが警察省実動部隊に必要なスキルだ。
キャリア警察官僚が地位に物を言わせて従わせるのではない。空澤 がお供をしている先輩刑事も階級は警部補。同等の階級の、ライバル関係にある自治体警察の刑事から協力を引き出すのは容易なことではなかった。
空澤 は武闘派だ。高い戦闘力と機動力が彼の持ち味であり、話術は元々得意ではない。例外は整った外見を活かした、中年女性相手の聞き込みくらいだ。
彼は現代魔法師にありがちな、何処か人工的な印象があるハンサムではなく、男の危険な色気を感じさせる二枚目だ。百年以上前に流行った時代劇俳優を思わせる雰囲気がある。それも侍役の正統派二枚目俳優ではなくヤクザや遊び人、岡っ引きを題材にしたドラマに主演するようなタイプだった。今風ではないので若い女性には受けない。現に二高では全くモテなかった。それとは対照的に、火遊びに憧れる既婚者には昔から受けが良い。
それは今のところ、彼にとって武器と言うより悩みの種だった。聞き込み中に、不倫に誘われることが結構あるのだ。自宅訪問のケースだけでなく、相手の職場で聞き込みを行っている最中に色目を使われたこともあった。
今回はその特性の出番も無かった。訪問した所轄署には女性刑事もいたが、さすがに彼女たちは有閑マダムのような真似はしなかった。ほとんど役立たずだったことに軽く落ち込みながら、空澤 は班長に提出する報告書に取り掛かった。◇ ◇ ◇
亜夜子 と文弥 は仕事で大勢の部下を使っている。だが家事使用人は付けていない。高校生時代から、食事の支度を始めとして、身の回りのことは自分たちでやっている。今夜も二人は協働で三人分の 食事を準備した。
まるでタイミングを計ったかのように、ドアホンのチャイムが鳴る。
モニターに映っていたのは、姉弟の父親の黒羽 貢だった。
貢は入学式には来なかったが、亜夜子 たちのことをネグレクトしているわけではない。むしろ親馬鹿に近いレベルで可愛がっている。二人の方でも貢には愛情と尊敬を持って接している。黒羽 家の親子関係が良好でなくなるのは、達也 が絡んだ時だけだった。
お互いにそれが分かっているから、文弥 も亜夜子 も貢も、二年前の秋から――達也 が現代の魔王となったあの夏の後から、達也 の話題を出さないようにしていた。
しかし残念ながら、今晩はそうもいかなかった。入学式の後、食事に招待されたことを話さないわけにはいかなかったし、その途中で気付いた当局の監視については黒羽 家当主としての貢に報告しておく必要があった。
「――当局の動きはこちらでも確認しておく。達也 君が言うように、文弥 たちは手出しをしないように」
貢は海千山千の魔法諜報員だけあって、達也 の名を口にする時に感情の揺らぎを見せたりはしなかった。
「分かりました、父さん」
文弥 も無意味な反抗など、素振りも見せなかった。
「お父様、達也 さんを付け狙っている連中への対処は、このまま続けてもよろしいでしょうか」
文弥 に代わって亜夜子 が、今後の方針について許可を求める。
「その件はお前たちに任せる。東京の人員は自由に使いなさい」
予想に反して、貢は無条件で達也 を暗殺しようとしている勢力への反撃を認めた。亜夜子 は何か条件を付けられると考えていたのだが、貢は姉弟に行動の自由を認めるだけでなく、部下の使用についてもフリーハンドを与えた。
四葉一族を害そうとする者には破滅を以て報いる。それが三十年以上前からの、一族の基本方針だ。標的が達也 だからといって例外にすることは、貢にもできなかった。西暦二〇六二年に四葉家を襲った悲劇は、それほど深い爪痕を一族に残していたのである。
ただ自分で対処すると言わないところに、貢が達也 に対して抱える屈折した心情が垣間見えた。