• NOVELS書き下ろし小説

  • リッパーvs石化の魔女

    [3]『工作』

     
     猫撫で声で誘いを掛けてくるナンパ男に、眉間に皺を寄せることでこれ見よがしに拒絶の意思を示し、有希ゆきはそっぽを向いて通り過ぎた。男の悪態を背中越しに拾って、彼女は小さくため息を漏らした。
     悪態を吐きたいのは自分の方だ、と有希ゆきは心の中で愚痴をこぼす。駅を出て十分足らず。今の男でナンパはちょうど十人目だ。煩わしいにも程があった。
     有希ゆきは整った容姿の持ち主だが、ナンパ攻勢に曝されるのは珍しい。年齢よりも幼く見える容貌、化粧気洒落っ気の欠如、野生の肉食獣の如き攻撃的な気配……。こうした諸要因が絡み合ってナンパ男を寄せ付けないのだが、今夜の彼女は違った。
     年相応、むしろ実年齢より上に見える気合いの入ったメイク。小柄だが引き締まった肢体を際立たせるセクシーなファッション。これらは周りから浮いてしまわないよう場所と時間帯に合わせた物だが、若い男たちの視線を引き寄せる結果を招いていた。確かに街の雰囲気には溶け込んでいたが、目立たないという意味では行き過ぎとも言えた。
     木曜日の夜、有希ゆきは六本木の繁華街に来ていた。夜遊びスタイルだが、遊びに来たのではない。今回のターゲットの一人、ナオミ・サミュエルの勤務先が六本木にあるのだ。
     ナオミは社内でかなりの重要人物らしく、通勤にはボディガード付きの車が使用されている。オフィスも自宅の外国人用マンションもセキュリティは万全で、有希ゆきのスキルを以てしても侵入は困難だ。
     ただ鰐塚わにづかの調査によると、仕事を終えたナオミはアメリカ、イギリス、オーストラリアなどの英語を母国語とする外国人が多く集まるプールバーで軽く飲んで帰るのが習慣化しているらしく、店の中にはボディガードを連れていない。
     店の前まで車で送らせて、帰る時にまた車を呼び出すという行動パターンを取っている。この時間が唯一、付け入る隙がありそうだった。
     まさか人混みの真ん中で暗殺はできないが、賑やかな夜の街には、そこだけ闇に塗り潰されたような死角が必ず存在する。今夜の有希ゆきの目的はナオミの行動を直接目で見て確かめることで、仕事に適したスポットを見付けること、つまり下見に来ているのだった。
     ナオミ・サミュエルが入り浸っているバーの調べは付いている。有希ゆきはターゲットの勤務先が入居しているビルで張り込むのではなく、先に入店して店の中で待ち伏せることにした。
     件のバーはキャッシュ・オン・デリバリーを採用していた。店員が注文を取りに来ないのは、待ち伏せには都合が良い。
     有希ゆきは軽い(アルコール度数が低い)ドリンクをカウンターで受け取って、ダーツやビリヤードで盛り上がる外国人と彼らが侍らせている若い娘を横目に、店の隅でちびちびとなめながらナオミの到来を待った。
     無論、隠形を使うのは忘れていない。御蔭で男に声を掛けられて鬱陶しい思いをすることもなかった。
     ターゲットが入店したのは三十分が過ぎた頃だった。
    (うえっ……。ケバいな。頑張りすぎじゃねえか?)
     ナオミ・サミュエルは身長百七十センチ程の、見た目は派手な美女だった。少なくとも男性目線では美女と言えるだろう。
     だが同性である有希ゆきの目には、厚塗りのメイクで顔色の悪さを誤魔化し、補整下着ファウンデーシヨンでガチガチに締め上げているのが明らかだった。要するに、頑張りすぎなのだ。
     もっとも、有希ゆきの評価に少なからず嫉妬が混じっているのは、本人も否定できないだろう。
     ナオミは百七十センチの長身で凹凸の激しい体型だ。ウエストは下着の助けを借りているのかもしれないが、バストとヒップのボリュームは本人の実力。小柄で(良く言えば)スレンダーな有希ゆきとは対照的な体付きだ。
     有希ゆきとナオミ、どちらが魅力的かは好みによって評価は分かれるだろうが、どちらが女性的・・・な魅力にあふれているかという設問であれば多くの男性・・がナオミに軍配を上げるだろう。
    (男を漁りに来たって感じにも見えないが……見栄かね?)
     有希ゆきは不愉快な結論に至りそうな思考を無意識に避け、ナオミが気合いを入れている・・・・・・・・・理由について考えを巡らせた。その一方で、店の隅からターゲットの動向をこっそり窺う。
     ナオミ・サミュエルはカウンターに向かうのではなく、店員を呼び止めて何事か話し掛けた。既に述べたように、この店はキャッシュ・オン・デリバリーのシステムを採用している。飲み物を注文するならカウンターに来るはずだ。
     ターゲットの不自然な振る舞いに、有希ゆきの目が鋭く細められる。
     最初、店員の顔にも不審感が浮かんでいたので馴染みの相手というわけでもなかったはずだ。また、ナオミが二言、三言囁いただけで店員の態度が大きく変化した点も引っ掛かった。まるで特別なお得意様を前にしているような、恭しい態度だ。
     有希ゆきは、店員に先導されてナオミが消えたドアをじっと見詰めた。

    ◇ ◇ ◇

     日付が変わり、金曜日の午前五時。いったん自宅に戻った有希ゆきは装いを整えて件のプールバーの前に舞い戻っていた。
     基本的に個客・・用・無人運転の公共交通機関はこの時間でも動いているが、出直した彼女の「足」は相棒が運転するワゴン車だ。鰐塚わにづかは一区画先の時間貸し駐車場で待機している。
     有希ゆきの人相を隠しているメガネ型ゴーグルには無線通信機と動画用カメラが仕込まれていて鰐塚わにづかとつながっているが、有希ゆきは閉店した店の裏で沈黙を保っていた。
     しばらく店の中の気配を探っていた有希ゆきは、誰もいないと確信したのか裏口の扉に手を掛けた。
     彼女の両手は薄手の手袋に包まれている。指紋を残す心配は必要ない。
     有希ゆきは左手でレバー型のドアノブを握り右手でポケットから接着剤のチューブのような物を取り出した。片手でキャップを外し、ノズルをドアノブとドア枠の隙間に突っ込み、中身を絞り出す。潤滑油が鍵のデッドボルトをべったりと覆った。
     チューブを捨て、小さな折り畳みノコギリを取り出す。片手で器用に極薄のノコギリ部分を引き出し、ノブの横に差し込んだ。
     次の瞬間、有希ゆきの右手が残像を残す程の速さで往復を始めた。
     有希ゆきの異能『身体強化フィジカルブースト』が人間の限界を超えたパワーとスピードをノコギリに伝える。
     金属用のノコ刃は、一分も経たずデッドボルトを切り離した。
     有希ゆきが左手を引く。
     裏口の扉は音も無く開いた。
     彼女は殺し屋だが、身につけた技は忍者のものだ。古式魔法師の一種『忍術使い』ではない、魔法が使えない方の『忍者』だが、潜入はお手のもの。純粋な適性で言えば、多分有希ゆきは殺し屋よりも泥棒の方が向いている。
     有希ゆきは影と化して店の中に滑り込んだ。
     ライトは付けない。彼女が付けているゴーグルには赤外線を可視化する機能もあるが、赤外線ライトはセンサーに引っ掛かるリスクがある。有希ゆきは完全な暗闇の中を、先程来店した時の記憶と直感頼りで進んだ。
     彼女はテーブルにも椅子にもぶつからず、無事店の奥にたどり着いた。ターゲットであるナオミ・サミュエルが入っていった扉は目の前だ。
     有希ゆきは手探りでノブを回した。あいにく、鍵が掛かっている。
    (仕方が無い)
     彼女はドアの脇にあるカバーを開いた。タッチパネルのテンキーを浮かび上がらせる光が、暗闇を微かに照らす。非常灯の明かりすら無い店内でその光はひどく目立ったが、タッチパネルを使わなければ鍵が開けられないのだからやむを得ない。
     暗証番号は、さっき店員が開けるところを見て覚えている。有希ゆきの『身体強化フィジカルブースト』はパワーやスピードを向上させるだけではない。五感の能力も飛躍的に引き上げる。
     有希ゆきは一発で電子錠を解除した。

     ドアの向こうも完全な暗闇だった。
     彼女は少し迷い、自分の直感を信じて赤外線ライトを点けた。
     有希ゆきの「嗅覚」は「ここから先に警備装置は無い」と告げている。
     また、初めて踏み込む場所で目隠し状態はかえって危険だ。ここでライトを使用するのは、甘受すべきリスクだった。
     メガネ型ゴーグルに地下室へと続く階段が映し出される。
     有希ゆきは一瞬、米津べいつが殺されたナイトクラブを思い出したが、あの店より目の前の階段は内装が立派だった。ここを利用する客はそれなりにグレードが高いのだろうと有希ゆきは思った。
     カーペットが敷かれた階段を慎重な足取りで下る。
     地下室の扉には鍵が掛かっていなかった。ここまで案内された客に警戒は不要ということだろう。有希ゆきは思い切って、ただし音を立てないように扉を開けた。
     地下室に足を踏み入れた有希ゆきの目にまず飛び込んできたのは、部屋の中央に鎮座する豪華なルーレット台。次に認識したのは本格的なポーカーテーブル。他にもカードを使ったギャンブルの為のテーブルが各種揃っている。
    (賭場か……?)
     この国では、公営カジノ以外でのギャンブルは禁止されている。ゲームとして楽しむことまで禁止されていないが、金品を賭けるのは犯罪だ。賭けに直接関わったものだけでなく、場所を提供した者も処罰の対象になる。
    (違法カジノにしちゃ、警備が手薄な気もするが……)
     これだけの大道具・小道具を揃えて健全なお遊びだけということはあるまい。
    警察サツと裏でつながっているのか?)
     外交官特権ではないが、すぐに弁護士や大使館が出てくる外国人絡みの犯罪は、警察が面倒がって軽いものなら見て見ぬふりをするという傾向は否定できない。
     外国人側も目こぼししてもらう代わりに重犯罪については国内の捜査だけでは分からないような情報をリークするというようなメリットを警察に提供する。
     嘆かわしいことだが、ある種の「持ちつ持たれつ」が成立しているという事例は、それ程珍しいものではない。
    (んっ? 待てよ。警察サツと違法カジノか……。こいつは使えるかもしれんな。後でクロコに相談してみるか)
     有希ゆきはこの後、地下室のあれこれを赤外線カメラで撮影して潜入調査を切り上げた。