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NOVELS書き下ろし小説
- 魔法科高校の劣等生司波達也暗殺計画
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リッパーvs石化の魔女
[1]『依頼』
二〇九六年十月六日、十月最初の土曜日。
時刻は既に昼前だが、有希はパジャマのまま自宅のダイニングテーブルに左頬をくっつける態勢で突っ伏していた。
その鼻先に、奈穂が熱いコンレーチェ(ミルク、蜂蜜入りコーヒー)のカップを置く。
有希はテーブルに顔をつけた体勢のまま片手を上げて奈穂に謝意を示した。
「もうっ……有希さん、だらしないですよ」
「昨日の説教で疲れてんだよ。何とかお咎め無しに持ち込んだが、仕事より疲れたぜ……」
彼女たちは昨晩、あれから会社に戻って、ターゲットを横取りされた経緯を社長と専務に報告した。社長は予想どおり、有希たちの説明に理解を示したが、専務はそう簡単に納得しなかった。
相手にどんな事情があろうと仕事を完遂できなかったことに変わりはない、という態度を中々崩そうとしなかった。ましてやその相手が掟破りで有名な業界の札付きとあっては尚更だった。
有希も鰐塚も知らなかったことだが、昨晩の若宮脱走兵はここ一年程、『リッパー』というコードネームで縄張り荒らしを繰り返している悪名高いフリーランスだった。
最後には「話を聞く限り『リッパー』の介入を阻止できる状況ではなかったと思われる。榛君の失態とするのは酷ではないか」という社長の裁定で有希と鰐塚は無罪放免となった。だが、そこに至るまでの弁明で、二人共へとへとになったのだった。
なお、その場に奈穂はいなかった。彼女は有希たちと弁明の労苦を分かち合っていない。
それも当然で、奈穂はチームの一員ではあるが亜貿社の従業員ではない。亜貿社役員から譴責を受ける筋合いはゼロ。
しかし、当然とはいえ自分だけ被災を免れたことに後ろめたさは覚えていて、だから今日は有希の自堕落をある程度容認していた。しかし、それも限界だった。
「そうは言っても、そろそろお昼ですよ! せっかくお食事を用意したのに何時までも片付かないじゃないですか」
「朝飯なら、いらん……」
「ブランチです! 食べなかったら昼食も抜きですから!」
「それは……困る……」
そう言いながら、有希はノロノロと身体を起こした。本音では腹を空かせていたのである。
彼女はコンレーチェのカップを掴んで中身をグッと飲み干した。
「にがっ……」
そして、小さなおくびの後、ボソッと呟く。
それを耳にした奈穂は、ポーカーフェイスを維持しようとして失敗した。
コンレーチェは有希の味覚に合わせた、普通の人間には甘すぎて飲めない代物だったはずなのだ。奈穂は有希に昨日も同じ物を出したのだが、「苦い」とは言われなかった。今日の有希はいつにも増して甘党であるようだ。
「有希さんっ、テーブルで二度寝しないでください! お食事ですよ」
再びテーブルに沈み込みそうになった有希を叱りつけ、奈穂がテキパキとお皿を運ぶ。
甘い匂いがダイニングに広がる。メープルシロップをつけて焼いた白身魚が有希の食欲を刺激した。有希は真っ直ぐ座り直して箸を手に取った。
お椀の中身は玄米だ。奈穂の最近のブームで、さすがにこれは甘くない。
有希はガツガツと料理を口に運び始めた。
そのまま早いペースでお皿を空にしていく。
「ご馳走さん」
有希が手を合わせ、奈穂が「お粗末様でした」と応じたちょうどその時、壁に取り付けられたヴィジホンの着信音が鳴った。
奈穂がコンソールに駆け寄り発信人を確認する。
「誰からだ?」
振り返った有希に、奈穂は神妙な表情で「文弥さまです」と応えた。
有希が顔を顰めて、乱暴な手付きで自分の口の周りを拭う。ナプキンをテーブルに放り投げ、有希は椅子ごと身体の向きを変えた。
「……よし、繋いでくれ」
奈穂がコクンと頷き、コンソールを操作する。
四十インチのディスプレイが中性的な美少年の顔を映し出した。
『やあ、有希。食事中だった? 邪魔したかな?』
有希の口から小さな舌打ちが漏れる。口の周りに汚れは残っていないはずだが、使用済みの食器がカメラに映ったのだろうか?
「ちょうど終わったところだから構わねえよ。仕事か?」
有希は無駄話をせず、そう訊ねた。
『仕事だ』
文弥も端的な答えを返す。文弥と有希は世間話をするような間柄ではないので、当然の反応と言えた。
「文弥の仕事ってえと、あの人絡みか? 」
『そうだよ』
有希が嫌そうに顔を顰めた。過去、痛い目にあった記憶から、有希は「あの人」こと司波達也に苦手意識を持っている。いや、本能的恐怖と表現する方が妥当かもしれない。
『ただ今回は達也兄さんの周囲を見張る必要は無い。処理する相手は決まっている』
「珍しいな。『処理』することも決まっているのか」
『達也兄さんも僕も、別件で忙しい。余計な雑魚に関わっている暇は無い』
「お、おう……。そうか」
文弥らしからぬ冷酷な物言いに有希が鼻白んだ。
『ターゲットは国防陸軍の多中少佐、石猪少尉、そしてUSNAの新興軍需企業「サムウェイナームズ」のエージェント、ナオミ・サミュエル。詳しいデータはファイルで送る』
文弥は有希の反応に構わず、手早く用件を告げた。
「分かった。一応訊いとくが、こいつらを殺る理由はあの人を狙っているから、ってことで良いんだな?」
『そうだよ。詳しい経緯も今から送るファイルを見てくれ』
「了解だ」
『今回の仕事は有希個人に対する依頼であると同時に、亜貿社に対する依頼でもある。社長からも話があると思うよ』
「おいっ、ちょっと待て。そりゃあ、会社にも依頼を出したという意味か?」
『この案件を僕たちがそれだけ重視しているってことだ。そう理解してくれ』
「……あたしに拒否権は?」
『そんなもの、あるわけがない』
「そうだよなぁ……」
ため息を吐く有希息に、文弥は頷きながら「じゃあ、よろしく頼むよ」と言い残して電話を切った。
「厄介事の匂いがプンプンしやがる……」
ブラックアウトした画面を睨みながら有希が思わず愚痴をこぼす。
「文弥さまがわざわざ有希さんに依頼を出した時点で、厄介な案件なのは確定では?」
その独り言に、奈穂が身も蓋もない意見を返した。
有希が苦虫を噛み潰す。分かっていてもオブラートに包まず指摘されては面白くない。有希は「……空気を読めよ」という気分だった。
「データファイルは届いているか?」
しかし、実際に口にしたのはこれだった。明言しないからこそ「空気」であって「空気を読め」という言葉は、実際に口から出た瞬間、おそらく最も「空気が読めていない」セリフに早変わりする。「空気」が読める有希はそれを避けたのだった。
「はい、着信済みです。デコードしますか?」
しかし、奈穂の回答に有希の意識は完全な仕事モードに切り替わった。
「頼む」
「はい。お待ちください」
有希の短い指示を受けて、奈穂は復号機にデータをダウンロードした記憶媒体をセットした。受信機と復号機を直接つながないのは平文化されたデータの流出を万が一にも避ける為だ。
奈穂はデコードが完了した記憶媒体を復号機から取り出し、タブレット端末に差し込んで有希に手渡した。
有希は早速、端末に電源を入れ、ファイルに目を通す。そしていきなり「なにっ!?」と声を上げた。
有希が漏らした驚きに、奈穂が大して反応を示さなかったのは、デコーダーのモニターで内容をあらかじめ見ていたからだろう。
「こいつら、米津の仲間か!?」
「そうみたいですね」
有希が張り上げた声に、奈穂は淡泊な口調で相槌を打った。奈穂も意外感を覚えていないわけではない。
「どういうことだ……?」
「単なる偶然では?」
ただ彼女はそこに偶然以上のものを感じなかった。その点が奈穂と有希の違いだった。
「偶然……なのか?」
「文弥さまには、依頼を分けるなんて面倒な真似をする動機は無いと思いますが」
「……そりゃそうか」
奈穂の冷静な指摘に、有希の疑心暗鬼もすぐに晴れたようだ。
彼女は一時的な混乱から脱すると、別の理由で頭を抱えた。
「米津の仲間ってことは、ヤツと同じように監視されているんじゃないか……?」
「……その可能性は高いと思います」
有希の自問に、奈穂が同じように暗い表情で肯定を返す。
「難しい仕事になりそうだな……」
有希がうんざりした顔でため息を吐いた。◇ ◇ ◇
「そもそも、どういう経緯で国防軍の士官があの人を狙うんですか?」
有希のマンションに呼び出された鰐塚がことのあらましを聞いて、まず口にしたのはこの疑問だった。
「兵器実験の邪魔をされたから、らしいぜ。あたしもいまいちよく分からん。詳しくは、自分で読んでくれ」
そう言って有希は、鰐塚にタブレット端末を渡す。
鰐塚は文弥から送られてきたデータファイルに無言で目を通し始めた。
「……確かによく分からない話ですねぇ」
そして、独り言のようにそう漏らして顔を上げた。
「ターゲットの二人、米津大尉も含めれば三人は酒井大佐をリーダーとする対大亜連合強硬派グループに属していて、酒井大佐は国防軍内の主導権争いに敗れたが、残党はまだ巻き返しを狙っている。――米津大尉が監視されていたのはそういう訳だったんですね。ここまでは納得できます」
「そうだな」
鰐塚のセリフに有希が相槌を打つ。鰐塚は有希に目で頷いた。
「しかし、そこから先が理解できません。酒井大佐は九校戦を舞台にした新兵器実験がきっかけで失脚? 高校生の競技会が行われている所で新兵器をテストしたんですか? 意味が分かりません」
「あたしもそう思うよ」
「そして、新兵器のテストが失敗したのは『摩醯首羅』の異名を持つ魔法師に邪魔されたからで、『摩醯首羅』の正体があの人だと分かったので報復の為に暗殺を企てた、ですか? 酒井大佐の失脚と新兵器実験の失敗に直接の因果関係は無いようですが。あの人を暗殺することが何故復仇につながるんでしょう?」
鰐塚の困惑しきった声に、有希は大きく頷いた。
「こいつら、何を考えてんだろうな……? ところでクロコ」
「何ですか、ナッツ」
「『摩醯首羅』って何だ?」
本題から見ればどうでも良い有希の質問に、鰐塚は脱力した愛想笑いを返した。
「摩醯首羅というのはヒンズー教の主神の一柱、シヴァ神の別名ですよ」
「シヴァ神ってえと、破壊の神だったな?」
「まぁ、大雑把に言うとそうですね」
「破壊神か……あの人にぴったりだな」
有希のコメントに、鰐塚は曖昧に笑うだけで肯定も否定も返さなかった。
「ところで、多中少佐たちは『摩醯首羅』の正体があの人だと、どうやって特定したのでしょうか? 新兵器のテストを邪魔するくらいですから、素性は隠していたはずですよね?」
「分からん。同じ国防軍だ。どっかにデータが残っていたんじゃないか。あの人がみすみす尻尾を掴ませるようなドジを踏むとは思えん」
「……そんなところですかね」
「どうでも良いじゃねえか。あたしたちがやることは一つだ。どうにかして監視の目をかいくぐり、多中と石猪、そしてナオミとかいう女をぶち殺す。それだけだ」
有希の言葉に鰐塚がため息を吐きながら頷く。
「……そうですね。まず、多中少佐と石猪少尉の行動パターンを洗い直してみます」
「ああ、頼む」
有希が頷きを返す。
それを合図に、鰐塚は温くなったコーヒーを一気に飲み干しダイニングテーブルの席を立った。◇ ◇ ◇
組織内の権力闘争に敗れたからといって、仕事が無くなるというわけではない。国防軍はただ飯を食わせてくれるような、甘い組織ではなかった。
多中少佐は石猪少尉と共に、現在K市の基地で補給物資の評価を担当している。あくまでも担当しているだけで、決定権は無いから利権とは無縁だ。
元々多中も石猪も兵站業務に携わっていた後方勤務の士官だ。所属派閥が没落しても、権限を奪われただけで仕事内容は余り変わっていない。
土曜日にも拘わらず、この日は多中少佐の許をUSNAの軍需企業のエージェントが訪ねてきていた。『サムウェイナームズ』という、この業界では新興の企業で日本での納入実績はまだ無い。
新規取引を獲得する為に、企業のエージェントが兵站係の許へ売り込みに来るのは別段不自然なことでは無い。今の多中には少佐の地位に相応しい権限は無いが、実績の無い企業のセールスマンがいきなり責任者に会うのではなく実務者に狙いを定めるというのもありがちだ。『サムウェイナームズ』のエージェント、『ナオミ・サミュエル』と多中の接触を怪しむ者は少なかった。
しかし実態はといえば、ナオミは商談に来たのではなかった。別件で多中に呼び出されたのである。
「昨夜、米津が殺された……」
多中が切り出したセリフに、ナオミは驚きを露わにした。
「米津大尉が? 犯人は捕らえたのですか?」
その表情が本気か演技か、多中には判別が付かなかった。
「いや、まだだ。何者なのかも分かっていない。ただ致命傷となった傷は、『高周波ブレード』によるものだということは判明している」
「犯人は魔法師だと?」
「物理技術的に高周波ブレードが実現しているなら話は別だが」
「……いえ。魔法を用いない高周波ブレードが開発されたという情報はありません」
「ならば米津は魔法師の手に掛かったのだ」
多中はいったん言葉を切って、暗い眼差しをナオミに向けた。
「ミズ・サミュエル。貴女は『摩醯首羅』の正体がFLT役員の息子、司波達也であり、彼を暗殺するべきだと我々に勧めたな?」
「ええ。その件はご納得いただいた上で、ご了解を得ているものと認識しています」
「確かにそうだ。司波達也暗殺については、私自身の意思で賛同した。……しかしこれは、偶然なのか?」
「と、仰いますと?」
「強力な戦闘魔法師である『摩醯首羅』の暗殺を決めた直後、米津が魔法師の手に掛かったのは偶然なのか? という意味だ」
「我々の司波達也暗殺計画が漏洩して先手を打たれたと? あり得ません。考えすぎです」
「しかし、タイミングが合いすぎている」
「偶然の一致です。そもそも、暗殺すると決めただけで具体的にはまだ何もしていないではありませんか」
「それはそうだが……」
ナオミの言葉に、多中は一応納得したような応えを返したが、心からのものでないのは明らかだった。
相手の小心ぶりにナオミは心の中でため息を吐き、顔は誠実そうな表情を取り繕った。
「それでは、暗殺をいったん棚上げにしますか? 時間は閣下の敵です。時が経てば経つ程、閣下のお命は危うくなりますよ?」
丁寧な口調に包まれた脅し文句に、多中は身を震わせた。
「そ、そもそも『摩醯首羅』の一派が我々を暗殺しようとしているという情報は、確かなのかね? 今更私を殺しても、意味は無いはずだ」
「『摩醯首羅』の正体も彼らの企ても、『七賢人』からもたらされた情報です。『七賢人』が何者なのかは不明ですが、彼らからリークされた情報はこれまで常に正確でした。今回に限って疑う理由はありません」
「むぅ……」
「現在、司波達也は横浜華僑・周公瑾の追跡に当たっています。これも『七賢人』の情報のとおりでした」
「……そうか」
多中の呟きには、観念したような響きがあった。
それでも覚悟が決まらない多中を見て、ナオミは口調を和らげた。
「閣下。護衛を強化しては如何でしょう?」
「しかし、今の私が司令部に護衛を要請しても……」
自分が厄介者である自覚がある多中は、弱々しい口調で反論する。
「護衛として申請するのではなく、亡くなられた米津大尉の補充として護衛が務まる兵士を指名するのですよ」
「なるほど……。兵卒であれば、今の私の権限でも何とかなる。しかし、そんなに都合の良い兵士が……」
「隣の研究所に、かつて閣下が目を掛けられた実験体が飼い殺しになっているはずですが」
「仲間一等兵のことか!?」
仲間杏奈一等兵。彼女は四年前、フィリピンから小型船で密航した不法入国者の一人だった。日本政府は同じ船で入国したフィリピン人を難民として受け容れたが、日本人の父親を持つという少女の帰化申請は血縁を証明できないという理由で却下した。そんな中、先祖に日本人がいるという本人の主張を盾に仲間杏奈、当時のアンナ・サントスの帰化を強引に認めさせたのは多中だった。
無論、人道的な動機によるものではない。
アンナ・サントスの魔法師としての資質に目を付けたのだ。
多中は帰化手続きが完了し、『仲間杏奈』となった彼女を国防軍に引きずり込み、魔法師強化施設に送り込んだ。
軍の実験体となったのは、全く杏奈の自発的意思ではなかったが、密入国時点で孤児だった彼女は、日本で暮らしていく為の確かな立場を自分に与えてくれた多中に恩義から来る忠誠心を懐いていた。
もっとも、今の杏奈は実験の一環でマインドコントロールされているので、誰であろうと命令には無条件で服従するのだが。
「実験体『石化の魔女』。対人戦闘能力はかなり高いとうかがっています」
「そうだな。彼女を従卒として配属するよう、早速掛け合ってみよう」
「ええ、それがよろしいでしょう」
懸念が薄れてホッとした様子を隠そうともしない多中の小者ぶりに呆れている内心を露程も見せず、ナオミは笑顔で相槌を打った。