• NOVELS書き下ろし小説

  • 邪眼の女教祖

    [7]潜入

    『魔法師に対して不安を懐く一般市民の気持ちを、国会議員の皆様にも理解していただきたいのです。魔法は銃や爆弾と同じで、容易に人の命を奪います。魔法を使うも使わないも魔法師の気持ち一つで決まり、それに対して私たち一般市民は為す術がありません』
     ――しかし、治安維持を始めとして魔法は現代社会の様々な場所で利用されていますが。
    『現代の社会生活に魔法は必要ありません。魔法を悪用する者がいなくなれば、魔法師を警察官として採用する必要も無くなります。魔法は危険な力であり、現代の科学技術で魔法の使用を禁じられない以上、魔法師と一般市民はお互いの為に、別々の場所に住むべきなのです』
     ――魔法師の為の居住区を政府の手で作るべきだということですね?
    『そうです。一般市民と魔法師が同じ街で暮らすのは、一般市民にとって多大なストレスの元であり、それが魔法師に対する嫌がらせにつながっています。これはお互いにとって不幸なことです』
     ――小西こにしさん、ありがとうございました。

     地上波テレビのインタビューを受けた後、小西は教団の代表室に戻った。しばらく、誰も通さないように言い付けて。
     国会議事堂の前では、デモ隊と警官隊がまだもみ合っている。しかしその成り行きに、小西は興味を覚えなかった。警察との衝突が生中継のニュースになり、彼女の団体がお茶の間の話題になった時点で既に目的は達成されている。後は夜のニュースでインタビューが予定どおりに放映されるのを待つだけだ。
     一人になった小西は、デスクに立てかけてあったタブレットを手に取った。
    「さて……誰を使おうかしら」
     団体構成員の名簿を呼び出し、一人一ページに纏めたデータを順番に見ていく。
    「前回は男性ばかりで失敗したから……。今度は女性だけの攻撃隊を使ってみましょう。念入りに調して」
     小西は五人の若い女性を選び出して、後程セミナー室に集めるよう秘書に命じた。

    ◇ ◇ ◇

     有希ゆきを喫茶店に連れ込んだ小西教団の構成員である女子大学生・山野やまのハナは、一時間の雑談の後、ようやく本題に入った。――なお彼女がこの近くの大学の三年生だということは、長い世間話の中で有希に伝えられていた。
    「ナッちゃんは何故、魔法を嫌うの?」
    「それは……」
     有希の躊躇は見せ掛けだけのものだ。すぐに、あらかじめ用意した理由を答えるつもりだった。
    「あたしは」
     だがその前に、ハナが自分の心情を語り始めた。
    「やっぱり、怖いからかな。去年の横浜事変の記録映像、見たことある?」
    「いいえ……」
     有希は首を横に振りながら、頭の中では首を傾げていた。去年の秋、大亜連合軍による横浜侵攻事件。あの時の戦いは、多くの軍事機密が含まれているという理由で、は非公開とされているはずだ。
    「会にあるから、後で見せてあげるよ。グロいのが平気だったらね」
    「……グロいんですか?」
     有希は商売柄、スプラッタな映像もウェルダンな写真も平気だ。だが普通の女性は、有希の印象だと、苦手だという者が多い。それを念頭に置いて、有希は顔を顰めて見せた。
    「うん、グロい。人間がね、パーンッて破裂するんだよ。辺り中に血を撒き散らしながら」
    「…………」
     しかしこの説明に、演技は必要なさそうに思えてくる。
    「他にも、人の目が焼き魚みたいに白く濁っていくんだ。ジワジワと。あっ、思い出したら気分が悪くなってきた」
     そう言いながら、ハナは平気な顔でパフェを口に運ぶ。
     むしろ有希の方が、食欲が無くなっていた。
    「そりゃ、使じゃなくたって人殺しはするけどさ。せいぜい刺したり絞めたりでしょ。あんな風には殺せないよね」
     悪趣味な猟奇殺人鬼と殺し合いを演じた経験がある有希は、心の中で「それは違う」とかぶりを振った。もちろん、口や表情には出さなかったが。
    使の人たちには悪いけどさ。人間を簡単に壊せちゃう力の持ち主が同じ街にいるなんてゾッとする。一緒に暮らしていくなんて、とても耐えられない」
     ハナの目は、暗く、据わっていた。
     彼女の目を見て有希は「それだけが理由じゃないんだろうな」と思った。

    ◇ ◇ ◇

     結局有希は「魔法師が怖い」という意見に同調して、『今よりも人間的な暮らしと社会を実現する会』の本部に連れて行ってもらうことになった。
     小西教団の本部は青山から渋谷へ向かう途中の、青山通りを少し奥に入った所にあった。
     副都心の一等地にも拘わらず、道路は狭く、周りの建物は背が低い。再開発計画から漏れたのか、戦前(第三次世界大戦前)の町並みが残っている。その中に建つ、窓が極端に少ないコンクリート打ちっ放しの中層ビル。
    (ここが敵の本拠地か)
     小西教団は結成されてまだ一年も経っていないはずだ。その前身となる団体はあったが、小西が代表に収まってから――代表の座を乗っ取ってから六ヶ月と少ししか経過していない。この短期間で、大通りに面していないとはいえ、また中古とはいえ、東京の副都心部にビルを所有している。有力者がバックに付いていなければ考えられないことだ。
    (まっ、黒幕の始末はあたしの仕事じゃないけどな)
     心の中で太々しく嘯きながら、外見は少しおどおどとした、見知らぬ場所に連れて行かれた若い娘が見せるような態度で有希は教団の本部を見上げた。
    「大丈夫よ。たちの悪い新興宗教とかじゃないから」
     ハナが笑って有希の手を引く。
     有希は逆らわず、ハナに続いてエントランスをくぐった。

    ◇ ◇ ◇

    「上手く潜り込めたみたいね」
     小西教団の本部に潜入した有希の姿を、通りの角から見詰めている人影があった。
     派手な顔立ちの美しい少女だが、何故か、全く目立っていない。
     存在感が異常に希薄だった。
     姿が見えなくなっているわけではないが、大抵の人は彼女を視界に入れても風景の一要素としか感じないだろう。後から顔を思い出せないどころか、彼女がそこにいたという事実を記憶している者さえ、ほとんどいないに違いない。
     少女は普段から、このように影が薄いのではない。いつもはむしろ、目立っている。これは彼女、黒羽亜夜子くろばあやこが意図的にやっている、彼女の魔法によるものだった。
     亜夜子は偶々この場にいるのではなかった。彼女は国会議事堂前からずっと、有希を尾行していた。有希と示し合わせて、ではない。有希は亜夜子の尾行に気付いていない。有希は決して気を抜いていなかったが、亜夜子の魔法が一枚上手だった。
    「でも、ちょっぴり拍子抜けだわ。秘密の拠点に連れて行ってくれると期待していたのに、一般に公表されている本部なんだもの」
     亜夜子は独り言を呟いているのではない。彼女の耳には通話機――携帯情報端末の音声通信ユニットがはまっていて、回線は文弥とつながっていた。
    「侵入するのは、止めておく。難しくはないと思うけど、有希さんの報告を聞いてからでも遅くはないから。そうでしょう?」
     亜夜子は一瞬だけ、有希を呑み込んだエントランスに目を遣って、教団本部ビルに背を向けた。
    「ええ、今日はこれで戻ることにするわね、じゃあ、ホテルで」
     歩きながら話をしていた亜夜子は、通話機を耳にはめたまま、そのスイッチを切った。

    ◇ ◇ ◇

    「あら、ハナさん。そちらの方は?」
     入ってすぐの所に透明な壁で事務室があり、横長の小さな窓が開かれていた。有希を連れたハナはその奥から、三十代前半の女性に声を掛けられた。
    「ナツさん。あたしたちの活動に興味を持ってもらえそうだから、見学に連れてきました」
    「そうですか」
     事務室の女性は、座ったままではあるが、有希に親しみを込めた笑顔を向ける。
     有希は野球帽を脱いで会釈を返した。
    「ゆっくり見ていってくださいね。分からないことがあればハナさんにでも私たちにでも気軽に訊いてください」
     窓口の女性の言葉の後に、彼女の奥に座っていた同じ年頃の男性が続く。
    「代表が部屋にいらっしゃるので、もしかしたらお話を聞けるかもしれませんよ」
    「それは良いですね!」
     ハナが弾むような声を上げた。
    「ナッちゃん、早速行きましょう」
     有希がに潜入しようと考えたのは、による洗脳の秘密を探る為だ。小西に会えるのは願ったり叶ったりだったが、潜入直後にターゲットと接触というのは幾ら何でも展開が急すぎた。
    「あの、いきなり押し掛けたらご迷惑じゃないですか?」
     有希としては、せめて建物の中を見て回り、逃走路を確認してからにしたかった。
    「いきなりじゃないよ。まずは秘書さんの所に行くから。都合が悪かったらそう言ってくれるから、心配しなくて良いって」
     しかしハナは聞く耳を持たない。有希の手を取って、ぐいぐい引っ張っていく。
     有希は仕方無く、彼女の後に続いた。
    「ハナさん」
    「んっ? なに?」
     少しでも心構えを作る時間を稼ぐ為に、有希はどうでも良い質問を捻り出す。会話をしている最中は、どうしても歩みが遅くなるものだからだ。
    「ハナさんって、苗字ではなく名前で呼ばれているんですね」
    「みんな、そうだよ」
    「みんな?」
     だがこの疑問は、時間稼ぎではなかった。
    「会の中では、基本的にフルネームは使わないの。個人情報対策だね」
    「組織の中で、ですか?」
    使の人との共存に反対するって、ある意味で政府の方針に逆らってるわけじゃない? 民間企業とかならともかく、お役所から嫌がらせされるときついからさ。できるだけ、身元を分かり難くしているんだよ」
    「でもハナさん、あたしには……」
     自分にはフルネームを名乗ったではないか。有希の口から自然にそんな疑問が飛び出る。
     それとも『山野』というのは偽名なのだろうか。有希自身が名を偽っているが、ハナからは嘘を吐いている気配を感じなかった。それが有希を混乱させていた。
    「アハハッ、良いって良いって。あたしがナッちゃんを誘ったんだしさ。それに」
    「……それに?」
    莉子りこを助けてくれたでしょ。あのままだと、本気でやばかったと思うんだよね。莉子はあたしの親友ってわけじゃないけど、一応友達だし。友達を見殺しにしたなんてことになったら、一生夢見が悪いと思うんだ」
     ――そんなものだろうか。
     有希はそう思った。彼女が一番親しく付き合っている人間と言えば鰐塚わにづかだが、自分は状況次第で彼をあっさり見捨てるだろうという確信がある。それでクヨクヨ悩んだりしない自信がある。逆のパターンで鰐塚に見捨てられても、自分は大して恨まないだろうと有希は思う。
     ただの顔見知りが事故で命を落とす。しかもそれは、自分の所為ではない。それなのに一生後悔し続けるという心理が有希には理解できない。馬鹿馬鹿しいとすら思う。……ただ、心の片隅で、「羨ましい」と微かに感じてもいた。
    「――そうならなかったのはナッちゃんの御蔭だからさ。自分の本当の名前で御礼を言うべきだと思ったんだ。……あっ、ここだよ」
     ここに来るまでに見た他の部屋との違いと言えば「代表室」と書かれているだけの扉の前で、ハナは立ち止まった。
    「失礼しまーす」
     インターホンに話し掛けたわけではないから、中には聞こえなかっただろう。おそらく、単なる気分で声を上げてハナはスライドドアの開閉スイッチを押した。
     鍵は掛かっていなかった。薄いドアが、あっさり開く。
    (随分普通だな。この扉、防音ですらないぞ)
     有希は拍子抜けの気分を味わっていた。
     奥にもう一枚扉があって、その前のデスクで年配の女性がキーボードを叩いていた。おそらくこの女性が小西の秘書なのだろう。
    「あら、ハナさん。そちらの方は?」
     秘書は顔を上げて、エントランスの女性事務員と全く同じ問い掛けのセリフを発した。
    「見学のナツさん。代表さんに会わせたいと思って」
     ハナの言葉遣いは年長の、しかも代表秘書という地位にある者に対して、有希でもどうかと思う砕けたものだった。しかし秘書に、気分を害した様子は無い。もしかしたらこのの中では、上下の秩序が余り意識されていないのかもしれない。有希はそう思った。
    「あら、まあ」
     秘書はどちらかと言えばきつい感じのする容姿だったが、その印象が覆る親しげな笑みを浮かべた。
    「ナツさん、ですね。『今よりも今よりも人間的な暮らしと社会を実現する会』へようこそ。少々お待ちくださいね。代表のご都合をうかがってみます」
     秘書はレトロな受話器を取り上げて小声で話し始めた。
    「……はい、かしこまりました」
     彼女は受話器を置いて、ハナと有希にニッコリと笑い掛ける。
    「お会いになるそうです。どうぞ、中へ」
    「ありがとう、秘書さん。ナッちゃん、行こ」
     ハナがつないだままだった手を引っ張って、奥の扉に向かう。
    「あの、ありがとうございました」
     有希は秘書に軽く会釈しながら、彼女の前を通り過ぎた。

    ◇ ◇ ◇

    『ハナさんが見学の方を連れてこられました。代表にご面会を希望されていますが、如何されますか』
    「お通ししなさい」
     秘書の問い合わせに対する小西の返事は、ほとんど即答だった。
     見学者は元々魔法に対する反感や嫌悪感を持っている人間ばかりで、そのまま入会するケースが多い。小西が会えば、ほぼ百パーセント新規会員――になる。だから彼女は、都合が付く限り見学者に直接声を掛けることにしている。
     それに山野ハナは、司波達也に差し向ける新たな刺客に選んだ五人の内の一人だ。ご機嫌取りが必要、とまでは行かないが、余り粗末には扱えない。
     小西が遠隔操作でドアを解錠する。
     ほとんど同時にノブが回り、「失礼します」の声と共に扉が開いた。
     入ってきたのは山野ハナと、身長百五十センチ程度の野球帽を手に持った少女。
     十五歳程度と思しき少女に、小西は一瞬、思わず目を見張ってしまう。
     彼女はすぐに愛想笑いを浮かべて「いらっしゃい」と有希に話し掛けた。
     その笑顔の裏で、小西は激しい驚きを覚え、歓声をこらえていた。
     その少女に見覚えはない。
     だが、小西には分かる。彼女はただの小娘ではない。
     巧みに隠しているが、無頭竜No Head Dragonで見た暴力の専門家と同じオーラを放っている。
    「ハナさん、ご苦労様。貴女にも後でお話があるから、少しの間セミナー室で待っていてもらえるかしら」
    「はい、ですが……」
    「ナツさんには私から会のことをご説明したいから」
    「……分かりました」
     ハナが少し躊躇するのを、小西は苛立ちを隠しながら見ていた。
    「ナッちゃん、あたしはこれで。時間が合ったら、また後で」
     はやる心を抑えて部屋を後にするハナを見送り、小西は「ようやく」という気分で有希に笑顔を向けた。
    「座ってお話ししましょう。こちらに来てくださる?」
     小西は壁にしか見えなかった出入り口とは別のドアを開けて、この部屋からしか出入ではいりできない応接室へ有希をいざなった。

    ◇ ◇ ◇

    (こいつが小西か)
     初めて直接目にするターゲットを前に、有希は湧き上がる警戒心と共に心の中で呟いた。
     見た目はただの「おばさん」だ。小ぎれいにしているが、メイクを落とせば「一応は美人」とさえ言えなくなるに違いない。
     だが、「目」がただ者ではなかった。
     自分を見て、何かに気付いたように目を見張り、すぐに愛想笑いの仮面でそれを隠す。
     有希の直感を刺激したのは、そんなありふれた演技ではない。
     小西は眼光が、普通ではなかった。
    (邪眼とか魔眼とかいうやつか……?)
     視線だけで人を不幸にする。そんな魔女の姿が、小西の背後に透けて見える気がする。
     ハナを追い出した――有希には小西がハナを邪魔者扱いしていたことが分かった――小西は「座ってお話ししましょう」と言ってデスクのリモコンを操作した。
     左側の壁の一部が、微かな音を立てて素早くスライドした。
     隠し扉だ。
    (まるで分からなかったぞ……)
     有希が素人ならば「凄い」と目を輝かせるだけだっただろう。
     だが有希はプロの殺し屋だ。非合法な用途しか考えられないギミックを、単純に称賛することはできなかった。
     小西が有希を先導する形で隠し部屋に入る。
     有希の中で「その部屋に入ってはならない」という警報が鳴り響いている。
     だが彼女は自分の直感を無視して、小西の後に続いた。――後から思えば、この時点で既に、有希は小西の術中にはまっていたのだろう。
     物が余り置かれていなかった代表室とは打って変わって、この隠し応接室とでも呼べる部屋はアンティークな雰囲気に纏められていた。
     壁には骨董品の振り子時計。
     灯りは電球色の間接照明。
     椅子は長椅子のソファではなくクッションを敷いたロッキングチェア。
     丸いテーブルはウォールナットの重厚な色合い。
     床には毛足の長い絨毯が敷かれている。
     何となく、黄昏時を連想させる部屋だ。
     小西が腰を下ろし、有希に椅子を勧める。
     有希は小西の向かい側に腰を下ろした。
     ロッキングチェアが軽く揺れる。ただ、思っていたよりも安定した座り心地だ。座面は木製だが、クッションの御蔭で硬いという感じはしなかった。
     窓の無いこの部屋には、外の光も音も全く入ってこない。
     静かだった。
     時計の振り子が揺れる規則的な音が、微かに聞こえてくる。
     ――チク タク チク タク
     静かすぎる所為だろうか。時計の音が耳に付いて離れない。
     ――チク タク チク タク
     だが何故か、うるさいとは感じなかった。
    「どうぞ」
     小西が身を乗り出して、有希の前にティーカップを置いた。
     カップからは強い香気が漂い出ている。
    「ハーブティーですか?」
    「ええ。私はカフェインが苦手なものですから。お嫌でしたら、別の飲み物を用意しますが」
    「いえ、いただきます」
    「そう。良かった」
     有希は毒物に対して、ほぼ完全な耐性を有している。また無味無臭と言われている薬物でも、身体強化で鋭敏化した有希の嗅覚は大抵捉えることができる。
     有希はこっそり、己の異能を発動した。その状態でハーブティーに顔を近づける。立ち上る湯気の中には、彼女が知っている薬物の臭いは無かった。
     小西と有希は、同時にカップに口を付け、同時にテーブルへ戻した。
     心なしか、精神が弛緩している気がする。敵を前にして好ましいことではないが、迫り来る危険を感じ取ることも無しに緊張を高めるのは、簡単ではなかった。
    「改めて、『今よりも人間的な暮らしと社会を実現する会』へようこそ」
     小西が有希の両目をのぞき込む。
     有希は理由も無く、目を逸らしては失礼だと思った。
    「あの、あたし、見学に来ただけで、まだ入会すると決めているわけじゃ……。仕事もあるし、学生みたいに時間も取れないので」
    「分かっています。無理に入会しろなんて言わないわ。うちはそういう団体じゃないから」
    「……すみません」
     有希のセリフも態度も演技でしかない。だがどういう訳か、有希の中で小西に対する引け目、心苦しさが芽生えていた。
     有希は頭を下げようとした。だがその動作は不完全なものに終わった。
     彼女は小西の視線から、目を逸らせなかった。
     ――チク タク チク タク
     規則的な振り子の音。有希は、確かに自分の耳に届いているその音を、意識できなくなっていた。
     有希は自分でも気付かない内に、そのリズムに合わせて小さく椅子を揺らしていた。
    「良いのよ。興味を持ってもらうだけで嬉しいわ」
     小西がハーブティーを口に運ぶ。
     有希もつられたように、カップを傾けた。
     小西がテーブルに戻された有希のカップに、ポットからハーブティーを注ぎ足す。
     ハーブの香気が部屋に広がった。
    「私たちの会は、世間では『反魔法主義団体』と呼ばれています」
     有希は小西と目を合わせたまま頷いた。
    「確かに、魔法師の権利を制限しようとする面があるのは否定しません。ですが魔法を持たない一般人にとっては、魔法は銃や爆弾と同じくらい怖いものなのです」
     有希は何も言わない。相槌も打たない。
    「市民が銃を持つことは禁じられています。市民にとって危険だから、銃を所持する権利を制限されているのです。危険なものを禁止する。それは昔から、当たり前に行われてきました」
     ――自走車は使い方次第で凶器になるが、社会から排除されていない。
     そんな思考が意識に浮かび上がったが、反論になるかどうか有希には分からなかった。
    「人々の脅威となる魔法の禁止は、当然の市民感情です。銃と同じように、魔法も禁止されるべきではありませんか?」
     有希は無言で頷いた。しかし彼女に、自分が首を縦に振った自覚は無かった。
    「しかし、魔法師と魔法は切り離せません。今の技術では、魔法を完全に禁止することはできないのです」
     有希が座るロッキングチェアの揺れが、少しずつ勢いを失う。
    「だから市民が魔法に怯えなくてもいい社会を作る為には、魔法師の居住区を別に作って住み分けるしかありません」
    「…………」
    「魔法師には、私たちの住む街からいなくなってもらいます」
     有希の椅子が、静止する。
    「魔法師には、消えてもらう必要があるのです」
    「魔法師には、消えてもらう……」
    「そう。魔法師を消すのです」
    「魔法師を、消す」
     有希が、抑揚の無い口調で小西の言葉を繰り返す。
     有希の瞳から、意志の光が消えた。
     対照的に、小西の両眼は今や、隠しようのない妖しい光をたたえていた。
     邪眼イビル・アイ。視線で相手の意識を操る異能。
     彼女の力は、あいにくと中途半端なものだ。催眠術のギミックを併用しなければ、相手の意志を奪えない。だから彼女はBS魔法師、先天的特異魔法技能者とすら認められなかった。
     魔法師の一人とは、認めてもらえなかった。
     だが催眠効果を持つ光の点滅パターンを相手の網膜に投影する魔法、偽物の「邪眼イビル・アイ」とは違い、小西の異能は視線を媒介にして相手の意識に働き掛ける本物の邪眼じゃがんだった。
     有希は、十分に警戒していた。
     だが薄暗い部屋、規則的な音、眠気を誘うように揺れる椅子、緊張を緩める香気と、周到な舞台装置の中に引きずり込まれて、小西の術中に落ちてしまった。
     小西の邪眼に、呑まれてしまった。
    「ナツ、というのは偽名でしょう」
     小西が愛想笑いを消し、あるじしもべに問い掛ける口調で有希に訊ねる。
    「本名と職業は?」
    「榛有希。職業は、殺し屋」
    「経験はどれ位?」
    「プロのキャリアは、五年」
     小西の唇に、邪悪な笑みが浮かんだ。