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NOVELS書き下ろし小説
- 魔法科高校の劣等生司波達也暗殺計画
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邪眼の女教祖
[3]一蹴
魔法師同士の試合は障碍物のない広い部屋で、正々堂々と行われるのが常だ。
これが実戦形式の模擬戦になると、広い山林や建物一棟を丸ごと使うことが多い。
しかし殺し屋の腕試しが見通しの良い部屋で行われることはないし、だだっ広い空間も必要とされない。
相手に見つからないように接近して、反撃の暇 を与えず倒す。お互いが的だと分かっている状況では、油断させて接近し、油断している内に仕留める手口は使えない。だから必然、不意を狙う展開になる。
余り広い空間でこれをやると格下が逃げ回るだけで時間が過ぎてしまうので、大きなビルのワンフロア、中小ビルのツーフロアくらいに行動範囲を限定して技を競い合う。これが殺し屋同士の格闘戦形態だ。――言うまでもなくスナイパーには、別の試合形式がある。
その種の訓練施設は、四葉家も、その分家である黒羽家も、亜貿社も持っていた。
ただ四葉家の訓練施設は現在のところ本家の里に集中していて、有希は立ち入ることができない。
亜貿社の施設は逆に、部外者の奈穂には使えない。奈穂の正体は当面、有希と鰐塚以外には明かさない方針だ。黒羽家から有希のマンションへ奈穂を派遣することは亜貿社に通告してあるから、社員は奈穂のことを連絡員兼任の家政婦だと思っている。
消去法的に、二人の模擬戦は黒羽家の訓練施設で行うことになった。
黒羽家の、分家としての本拠地は旧愛知県だ。だが黒羽家は諜報の専門家という性質から日本各地に拠点を置き、訓練施設も各地方主要都市の近くに持っている。東京の郊外にも規模は小さいが、白兵戦、近接戦、銃撃戦に対応した屋内施設を有していた。――なお訓練に使用していない時には、サバイバルゲームの会場として貸し出し、小銭を稼いでいる。
「先行と追跡、どっちが良い? 選ばせてやるよ」
今日の腕試しは訓練用ビルの最上階、四階を使って行われる。三階と四階の間の踊り場で、有希は奈穂にそう訊ねた。余裕を見せた格好だが、心理的に、優位に立つことはできなかった。
「じゃあ、先行で」
奈穂はあっさりした態度でそう言って、階段を駆け上がった。何秒間、あるいは何分間の先行を許すのか、その条件も確かめていない。アドバンテージなど必要無いという、心理作戦上の逆襲だ。
無論有希も、その程度のことで苛立ったりはしない。彼女はきっかり一分のインターバルを置いてから、階段を歩いて上り始めた。ビルの四階は、廃墟になっていた。
壁が半壊したビルの中で戦う機会など、今の日本国内では、ほぼあり得ない。だがリアルなオフィスビルでは単純な遭遇戦しか発生しないだろう。テナントビルならパーティションや陳列棚を遮蔽物に使って立ち回りに工夫ができる。だがきちんと整理された売り場では、状況の多様性に欠けるのは否めない。舞台設定が商業施設ばかりでは、戦術の幅が狭まってしまう。
それに、屋内サバイバルゲームの会場として顧客ニーズに応える為には、日本には無いようなシチュエーションも必要となる。
所々瓦礫が落ちている廊下を、有希は音も無く進む。
彼女の服装は薄手のトレーナーにジーンズ、ほとんどヒールが無いゴム底のショートブーツ。特殊な戦闘服は身に着けていない。街着そのままだ。
他方、奈穂はと言えば、クルーネックの長袖シャツにワークパンツ、合皮のスニーカー。こちらも普段着だ。
二人とも、戦場の殺し合いではなく街中での暗殺を想定した腕比べという、この模擬戦の性質を反映した装いだった。
壊れた壁の向こう側をのぞき込みながら、有希は四階の廊下の、半ばに達した。
奈穂の所在は、まだ掴めていない。
彼女は気配を完全に絶 っている。
(へぇ……。大したものだ)
有希は気配に敏感な方だと自負している。彼女自身がそう思っているだけではなく、亜貿社の殺し屋仲間の間でも有希の索敵能力は一目置かれている。
その有希の感覚から、奈穂は見事に隠れ果 せている。
ここまでは合格点をやって良い。有希はそう思った。
(さて、どうするか)
足を止め、思案した時間は一秒未満。
有希は全方位に殺気を放った。
素人は殺気をぶつけられても、何を浴びているのか分からないだろう。「何となく嫌な感じがする」程度がせいぜいだ。
だが気配を隠しきる程の技量があれば、殺気を向けられてそうと分からないはずがない。
たとえ銃口や切っ先は見えていなくても、思わず反応してしまうのが普通だ。
奈穂は殺気に当てられて気配の隠蔽を乱したりはしなかった。
だが、無反応でもいられなかった。
有希の左斜め後ろでドアが音を立てて開く。ドアクローザーが壊れている扉は勢いよく壁にぶつかって激しい音を立てた。
有希が振り返る。
撥ね返って半開きになったドアの向こうから、誰も出てこない。
襲撃は有希の進行方向左側、振り返る前の彼女から見て左斜め前の、崩れた壁の向こうから行われた。
壁がVの字型に崩れた隙間から、奈穂の小柄な身体が躍り出る。
空中の奈穂から、細く小さなナイフが飛んだ。小型のスローイングナイフだ。当たっても怪我をしないように切っ先を丸め、刃引 きしてあるが、まともに当たれば試合終了となる。有希は模擬ナイフを払い落とすのではなく、大きくバックステップして躱した。
有希が飛び道具を避けた隙に、奈穂は着地して体勢を整えた。
奈穂がワークパンツのポケットから鞘 ごとファイティングナイフを抜く。彼女がワークパンツを選んだのは、武器を隠しておくポケットが多いからだ。奈穂は親指で弾いて留め具を外し、下向きに振ることで鞘を床に落とした。
奈穂のナイフを構える姿勢は、同じ得物を得意とする有希の目から見て堂に入ったものだった。なる程、魔法無しでも戦えると豪語する――勘違いするだけのことはある。
有希はさらに半歩下がった。
その拍子に、右足で小さな瓦礫を踏んでしまう。
奈穂の顔に「しめた!」という表情が過 った。
有希が姿勢を崩すと奈穂が予想しても、希望的観測とは言えないだろう。取らぬ狸の皮算用、都合の良い楽観視と批判するのは酷であるに違いない。
だが実際には、
次の瞬間、
有希は右足で、踏みつけていた瓦礫を蹴り出した。
拳大のコンクリートが、奈穂の足下目掛けて勢いよく転がっていく。
反射的に、奈穂が左足を上げた。
避けなければ、軽くない怪我をしていた。その結果、戦闘続行に大きな支障を来していただろう。
だから瓦礫を避けたこと自体は、間違いではない。
だがその結果、奈穂の体勢が崩れ、隙ができたのも確かだ。
正解は攻撃を中止し、有希の間合いから逃れることだった。
「……参りました」
瞬間的な判断を誤った奈穂は、有希の刺突を躱せなかった。
喉元に刃引きしたナイフを突きつけられ、奈穂が敗北を認める。
有希は身体強化の異能を使わず、ほとんど一撃で奈穂を下した。◇ ◇ ◇
一階のシャワーブースで汗と埃を落とし、有希は服を丸ごと着替えてロビーに出た。
「お疲れ様でした」
そこには鰐塚が待っていた。有希と奈穂は、彼が運転する車でこの施設に来たのである。模擬戦自体が短時間で決着したので、鰐塚も待つのが苦にならなかったに違いない。
一分遅れで、奈穂がシャワーブースから出てくる。彼女は有希の前に立ち、口惜しさを露わにした目で睨 め上げた。
「経験不足だ。まだまだ免許はやれないな」
有希が得意げな顔をしなかったのは、奈穂に対する思い遣りだ。
「…………」
それは奈穂にも何となく分かった。だが勝者の情けに反発することはなかった。
彼女が子供っぽい癇癪を起こさなかったことに、有希は少しホッとした。
「教団への潜入は、やはり却下だ」
模擬戦に負けたからといって、潜入ミッションに必要な技能が不足しているとは限らない。有希の戦闘力がオーバースペックなのかもしれないのだ。
「……ご命令に従います」
しかし奈穂は、抗弁しなかった。口に出して約束したわけではないが、有 希 と 対 等 に 戦 え な け れ ば 潜入作戦を諦めるという決まりだったと、奈穂は自分に言い聞かせた。
感情は納得していなかったが。
涙目で自分を睨む奈穂に、有希は戸惑いを覚えた。それは、年下の女の子をどう扱って良いか分からないという困惑だったが、有希はそれを理解していなかった。
彼女がこんなことを言い出したのは、正体不明の感覚を持て余していたからだろう。
「教団にはあたしが潜り込む」
「ナッツ!?」
唐突なプランに、今度は鰐塚が戸惑いを見せる。
「洗脳のカラクリを突き止める必要があるという、奈穂の意見自体は間違っちゃいねえよ。殺しの計画が進んでいる以上、のんびり時間を掛けていられないのも確かだ」
「それは……そうですが」
もっともらしい理屈を付けてみたが、本当は有希にも鰐塚にも分かっていた。
――有希は、奈穂の顔を立てる為に必要以上のリスクを負おうとしている。
しかし、反論が難しい程度には理屈は通っている。
その所為で、鰐塚は有希を止め損なった。◇ ◇ ◇
有希と奈穂の模擬戦は彼女たちの間の私的な
諍 い、私闘だ。亜貿社の仕事にも黒羽家の指令にも無関係。午前中を私用で無駄にした有希は、サボった分を取り戻すべく司波達也のストーカーに励んでいた。
念の為に彼女の心中を代弁しておくと、できることなら有希は達也に近づきたくない。半径一キロとはいわず、十キロメートル以上は距離を取りたいところだ。普段は大人しくしているからと言って、何時自分に牙を剥くか分からない虎と同じ檻の中に誰が入りたいものか。――それが有希の本音だった。
二〇九六年五月十五日、火曜日の夕方。有希が、心に深く食い込んでいる恐怖に抗って達也を尾行しているのは、彼を見張っているというより、彼を狙う殺し屋を見つけ出す為だ。
いや、「殺し屋」よりも「鉄砲玉」の方が相応しいだろうか。今回、司波達也の暗殺を請け負っている小西教団がこれまでに手掛けた殺人は三件、被害者は五人。そのいずれもが、自爆テロ的な手口で実行されている。
鍛え上げたプロの殺し屋を投入するのでもなければ、周到な準備を経て事故に見せ掛けるのでもない。警察に捕まろうが、逆襲を受けて怪我をしようが構わない。それどころか刺し違えることも恐れない。自分の命すら度外視して、ターゲットを仕留める。まさしく狂信者の遣り口だ。
(チッ、胸くそ悪い)
教団の手口は、言い換えれば素人の使い捨てだ。有希のような職業暗殺者を愚弄するものだが、単に素人を騙 し て 死地に赴かせるということだけでも吐き気を催すには十分だった。
(しかし本当に、どうやって「死んでもいい」と思わせているんだろうな?)
有希の経験から言っても、自分が死ぬことを恐れない敵は手強い。多少の技術差など簡単に覆してしまう。
そして、そういう存在は希少だ。いざとなれば命を惜しむ者が大半で、命知らずに見えるのはたいていの場合、自棄になっているだけに過ぎない。
(一番ありそうなのは、ドラッグだけど……。あの暗殺教団だって、死の恐怖を忘れさせる為に大麻を使ったって言うしな)
有希は「暗殺教団」について史実と伝説を混同しているが、麻薬で恐怖を忘れさせるというのは今でも珍しい話ではない。「忍者」の技を重視する亜貿社では、精神活動を低下させる薬物を使っていない。だがライバル組織では仕事前にアッパー系のドラッグを服用させているという話を、有希は時々耳にしていた。また彼女は一度だけ、暴力団の組長を暗殺した際に麻薬で恐怖が麻痺したボディガードに出くわしたこともある。
(クスリじゃなきゃ、何なんだ?)
(……ダメだ。考えても埒が明かん)
(こりゃあ、奈穂のプライドとは別に……、潜り込んでみる必要がありそうだ)
そんなことを考えている間も、有希は司波達也から目を離していない。
だから、不穏な空気を纏う一団が彼に近づいてきているのにすぐ気付いた。
達也は今、妹と下級生――住み込みのメイドだと有希は文弥から聞いている――の三人で無人運転公営タクシー を待っている。彼がいるのは駅前のコミューター乗り場で、並んでいるのは彼ら三人だけではない。
達也たちに近づく人影は、体格の良い男性が八人。彼らから暴力の臭いを嗅ぎ取ったのか、達也の前と後ろに並んでいたコミューターの利用客は露骨にならないよう気を遣って、早足でその場を離れた。
(……あの程度なら手を出すまでもないか?)
有希の戦闘スタイルはナイフを使った格闘戦だ。助けに入る為には、すぐ側まで近づかなければならない。
有希は二年前、達也から「二度と姿を見せるな」と言い渡されている。「次は消す」と脅されている。
有希が味方になったことは達也も知っているはずだから、まさか顔を見せただけで消 さ れ る とは彼女も考えていない。だが幾ら理性が「大丈夫」と言っても、感情が納得しないのだ。司波達也に対する恐怖は、有希の心の奥深くに刻み込まれている。できることなら、達也の視界に入るのは避けたかった。
また、そもそも援護は必要無かった。
前と左右から押し包むように司波達也へと近づいた、おそらくは小西教団の男たち。
八人の内一人残して、一斉に達也へ襲い掛かる。
だが素人の悲しさ、七人で同時に攻撃したつもりでも、実際に達也へ手が届くのは一人ずつでしかない。
七対一ではなく、一対一、掛けるの七。
七人同時ではなく、七人連続。
それでも攻撃を受ける側が処理に手間取れば、一対一が一対二になり、一対三になる。だが達也は全員を、
一撃ずつのカウンターで、舗道に沈めた。
見ようによっては雑な反撃だ。
投げ飛ばすことさえしなかったのは、背中に妹と後輩がいるからだろう。
手加減が面倒臭かったからじゃないのか? という脳裏に浮かんだ思考を、有希は慌てて打ち消した。司波達也にテレパシー能力は無い、と聞いている。そんなに何でもできて堪るか、とも思う。それでも、迷信的な恐怖が拭えない。
それに、一見雑な対応に思えても、今の戦いを真似してみろと言われたら、有希はあっさり白旗を揚げる。
カウンターパンチ一発で、相手を行動不能にする。
狙い澄ましたカウンター、ではない。ほとんど出会い頭に等しいパンチで、だ。
それが、七人連続。
しかも、インターバル無しで。
素手でなくナイフを使っても、難しいかもしれない。
司波達也がこともなげに披露したのは、そんな離れ業だった。
仲間が全員倒されても、一人残った教団員は慌ても騒ぎもしなかった。
路上で苦しげに呻き、あるいはのたうち回る七人を――彼らは気を失うことすら許されていなかった――見て、忌々しげに舌打ちしたのが、建物の陰からのぞいている有希にも見えた。
男は胸ポケットに挿していた万年筆大の棒を引き抜き、その頭に付いたボタンを親指で力強く押し込むと、達也に向かって駆け出した。
(爆弾っ? マジの自爆攻撃か!?)
有希は心の中で悲鳴を上げた。
自爆突撃ならば、爆弾を抱えているのはあの男一人ということはあるまい。他の教団員も爆弾を抱いているはずだ。多分、舗道に転がっている七人は達也にしがみつく予定だったのだ。その上で、最後の一人が起爆スイッチを押す。
(そこまでやるか!?)
相手は狂信者の集団だと分かってはいた。だがその狂信の度合いが、有希の予想を大幅に超えていた。
「教団」は、宗教団体ではないという。「教祖」の小西は、天国とか来世とかの、死後の世界を約束したりはしないと聞いている。
だが別の世界で幸福に過ごすという「救済」無しに、命を簡単に捨てられるものだろうか?
そんな疑念に満たされながら、有希は為す術も無く立ち尽くす。
彼女の視線の先で達也に駆け寄る八人目の教団員。その若い男性は、恍惚とした笑みを浮かべていた。
達也は近づく男の姿を、無表情に見ている。
男が通ったその後に、導線やネジ、アンテナ、電池が散乱する。
男の服の下から撒き散らされた物だ。
路上に倒れた男たちの周りにも、同じ物が散らばっていた。
八人目が、達也の前に到達する。
達也の掌打が、男の胸の中央に打ち込まれた。
映画のように、男の身体が駆けてきた方へ飛ぶ。
掌打を胸骨の真上に喰らう直前の一瞬、男は「何故だ!?」と言いたげな表情を浮かべていた。
――爆発は、起きなかった。
有希の推測が間違っていたのではない。
爆発する前に、爆弾が無力化されたからだ。
爆弾本体から分離された起爆装置。起爆信号を受信する為のアンテナその他。
切り離されたのではない。
爆弾は、解体されていた。
(……そういや、文弥が言ってたな)
――達也兄さんには銃も爆弾も通用しない。ナイフの方が、まだ可能性がある。
有希が達也について、文弥から聞いたセリフを思い出す。
その後文弥は似合わない嘲笑を浮かべて「ゼロに等しい可能性だけどね」と付け加えていたが、それはこの際重要ではない。
文弥は言った。
達也が一睨みするだけで、機械的な構造を持っている武器は組み立て工程を逆行するように、バラバラな部品になってしまう。
それが「達也兄さん」の力だと。
(こういうことか……)
ま る で 魔 法 の よ う だ 、と有希は感じた。彼女は魔法師ではないが、仕事柄、一般人よりも魔法について詳しい。殺しのターゲットに魔法師の護衛がついていることもあるからだ。
現代の魔法は、ロジックの上に作動している。因果関係を無視した不思議な力ではなく、一定の法則に基づいて物理現象をねじ曲げる。それがどんな法則なのか、説明できる程の知識はないが、とにかく種 も 仕 掛 け も あ る 技術だということは理解している。
しかし今、目の前で見た司波達也の「魔法」は、摩訶不思議な、御伽噺にでも出てくるような代物にしか思えなかった。
達也の魔法を見るのは、これが初めてというわけではない。
つい最近も、目の前で人間が消し去られたところを見ている。
死体も残さず、骨も残らず、塵となって人間が消える光景。
それは余りにも非現実的すぎて、かえって不思議と思えなかった。
ただそういうものだと、疑問も覚えず受け容れていた。
だが今見た魔法は、人体消失より衝撃が少なかった分、理不尽で不気味なものに思われた。
そこまで考えて、有希は思いだした。「理不尽」というフレーズが、彼女に思い出させた。
二年前、司波達也の前に敵として立った時のことを。
彼は有希が放った銃弾を、手で受け止め、粉塵に変えた。
あの時も、理不尽だと感じた。あり得ない光景に怒りが湧いた。そして――。
心臓を鷲掴みにされるような恐怖が有希の中に蘇る。
その魔法に対して。
それを使った、司波達也自身に対して。◇ ◇ ◇
小西蘭、またの名を
西小蘭 が信 者 の失敗を知ったのは、襲撃の決行から一時間余りが過ぎた五月十五日、午後七時過ぎのことだった。
「……そうですか。ご苦労様」
不首尾の報告におどおどしている団体員を笑顔で慰め、小西は「下がって良いですよ」という言い方で退出を命じた。
『今よりも人間的な暮らしと社会を実現する会』代表室は四畳半程度の広さで、調度品は控えめなサイズのデスクと、小西が座っている肘掛けの無い椅子のみ。天井が低く、窓が無い。閉所恐怖症の人間でなくても圧迫感を覚えるような空間だ。
一人になったその部屋の中で、小西はしばらく、無言でじっと座っていた。
閉め切った室内に、静寂が重く蟠 る。
やがて小西は椅子の背もたれに寄り掛かり、天井を仰いで大きく息を吐き出した。
デスクの上に置いていた両手を開く。
掌には赤く、爪の跡が残っていた。相当強く握り締めていたということだ。その爪痕は、穏やかならぬ彼女の心中を示していた。
「失敗したものは仕方がないわね……」
ほとんど意味の無い呟きが、小西の口から漏れる。ただそういう風に、自分に言い聞かせで もしなければ爆発してしまいそうだった。
彼女が苛立っていたのは、暗殺に失敗したことに対してではない。
もちろん、一度で成功するに越したことはない。だがそう簡単にはいかないだろうという予感があった。強がりではなく、失敗する可能性の方が高いと思っていた。
根拠は無い。敢えて言うなら、この案件を持ってきたのが周公瑾だから、だろうか。
小西は去年の夏まで『無頭竜 』という香港マフィアの仕事をしていた。
マフィアの構成員ではない。日本人である彼女は、ファミリーの一員とは認められなかった。あくまでも現地、つまり日本での活動を支援する協力者だ。
無頭竜が日本に進出したのは何十年も前のことだが、勢力を大きく伸ばしたのは七、八年前からだ。
日本市 場 におけるシ ェ ア 拡 大 は、自分の力あってこそだと小西は自負している。本拠地のある香港で幹部に取り立てられてもおかしくない実績だと彼女は考えていた。
だからいつまで経ってもファミリーのメンバーとして認められないことに不満を覚えいたが、その御蔭で当局による掃討作戦の巻き添えを喰らわなかったと思えば、逆に運が良かったのだろう。
無頭竜が壊滅した後、小西は首領の兄貴分で後見人的な立場にいた在米華僑、顧傑を頼った。組織の内部では黒顧大人 と呼ばれていた老人だ。
向こうも小西のことを覚えていたようで、顧傑から金銭的な支援はもらえなかったが、新たな組織を立ち上げるのに有益な、様々な人物を紹介された。現在の「教団」は、顧傑のネットワーク無しには存在できなかったし、小西は細々とした小悪党暮らしを余儀なくされていただろう。
周公瑾も、顧傑から紹介を受けた者の一人だ。彼は若いながら、大亜連合からの亡命ルートの一つを仕切る有力者だ。また裏社会の動向にも詳しく、今回のようにまだ動き出してもいない非合法な商売の芽を見付けてきて、発注者と受注者の仲介も行っている。
今回もそうやって、周公瑾が司波達也暗殺の注文を仲介してきた。
そういう意味では、小西の組織にとって周公瑾は重要なパートナーだ。だが小西はこの青年のことを、どうしても信用できなかった。
何か、裏がある。単に客からの依頼をつないでいるだけではない。それが何かは分からないが、彼自身の目的があって、その為に客と自分たちを利用しようとしている。小西にはそう思えてならなかった。
司波達也なる高校生の暗殺も、きっと周公瑾自身の利害が絡んでいる案件だ。
ならば、あの得体の知れない男に狙われているターゲットも、単なる魔法師であるはずがない。自分の「教団」が依頼に失敗することはあり得ないが、一回ですんなり終わるとも思えなかった。
だから今日の仕掛けは、ターゲットの爆殺を目的としたものではなかった。それで死んでくれるに越したことはなかったが、ターゲットの生死は二の次だった。
信 者 に爆弾を持たせた真の目的は、自爆テロそのもの。
魔法師を狙って爆弾が街中で使用されたという事件を起こして、一 般 市 民 の魔法師に対する忌避感を煽る計画だった。
彼女の「教団」は殺人代行や破壊工作だけで収入を得ているのではない。
むしろそれは、副業だ。『今よりも人間的な暮らしと社会を実現する会』の本業は、反魔法主義運動を派手に行ってみせることにより得られる、支援者からの寄付金集め。主な収入源は、魔法に反感を懐く金 持 ち からの金銭的援助だった。
もちろん、自分が自爆テロを命じたと公表することはできない。実行犯として送り込んだ男たちは、既に団体を脱退していることになっている。
だが反魔法主義の風潮が盛り上がれば、それは自分たちにとっての追い風になる。
その為に持たせた爆弾だ。それが不発に終わっては「魔法師の所為で危険な目に遭った」と人々に思わせられない。逆に、狙われた魔法師に世間の同情を集めかねない。
さらに小西を苛立たせているのは、失敗した理由が分からないことだ。
首尾を見届ける為に派遣した者の報告は、全く参考にならなかった。
いや、何故爆発しなかったのか、それだけは分かっている。起爆装置が一斉に外れたからだ。 例外なく同時に分解したことから、何らかの魔法が使われたのは確実だ。
だが司波達也は、実行グループを殴り倒す以外には指一本動かしていないと言う。
魔法師が魔法を使用する際に、ブレスレットや小型端末を操作するのはよ く 知 ら れ て い る 。あるいは、拳 銃 モ ド キ の 引 き 金 を 引 く ことも。そうした素振りが無かった以上、爆弾を解体した魔法は司波達也が使ったものではないと考えるのが妥当だ。
では誰が魔法を行使したのか。
司波達也の妹か。
一緒にいた第一高校の女子生徒か。
それとも――、司波達也を密かに護衛している魔法師がいるのか。
最後の可能性も、無いとは言えない。
核融合という画期的な技術を実用化する可能性を持つ、魔法師にとってはある意味で希望の星だ。魔法師の団体が護衛を派遣してもおかしくはなかった。
――素人だけでは厳しいかもしれない。
しかし小西の手許には、長い年月を掛けて育成した玄人の手駒が無い。無頭竜壊滅によって組織から仕事を請け負っていた殺し屋が大勢失業したはずだが、小西は彼らを囲い込めなかった。今の組織を固めるのが優先で、それ以外に手を伸ばす余裕が無かった。
これまで小西は、死を恐れない刺客に仕立て上げた一般人を多数投入することで依頼をこなしてきた。それが彼女のスタイルだ。
赤字を覚悟で、外部の殺し屋を雇うか。
それとも、今回を超える物量で飽和攻撃を仕掛けるか。
いずれにしても、大きな出費が見込まれる。
教 団 の財務悪化を予想して、小西は大きなため息を吐いた。