• NOVELS書き下ろし小説

  • 少女アサシン

    [3]妨害

     東京の、都心から離れた早朝の住宅街。
     そこに二つの鬼火が点る。
     呪詛は無く、悲鳴も無く、命乞いのいとますらも無く。
     二つの人体が焼失、否、「消失」した。

    ◇ ◇ ◇

     殺し屋の仕事は色々な意味で不規則だ。一ヶ月以上休み無しということもあれば、逆に二、三ヶ月仕事が舞い込んでこないということもある。夜中に寝首を掻き切ることもあるし、白昼堂々事故に見せかけて始末することもある。大陸流に表現すれば「黒社会」の仕事だ。なのも仕方が無いと言えよう。
     しかし傾向として、が多いのは間違いない。仕事上の必要に迫られている場合は別だが、普段の生活は夜型になりがちだ。コードネーム『ナッツ』、本名はしばみ有希ゆき、彼女も、仕事が入っていない日は正午を過ぎてようやくベッドを離れる生活パターンだった。
     彼女は今日も、昼過ぎまで寝ているつもりだった。昨日は中学生の登校時間に合わせて早起きをしたが、あれは仕事に必要な情報を集める為で、しかも空振りどころか打席に立つこともできないという結果に終わった。今日早起きをしないと決めていたのには、不貞寝の意味合いもあった。
    「……何だよ、うるさいなぁ……」
     しかし彼女は電話のコール音によって、起床予定の一時間以上も前に叩き起こされた。
    「もしもし?」
     有希ゆきは音声通信専用のハンドセットを耳に当てた。電話口で自分から名乗らないのもカメラの前に立たないのも、殺し屋の初歩的な心得だ。
    『おはようございます』
     受話器のスピーカーから流れ出た爽やかな挨拶に、有希ゆきは顔をしかめた。
    「クロコ……何時いつだと思ってんだ。まだ十一時じゃねえか」
     不機嫌を丸出しにして、有希ゆきが相棒の『クロコ』こと鰐塚わにづかに文句を付ける。
    『ナッツ、世間では「まだ」ではなく「もう」と言うんですよ』
    「堅気の世間なんぞ知るかよ」
     投げやりな口調で吐き捨てられた有希ゆきのセリフに、鰐塚わにづかは反論せず苦笑を漏らした。
    「チッ」
     そんな態度を取られると、子供扱いされているようで有希ゆきはどうにもむしゃくしゃする。だが向きになっては、自分が子供だと認めるようなものだ。
    「……で、何の用だ」
     結果として、有希ゆきは不機嫌を解消できないまま話題を変えた。
    『例の中学生の件です。いえ、多分関係していると思います』
    「何だ? はっきりしないな」
     有希ゆきの相棒は、生真面目なたちとは言えない。だが仕事に悪ふざけを持ち込む性格でもない。回りくどい言い方は彼自身の困惑を反映していた。
    『今朝、ターゲットを探っていた社員二人が消息を絶ちました』
    「今朝?」
    『昨晩からターゲットの自宅を見張っていた社員です。六時の定時連絡を最後に、所在が分からなくなりました』
    「……ターゲットに消されたってことか?」
     意外感を隠し切れない声で有希ゆきが問い返す。目撃者の中学生、司波しば達也たつやは、確かに腕が立った。殺しの現場を見ても、まるで動じていなかった。何らかの非合法活動に携わっているであることは確実だろう、と有希ゆきは思っていた。
     だが有希ゆきには、早朝とはいえ誰が見ているか分からない住宅街の真ん中で人を殺せる程、ようには見えなかった。
    『分かりません。死体が見つかっていないので』
    「死体が無い? 警察は?」
     警察官を買収できなくても、警察に出入りする記者を使って情報を集めることはできる。警察もマスコミとは持ちつ持たれつの面があり、他業種の民間人に比べて対応が甘くなる傾向は否定できない。
    『それらしい情報はありません』
    司波しば達也たつやのバックには、あたしたちが予想していた以上の大物がついているってことか?」
     死体が出なければ殺人事件は成立しない。例外的に犯人またはその関係者の証言のみで殺人が立件されることはある。だが通常は死体が見つかって、殺人事件の捜査が始まる。あるいは、失踪事件が殺人事件に切り替えられる。
     プロの殺し屋だけでなく、怨恨や衝動で人を殺す素人の殺人者もそれは分かっている。
     にも拘わらず、毎年これ程多くの殺人が発覚している事実は、死体を処理する難しさを物語っている。が音信不通になってまだ数時間しか経っていないとはいえ、昼間の街中で組織の人間を二人も行方知れずにするのは、たやすいことではないはずだった。
    『ターゲットが関わっているとは限らないかと……』
    「どういうことだ」
     歯切れが悪い相棒を、有希ゆきが詰問する。
    『実は、その二人が消えた辺りは九重寺きゅうちょうじのお膝元らしく……』
    「はぁ!?」
     有希ゆきの口から、思わず調子外れな声が漏れる。
    九重寺きゅうちょうじって、九重寺きゅうちょうじ』か? 九重八雲ここのえやくもが住職をしているっていう?」
     意識してのことではないが、有希ゆきは「あの」を二度繰り返した。大切なことだから、ではなく、それだけ大きなショックを受けていた為だ。
    『その九重寺です』
    「馬鹿じゃねえのか!?」
     有希ゆきは思わず叫んでいた。防音だけはしっかりしている部屋でなければ、隣近所から苦情が舞い込んでいたかもしれない。
     彼女もさすがにまずいと思ったようで、続くセリフは音量が抑えられていた。
    「そいつら、まさか拳銃をぶら下げていたんじゃないだろうな?」
    『持って行ったようですよ』
    「馬鹿じゃねえのか!? いや、馬鹿だろう! 九重八雲ここのえやくもの銃嫌いは有名じゃねえか! それとも、あの坊主の縄張りだって知らなかったのか?」
    『知らなかったんじゃないでしょうか』
     有希ゆきは頭をガリガリと掻いて大きくため息を吐いた。一人暮らしの自宅で誰も見ていないとはいえ、年頃の女の子には相応しからぬ態度だ。
    「……なあ。あたしは組織の持ってくる情報を信用して良いのか?」
    情報は信用していただいて大丈夫ですよ』
    「ああ、頼むぜ……」
     再度、有希ゆきがため息を吐き出す。
    「しかし九重八雲ここのえやくもの縄張りとなると、自宅の近くで仕掛けるのは難しそうだな」
    『行方不明の社員が九重八雲ここのえやくもにやられたと決まったわけではありませんし、そもそもターゲットと九重八雲ここのえやくもに関係があるかどうかも全く分かりませんが……。用心はした方が良いと思います』
    「幾ら訳ありそうなヤツとはいえ、一中学生が現代最強の忍者と、そうそう簡単に縁を結べるとは思えないけどな……。はぁ、どんどんハードルが上がっているように見えるのは、あたしの気の所為か?」
     有希ゆきがぼやく。
     残念ながら、相棒の鰐塚わにづかから彼女のセリフを否定する言葉は返ってこなかった。

    ◇ ◇ ◇

     黒羽くろば文弥ふみやが東京駅に到着したのは、四月十日土曜日、午後三時過ぎのことだった。
     彼は現在中学校二年生で、中学校は公立も私立も週六日制、土曜日は半ドン(半日授業)だ。
     四葉よつば家当主の命令があったにも拘わらず親が学校をサボらせなかった為、文弥ふみやは下校してすぐに纏めてあった荷物を掴み、豊橋とよはしから名古屋経由、リニア特急で上京したという次第だった。――なお学校を休めなかったのは親が教育熱心だからというより、父親のみつぐが今回文弥ふみやに与えられた任務に不満を懐いているからだ。
     魔法関係者からはマフィア以上に恐れられている四葉よつば家だが、内部では当主の絶対支配が敷かれているわけではない。面と向かって当主に逆らう者はいなくても、消極的なサボタージュ程度で粛清されることはない。四葉よつば家は、よく言えば少数精鋭、悪く言えば人手不足だった。
     今回、黒羽くろばみつぐの抵抗に最も怒っているのは当主の四葉よつば真夜まやではなく、息子の文弥ふみやだろう。彼は一刻も早く命じられた調査に取りかかりたかった。その為に中学校を休むくらい当たり前だと思っていたのだ。
     彼が張り切っていたのは、当主から直接命令された任務だから、ではない。その要素が全く影響していないとは言えないが、主な理由は違う。
     達也たつやの力になりたいからだ。
     黒羽くろば文弥ふみや司波しば達也たつや再従弟はとこに当たる。魔法師は血縁を重んじる傾向にあるので、(魔法師ではないという意味での)一般人に比べて親戚同士のつながりは強い。
     同年代の従兄、再従兄はとこを兄貴分と慕うのは、珍しいことではないかもしれない。だが文弥ふみやは実の兄弟以上に達也たつや傾慕けいぼしていた。その想いの強さと深さは、性別を無視すれば恋慕とさえ呼べただろう。
     達也たつやを狙う殺し屋がいると聞いて、文弥ふみやは怒りを燃え上がらせた。達也たつやの命を狙う不届き者は、彼自身の手ですぐにでも鏖殺おうさつしてしまいたいというのが文弥ふみやの本音だ。
     だが如何に四葉よつば家といえど、感情の赴くままに殺人などできない。相手が犯罪組織であってもだ。一切の痕跡を残さず人間を消し去れるならともかく、後始末に他人の手を借りなければならない。
     四葉よつば家の中だけで全ての証拠を隠滅できればまだ良いが、外部の協力を仰がなければならないケースも少なからずある。少なくとも真夜まやの支持と指示が無ければ、駆除に踏み切ることはできないのだった。
     今回、文弥ふみやに下された指令は調査。彼にとっては不本意だが、何もせずにいるよりは数段マシだ。文弥ふみやはそう自分に言い聞かせて、気合いを満タンにしていた。
     だが彼は、身内によっていきなり出鼻をくじかれてしまう。
    「若」
    「バカ! シーッ」
     声を掛けてきた黒服の男を、文弥ふみやは小声で叱りつけた。
    「この人混みの中でそんな呼び方をするんじゃない! 変に目立ったらどうする!」
    「すみません」
     黒服は四葉よつば分家の一つ、黒羽くろば家の家人けにん文弥ふみやの父親の部下だ。その男は多少常識を弁えていたようで、サングラスを掛けてもいなければ、文弥ふみやに注意された理由もすぐに理解した。
    「取り敢えず、事務所に行くぞ」
     文弥ふみやもそれ以上くどくどと小言を垂れることなく、移動を指示する。駅のプラットホームで何時いつまでも動かずにいたら、それはそれで不審に思われると考えたからだ。
    「ご案内します。荷物をお持ちしましょうか?」
    「不要だ」
     文弥ふみやは問答を打ち切って、自分から歩き始めた。

    ◇ ◇ ◇

     有希ゆきがアパートの自室を出たのは、日没も近づいた夕方のことだった。曇っていなければ空は赤く染まっていたに違いないが、分厚い雲の所為で外は既に暗くなり始めている。
     相棒の鰐塚わにづかと電話で話してから五時間が経過していたが、その間、二度寝で惰眠を貪っていたわけではない。掃除や洗濯を済ませるだけで、この時間になっていたのである。
     彼女の自宅は会社が手配した安アパートだ。仕事柄、防音と戸締まりだけはしっかりしているが、ホームオートメーションは最低限のものしか備わっていない。それでも百年前に比べれば家事負担は大幅に軽減されているのだが、掃除も洗濯も日頃からやりつけていない所為で、たった一人分を片付けるのにそれだけの時間が掛かってしまったのだ。
    「……ちょうど良い時間だ」
     外に出てドアノブを引っ張り、鍵が掛かっていることを確認して、有希ゆきはそんな呟きを漏らした。予定どおりの時間であるのは事実なのだが、今日の彼女の行動を知っている第三者が聞けば言い訳臭いと感じたことだろう。
     アパート前の通りで、見覚えのある型のボックスワゴンが彼女を追い越してすぐの所で停車した。グレーから茶色に塗り変わっているが、彼女の相棒が仕事で使っている車だ。
     有希ゆきは素早くワゴン車に駆け寄って、助手席側のドアに手を掛けた。鍵は掛かっていない。彼女はそのまま助手席に乗り込む。
     ドライバーは推測どおり、相棒の鰐塚わにづかだった。
    「出してくれ」
    「了解です」
     鰐塚わにづかがドライブレバーをオートに入れる。この辺りは交通管制システムの管理区域だ。目的地はインプット済みだったのだろう。ボックスワゴンはそれだけで音もなく発進した。
    「それで、何処に行くんだ?」
     有希ゆきのこの質問は、本来であればおかしい。この外出は鰐塚わにづか有希ゆきを誘ったものではなく、逆に有希ゆき鰐塚わにづかを呼びだしたものだからだ。
    「ターゲットの家を見張ってみようと思います」
     だが鰐塚わにづかは呆れた表情も戸惑った様子も見せず、有希ゆきの問いに答えた。じっとしていられないというパートナーの現在の精神状態を、鰐塚わにづかは良く理解していた。
    「大丈夫なのか? 九重八雲ここのえやくもの縄張りなんだろ?」
    「その場で仕掛けるのはまずいでしょうね。ですが、何分情報が手に入らないので」
    「のんびり構えてもいられないか」
     口封じでなくても急ぎの仕事は珍しくない。行き当たりばったりと言えば聞こえは悪いが、尾行しながら隙を突くのも手口の一つだ。
     有希ゆきはそれ以上何も言わず、シートを軽く後ろに倒して背中を預けた。

     現在、目撃者である司波しば達也たつやについて分かっていることは、氏名と住所と通っている学校のみ。つまり、自宅の所在地は判明している。
     有希ゆき鰐塚わにづかを乗せたワゴン車は、標的の自宅の前をゆっくりと通り過ぎて二ブロック先で停車した。
     助手席ではなく後部座席のドアから有希ゆきが車外に出る。彼女はツナギの作業服を着て野球帽を目深に被っていた。長い髪はツナギの中に隠している。簡単な変装だが、しないよりはマシだ。
     それに、気付かれても構わないと有希ゆきは思っていた。あの殺しに関して、犯人の目撃情報が届けられた形跡は無い。司波しば達也たつや有希ゆきのことを警察に話していないのだ。
     有希ゆきがあの事件の下手人だと気付かなかったはずはないし、彼女の人相や体格が分からなかったということもあり得ない。
     あの中学生には、警察に話ができない何らかの理由がある。
     有希ゆきはそう推理していた。
     だから自分の姿を見られても、通報される懸念はない。むしろ、ターゲットに対してプレッシャーを掛けることができる。彼女はそう考えていた。
     とはいえ、警戒されるより見つからない方が望ましい。有希ゆきは身を潜めるのに適した場所がないか、目立たぬよう気をつけながら左右を見回した。
     運転手が乗っているとはいえ、余り長い間、路上に車を停めておくことはできない。有希ゆきが隠れる場所を見つけられなくても、ある程度時間が経てば移動する必要がある。その場合、有希ゆきをいったん置き去りにしなければならないのだが、この場面では有希ゆき鰐塚わにづかに運命の女神が微笑んだ。
     標的の家から、セダンタイプの自走車が走り出てきたのである。
     その助手席には例の美しすぎる美少女。
     運転席にはターゲットの中学生、司波しば達也たつやが乗っているのを有希ゆきはその目で確認した。
    「クロコ、あのセダンだ!」
     慌てて助手席に飛び込んだ有希ゆきが相棒に指示する。
     その時には既に、クロコこと鰐塚わにづかは旋回の準備を始めていた。
     ワゴン車がその場でクルリと回る。四輪駆動で、右側の車輪と左側の車輪を逆向きに回すことによるスピンターン。四輪が独立したモーターで駆動している現代の電動自走車ならではの挙動だ。
    「ナッツ、あの車に運転手は乗っていましたか?」
    「そういや、見当たらなかったな」
     有希ゆきが見た限り、セダンに乗っていたのは司波しば達也たつやとその妹だけだ。
    「なる程、自動車なんですね」
     かつて自動車と呼ばれていた車輪で自力走行する乗り物のことを、今では「自走車」と呼ぶ。「自動車」が「自動運転車両」の意味で用いられるようになった為だ。
     ただしここで鰐塚わにづかが使った「自動車」という単語は、単なる「自動運転車両」ではなく「自動運転専用車」の意味だった。
     中央交通管制区域で自動運転する場合も、原則として運転免許を持つドライバーが運転席に座っていなければならない。だが手動運転機構を持たない自動運転専用車に限っては、運転免許所持者の同乗を必要としない。
     市民の足となっているロボットタクシー「コミューター」がその代表だが、個人でロボットカーを所有するケースも希という程ではない。人間の運転手を抱える程の大金持ちではないが、そこそこ上流階級に属するというような家が、オーダーメイドのロボットカーを利用している。
    「金持ちなんだな」
     個人所有の「自動車」に対する有希ゆきの感想は、庶民的な、ありふれたものだった。
     その感想は目的地について更に強くなった。
    「何だ、あの建物?」
     随分とお洒落な外見の洋館を遠目に眺めながら、助手席の有希ゆきが呟く。
    「マナースクールですね。お嬢様向けの塾です」
     有希ゆきのセリフは独り言だったのだが、それを質問と勘違いした鰐塚わにづかが振り返って答えを返した。
    「塾? 何を教えているんだ?」
    「色々です。ピアノやお茶、生け花、社交ダンスや会食のマナー……。所謂『習い事』の類いを纏めて教える『お嬢様養成所』ですよ」
    「ハッ、セレブってやつか」
    「本物のセレブはこういう所に通わず、家庭教師を付けると思いますが」
     鼻で笑った有希ゆきに、鰐塚わにづかが皮肉な口調で応じる。犯罪組織の実行部隊にはありがちだが、二人とも金持ちに好意的ではないようだ。
    「んっ? もう終わりか?」
     趣味が良い――有希ゆきに言わせれば気取っている――門を通って姿を現したセダンに、有希ゆきが意外感を露わにした。
    「いえ、違いますね。ああいう所は男子禁制なんです。レッスンが終わる頃に、また迎えに来るのでしょう」
     ロボットカーに乗っているのが司波しば達也たつや一人だと気付いた鰐塚わにづかが、笑って否定する。
    「男子禁制?」
    「生徒だけでなく講師も女性、事務員も女性、警備員も女性のみ。特別な日を除けば父親も玄関ロビーまでしか入れないそうですよ」
    「マジか……。二十一世紀も、もうすぐ終わりだぞ?」
     時代錯誤も甚だしい。有希ゆきの顔には、そう書いてある。
    「そういうのもステータスなんでしょう。くだらないとは思いますが、我々には好都合です」
     鰐塚わにづかがドライブレバーを前に倒す。
     二人を乗せたワゴン車は、セダンタイプのロボットカーを追いかけて走り出した。

    ◇ ◇ ◇

     その頃、黒羽くろば文弥ふみやは一足遅れで司波しば深雪みゆきが通うマナースクールへ向かっていた。
     文弥ふみや四葉よつば家当主から与えられた任務は、当主・真夜まやの甥であり文弥ふみや再従兄はとこである司波しば達也たつやを付け狙う殺し屋について調査すること。それ以上の手出しは禁止されている。
     しかし文弥ふみやには、刺客が待ち構えていると分かっている所に飛び込んでいく達也たつやを黙って見ていることはできなかった。
     既に述べたとおり、文弥ふみや達也たつやを強く慕っている。彼にとって一つ年上の再従兄はとこは、もしかしたら双子の姉と同等、あるいはそれ以上の存在かもしれない。
     距離は、姉の方が近い。
     だが向ける想いの強さは、甲乙付けがたい。
     傾慕。憧憬。心酔。崇拝。
     どの言葉も当てはまりそうであり、どれもわずかに、相応しくないように見える。
     それ程強い感情を向けている達也たつやが命を狙われていると知って、文弥ふみやがじっとしていられるはずはなかった。
     たとえ、達也たつやを害し得る者などいないと知っていても。

     大型セダンの運転席から白手袋を着けた黒服が、振り返らずに後部座席へ声を掛ける。
     一人でリアシートに座っていたボブカットの少女が、ムッとした表情を運転手に向けた。
     このは、黒羽くろば文弥ふみやが変装した姿だ。は断じて、彼の趣味ではない。正体を隠す為に有効だと分かっているから大人しくいるが、女の子扱いは文弥ふみやにとって甚だしく不本意だった。
     本当は「お嬢様」呼ばわりも今すぐ止めさせたいのだが、普段から外見に沿った言行をさせないと何処で正体が露見するか分からない。文弥ふみやは不快感を顔に出すだけでストレスを呑み込んだ。
    「なに?」
     女の子としては低めだが、少女のものにしか聞こえない声と口調で文弥ふみやが問い返す。意識しなくても声と動作を外見に合わせられるよう、文弥ふみやは徹底的に訓練されていた。――残念ながら口調や言葉遣いは「女の子らしい喋り方」になっていないから完璧とは言えないが、本物の女子中学生でも女性語を使わないケースは多い。この程度なら許容範囲内だろう。
    達也たつや様がマナースクールを離れたようです」
     黒羽くろば家配下の魔法師は、文弥ふみやの前では達也たつやのことを「様」付けで呼ぶ。そうしないと文弥ふみやが気分を害すると知っているからだ。
     文弥ふみやは肉体に傷を付けず痛みだけを与える魔法を使う。痛みのレベルも自由自在だ。怪我が残らないから八つ当たりを受ける側にとっては余計にたちが悪い。
    「遅かったか……。行き先はフォローしているね?」
    「管制システムの信号はトレースしています」
     達也たつやが乗ったロボットカーは、無線で交通管制システムにコントロールされている。そのIDから現在位置を割り出すことはサービスとして提供されていて、IDを不正に入手するのでない限り違法なハッキングではない。
     達也たつや深雪みゆきの送迎に使っている自動車のIDは非公開設定だが、四葉よつば家内部で情報が共有されていた。電波が妨害されるか、達也たつやの方で位置情報を完全非公開に切り替えない限り、文弥ふみやたちが彼の行方を見失うことはない。
     ただシステムから分かるのは、自動運転用にIDを送信している車の位置だけだ。手動運転で走っている車の有無は分からない。交通管制区域内では、一応、自動運転装置による走行が義務づけられている。しかし手動で走っているからといって、それ以外の交通違反を犯さない限り実際に取り締まられることはない。
     殺し屋の車が達也たつやを尾行していても、今の文弥ふみやたちには知りようがない。街路カメラをハッキングできれば話は別だが、近くにいるなら目に見える距離まで接近する方が手っ取り早かった。
     文弥ふみやがウィッグの髪を揺らして、管制システムから提供されている地図データをのぞき込む。
     達也たつやのセダンはまだ道路上だが、彼らから大して離れていない。システムのコントロールに従って走っているので、スピードも法定速度以下だ。
     手動で走れば、短時間で追いつけるだろう。
    「距離を詰めて。達也たつや兄さんに見つかっても構わないから」
     文弥ふみやの指示に従って、運転手がドライブレバーを大きく前に倒す。
     文弥ふみやの背中がシートに押しつけられ、窓の外を流れる景色が加速した。

    ◇ ◇ ◇

     有希ゆき鰐塚わにづかが追い掛けていたロボットカーは、マナースクールからそれ程離れていないレストランの駐車場に入った。
     関東地方でチェーン展開されているカジュアルレストランで、隣接する駐車場は自走式二階建て。十数台を収容できる空間が確保されている。
     その一階部分に、標的の少年を乗せた車は駐まった。ロボットカーを降りたターゲットが、特に周囲を警戒した風もなくレストランに入店した。
    「ナッツ、どうします?」
     レストランから少し離れた路上にワゴン車を停めて、鰐塚わにづか有希ゆきに訊ねる。
    「店の中は人が多すぎるな……」
     ボックスワゴンの中から店内は見えないが、パーキングに駐まっている車の数から推測して、店内には十人以上の客がいる。
     目撃者暗殺の現場を、多くの人間に目撃されるリスクを冒す。それでは本末転倒だ。
     それに、無関係の者を巻き込むのは気が進まなかった。
     有希ゆきは殺し屋で、彼女が所属している亜貿社あぼうしゃは犯罪結社だ。
     だが亜貿社あぼうしゃは、金さえ貰えれば誰でも殺す、そんな組織ではない。
     政治的殺人業者。「社会正義」に基づき「悪」を社会から排除する。それが有希ゆきの所属する会社の「理念」だった。
     それは多分、金銭のみを目的とした犯罪結社よりもたちが悪い。まだ十代半ばの有希ゆきにも何となく分かっている。
     しかし善良な市民を食い物にする悪党が相手なら、殺しにも余り抵抗を覚えずに済む。そういう側面は確かにあった。この前殺した青年たちも、脱法ドラッグで十代の少女を中毒にして、売春を事実上強制していたクズだ。
     少女に金銭を要求せず、要求させず、「デート」の際に相手の男の方から脱法ドラッグを渡す。しかも「デートをすればドラッグが貰える」とはっきり告げるのではなく、男性を紹介するという手口では、司法も立件が難しい。
     だから、彼女が
     組織の――亜貿社あぼうしゃの仕事はそのようなものであると決められている。
     事実、彼女が消すように命じられたのは、性質は様々なれどクズばかりだった。
     ただ有希ゆきは、その建前を鵜呑みにしているわけではない。どんなにきれい事を言っても自分たちがやっているのは人の道に背く犯罪だし、きれい事だけで組織を維持できるはずがないということも理解できるからだ。
     それに結局――こうして、保身の為に人を殺そうとしている。
     所詮、自分は殺人者。
     所詮、自分は重犯罪者。
     有希ゆきは自分にそう言い聞かせることで、迷いを誤魔化した。
    「駐車場に入ってくれ。二階だ」
    「了解です」
     鰐塚わにづかは理由を訊かず、有希ゆきの指示に従った。
     停車したワゴン車の運転席で、鰐塚わにづかが「次はどうします?」という表情を浮かべて有希ゆきへと振り返る。
    「クロコは中に入って、あいつを見張ってくれ」
    「店を出たら、知らせれば良いんですか?」
    「そうだ。話が早いな」
    「相棒ですから。それで、ナッツはターゲットをここで待ち伏せるんですね?」
    「ああ。状況次第で仕掛ける」
     その時、人目がなければ、この駐車場で片を付ける。有希ゆきはそう決めた。

    ◇ ◇ ◇

    「あの店です」
     黒服に身を包んだ(父親の)部下の言葉を聞くまでもなく、文弥ふみやはフロントシートの背面に取り付けられたディスプレイで達也たつやのロボットカーが駐まっている場所を把握していた。
    「駐車場に入れ」
    「……しかし、手出しを禁じられているのでは?」
     助手席に座っていた別の黒服が注意を促す。
    「接触はしない」
     だが文弥ふみやは制止の声に耳を貸さず、パーキングの一階に駐まった車から降りた。
     そのままレストランに入店する。
     視線が文弥ふみやに集まった。それは、当然だったかもしれない。
     文弥ふみやは今、変装を確実なものとする為にしっかりとメイクしている。悪く言えば厚化粧だ。
     その効果で性別のみならず、年齢も三、四歳上に見えている。
     しかしそれでも女子高校生、精々入学したばかりの女子大学生にしか見えない。
     時刻はまだ午後七時前とはいえ、既に外はすっかり暗い。年頃の少女が一人でカフェレストランに立ち寄る時分ではなくなっている。
     それが文弥ふみやのようななら尚更だ。
     先に入店していたコードネーム「クロコ」こと鰐塚わにづかも例外ではなかった。
     そして達也たつやも、文弥ふみやに目を向けた。
     年頃の少年が美少女を見掛けて、、そうするように。
     達也たつや文弥ふみやに目を向けたのは一瞬のことだった。所謂「チラ見」だ。――あるいは、他人から「チラ見」に動作だ。彼は文弥ふみやが化けた美少女から目を逸らして、テーブルのコーヒーカップに目を向けた。彼の両耳にはイヤホンが埋まっている。聴いている音楽に意識を向け直したような仕草だった。
     達也たつやをこっそり観察していた鰐塚わにづかもそう思った。
     その微妙な視線の動きを、文弥ふみやはテーブル席に腰掛けながらさり気なく観察していた。
    (……あいつか)
     図らずも、文弥ふみやの艶姿には怪しい人間を浮かび上がらせる効果があった。
     美少女に注意を向けない男性という形で。
    (――それにしても見過ぎだろ!)
     文弥ふみやを「チラ見」していない男性は、達也たつやを見張っている鰐塚わにづかだけだった。達也たつやですら、時々文弥ふみやへ目を向けている。
     言うまでもなく、文弥ふみやにとっては不本意な状況だ。しかし、自ら正体をばらすような真似もできない。彼は同性が向ける気持ちの悪い視線――達也たつやの視線を除く――に、澄まし顔で耐えなければならなかった。
     そのまま我慢し続けること二時間。
     文弥ふみやの苦行は、ようやく終わりの時を迎えた。
     達也たつやが席を立つ。
     同時に文弥ふみやが目を付けていた男、鰐塚わにづかがメールを送信するのが見えた。
     文弥ふみやはテーブルの端末で勘定を済ませ、トイレに行くふりをして裏口から店を出た。
     殺し屋の片割れも店員も、誰も、気配を消した文弥ふみやに気付かなかった。

    ◇ ◇ ◇

     相棒の鰐塚わにづかをレストランに送り出してから二時間。有希ゆきはワゴン車の後部座席に、息を潜めて隠れていた。――いや、正確に言えば音を立てないようにイチゴ味のマカロンをかじりながら隠れていた。
     外から見えないように、運転席と助手席以外の窓は不透過モードにしてある。走行中に許されるのは半透過モードまでだが、パーキングに駐まっている状態ならば見咎められることはない。
     ただレストランの駐車場で車の中にこもっている姿を見られれば、不審感を懐かれるに違いない。相手次第では通報される可能性もある。通行人にも店の者にも、気付かれないに越したことはなかった。
     有希ゆきは女性としても小柄で、ボックスワゴンはクーペやセダンに比べ中が広々としている。車の中にいて狭苦しく感じることはなかったが、予想以上に待たされていることには苛立ちと不安を覚えていた。彼女がイチゴクリームを挟んだマカロンを口にしているのは、本人曰く糖分で精神状態が不安定化するのを防止する為だ。――多分、言い訳に過ぎないが。
     そこへようやく、合図のメールが入る。
     有希ゆきは口の中のマカロンを呑み込んで、素早くワゴン車を出た。
     二階部分の床は鋼板製だが、彼女は音を立てなかった。猫の如く静かに、階段へ駆け寄る。
     そのまま足音を忍ばせて一階へ降りた。
     柱の陰に身を寄せた直後、ターゲットの少年が駐車場に姿を見せる。
     少年は真っ直ぐ自分のロボットカーへ向かっている。
     ――気付かれていない。
     有希ゆきはそう思った。
     彼女は首に巻いたスカーフを目のすぐ下まで上げ、野球帽を目深に被り直して人相を隠した。
     自分の異能に意識を向け、身体能力を引き上げる。
     ――足音を殺して柱の陰から飛び出し、三歩目で踏み切る。
     ――天井にぶつからないよう低く跳び、空中でナイフを振り下ろす。
     頭の中でシミュレーションしたイメージのまま、ナイフを逆手に構え、有希ゆきは最初の一歩を踏み出した。
     その時、
     少年が、振り向いた。
     強い眼光が、有希ゆきの目を射貫く。
     彼女は思わず立ち竦んでしまった。
    「キャアァーッ!」
     闇を引き裂く、悲鳴。
     それは無論、有希ゆきの喉から迸ったものではない。
     有希ゆきが思わず振り返る。
     膝丈のワンピースを着た小柄な人影。
     逆光で顔は見えないが、髪型や服のシルエットから判断して女子中高生か。
     悲鳴を上げたのは、有希ゆきが手にするナイフを見たからに違いない。
     有希ゆきはターゲットに対する攻撃を断念し、強化した脚力をフル回転させてその場を離れた。