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NOVELS書き下ろし小説
- 魔法科高校の劣等生司波達也暗殺計画
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リッパーvs石化の魔女
[2]『暗躍』
十月七日、日曜日。時刻は既に正午を過ぎているが、有希は自宅マンションのダイニングでだらだらしていた。
「有希さん! お仕事しなくて良いんですか?」
エプロンを着けフライパン返しを右手に持った奈穂が、咎める口調で有希に話し掛ける。
「的の情報が集まらなければ、計画も立てられないだろ」
有希はテーブルに頬を付けたまま、頭上の虫を追い払うような手付きでひらひらと手を振りながら、やる気の無い声で答えた。
「ターゲットの情報が必要なんだったら、ご自分で偵察に行けば良いんじゃないんですか?」
「情報収集はクロコの仕事だ。餅は餅屋って言うだろ? あたしが的の周りをうろうろしたって、ろくな情報は手に入らねえよ」
「家でだらだらしているより有意義だと思いますけど」
「顔を覚えられでもしたら、逆効果じゃないか」
あくまでもダイニングテーブルの前を動こうとしない有希に、奈穂は「やれやれ」とばかり肩を竦めてキッチンに戻った。
「奈穂、メシはまだかぁ?」
その背中を、有希のお気楽な声が追い掛ける。
「もう少し待ってください!」
答える奈穂の口調には苛立ちが混入していた。
だが彼女の前には、既に盛り付けが終わった二人分のお皿が並んでいた。◇ ◇ ◇
気が抜けているように見える暗殺者側に対して、狙われている側の行動には緊張感がうかがわれた。ターゲットの一人、石猪少尉はK市と副都心の中間の街で商談の待ち合わせをしている所だった。
個室ではなく敢えて普通の喫茶店でコーヒーをお代わりしながら待つこと二十分、彼は二十歳過ぎの若い女性が自分の席に近づいているのに気付いて顔を上げた。
「お待たせしました。イシイさんですよね?」
彼女はあらかじめ伝えておいた石猪の服装をチェックしながら、彼に訊ねた。
目印にと教えられた真っ赤なメタルフレームのサングラスを掛けているから彼女が商談の相手であることは間違いないだろう。
ただ、都心のショッピング街が似合いそうな垢抜けたファッションとすらりとしたスタイルが、業界に対して石猪が懐いていたイメージに反していた。
「貴女が『アニー』?」
「はい。私が『アニー』です。あいにくと名刺は作っておりませんが」
その女は、冗談のような口調で石猪の問い掛けに答えた。
「信じられませんか?」
「あっ、いえ……予想と違っていたものですから」
若い女――『アニー』の反問に、石猪は慌てて首を横に振った。
「イメージじゃないとよく言われます」
アニーがサングラスをずらしてクスッと笑う。若い娘の華やかな笑みに、石猪は別の意味で緊張を覚えた。素顔はともかく、メイクした彼女は十人中八人が認めるであろう美女だった。
「そろそろ、お話しをうかがってもよろしいですか?」
サングラスを掛け直し石猪の向かい側に腰を下ろしたアニーが、小声で問い掛ける。
石猪は意識を引き締め雑念を振り払って「ええ」と頷いた。
「私を呼ばれたということは、そういうご依頼だということで間違いございませんね?」
アニーの質問を、石猪は首を縦に振って肯定する。
「具体的に、ヘッドハンティングしたい相手は誰ですか?」
アニーが口にした「ヘッドハンティング」は、言うまでもなく一般的な意味ではない。
他の客の耳を気にした隠語だ。「外部人材のスカウト」のことではなく、「ヘッド」=「頭」を「ハンティング」=「狩る」、「ヘッドハンティング」で「頭を狩る」、つまり「殺す」という意味で使っている。
「国立魔法大学付属第一高校二年生、司波達也」
「高校生ですか!?」
石猪の回答に、アニーが驚きの声を上げる。彼女の口調や表情は、わざとらしくはなかったが、少々大袈裟だった。
「できないのかね?」
「いえ、その様なことは」
驚いたのが本気にせよ演技にせよ、石猪の探るような問い掛けにアニーはすぐさま頭を振った。
「では、最後に一つ確認です。仲介業者からもご説明したと思いますが、国防軍関係者に対するヘッドハンティングはお引き受けできません。ターゲットは軍の関係者に該当しませんね?」
「もちろんだ。該当しない」
アニーの質問に、石猪は即答で「否」を返した。
「結構です。では前金で半額を仲介業者にお支払いください。入金を確認次第、仕事に取り掛かります」
アニーはそう言って、石猪にニコッと笑い掛けた。
「よろしく頼む」
石猪はそう言って、そそくさと席を立った。◇ ◇ ◇
その夜、石猪は多中のマンションを訪れていた。
リビングのソファに座る多中の背後には、仲間杏奈一等兵が控えていた。
杏奈は二十一歳になったばかり。容姿も悪くない。マインドコントロールされているので、大抵の命令には逆らわないだろう。
だが石猪は、上官が色っぽい目的で彼女を側に置いているのではないと知っていた。
「座れ、少尉」
「ハッ、失礼します」
気安い態度で着座を勧める多中の言葉に、石猪は無用な遠慮をしなかった。
多中の正面に腰を下ろした石猪の前に、杏奈がグラスを置く。グラスの中身は多中が呑んでいるのと同じウイスキーの水割りだった。
「頂戴します」
石猪がグラスに口を付ける。これは、喉が渇いていたからではなく、多中に対して逆心を懐いていないことを示すセレモニーだった。上官の猜疑心の強さを、石猪は良く心得ていた。
案の定、出された飲み物を躊躇無く口にした部下を見て、多中少佐が纏う空気は少し和らいだ。
「首尾を聞こう」
「ハッ。予定どおり本日一三三〇、情報屋が斡旋したスナイパーに接触し暗殺を依頼。応諾を得ました」
「信頼できるのか?」
「正直な印象を申し上げますと、余り頼りになるようには見えませんでした。二十歳過ぎの若い女でしたし……。ただ彼女の指には豊富な射撃経験を示す明確な痕跡がありました。また、仲介に使った情報屋は過去に何度も取引の実績がある相手です。技術的には信頼しても良いと判断しました」
「重要なのは腕ではないぞ」
「プロフェッショナルとしての信頼性ですね」
どんな業界にも言えることだが、取引は信用第一だ。特に非合法分野は司法の保護を受けられない分、信用が余計に重視される。
「そちらも問題無いと思われます。本日会った相手は隠しておりましたが、暗殺結社『亜貿社』所属のスナイパーであると調べはついております。『亜貿社』は主に政治的暗殺の分野で十分な実績を持つ結社です」
「『亜貿社』の名は私も耳にしたことがある」
石猪の説明に、多中が初めて満足げな表情を見せる。
「それならば、暗殺の成否は別にして、背信を警戒する必要はあるまい。石猪、ご苦労だったな」
多中少佐の心情は、話している相手に対する呼び掛けが「少尉」から「石猪」に変わったことからもうかがわれる。
「恐縮です」
それを敏感に察した石猪の顔にも、ホッとした表情が浮かんだ。◇ ◇ ◇
鰐塚が有希のマンションを訪れたのは、火曜日の夜のことだった。
三日ぶりに顔を見せた相棒に、有希は早速質問を浴びせた。
「どうだった? 調べは付いたか?」
「的の行動パターンは大体分かりましたが……、難しいですね」
「難しいのか?」
顔を顰めて鸚鵡返しに訊ねた有希に、鰐塚は同じような表情で頷いた。
「石猪少尉の方はまだ、付け入る隙があります。ですが、多中少佐の方は先日の米津以上に厄介です」
「予想はしていたが、あれ以上かよ……」
有希が天井を仰いでぼやく。
鰐塚は気休めを口にしなかった。
「とにかく、監視がきついですね。張り付いている監視の目をかいくぐるのが難しい上に、専属の護衛と思われる者がついています」
「護衛? 手強そうか?」
「ナッツと同じくらいの年頃の女性ですが、間違いなく軍人です。そしておそらく魔法師でしょう」
「軍人で魔法師か……。手練れなんだろうな」
「おそらく」
有希と鰐塚の口から、同時にため息が漏れる。気を取り直したのは、鰐塚が先だった。
「遠距離からの狙撃か、さもなくば一か八かの強襲しか手は無いと思います」
「リスク度外視の突撃は論外だ。そうなると、奈穂の魔法頼りか……」
有希が渋い声で呟く。
「いえ、シェルの魔法では距離が足りません。少なくとも三百メートルは欲しいですね」
しかしそれさえも鰐塚は否定した。
「あたしたちだけでは手詰まりってことか?」
「ええ、残念ながら」
有希と鰐塚は顔を見合わせて、再び、深々とため息を吐いた。
そんな二人の前に、奈穂が二人分のコーヒーカップを置く。
「でしたら、亜貿社からスナイパーを派遣してもらえば良いのでは? 今回の案件は有希さんだけでなく会社にも依頼すると文弥さまは仰っていましたよ?」
奈穂のアドバイスは、間違っていない。文弥は確かにそう言ったし、有希だけでなく亜貿社にも発注したのは、有希たちだけでは対応できない――力量が及ばないのではなく得意分野の問題で――可能性を考えてのことだったはずだ。
しかし、奈穂の助言を聞いて有希は暗い表情のまま頭を振った。
「それは社長が決めることだ。あたしが口出しできる筋合いじゃねえよ」
奈穂の言葉は確かに正しい。だが文弥が亜貿社に出した依頼――という態の命令――は、文弥と社長の間で決まったことであって、有希が言うとおり、彼女に口出しが許されるものではなかった。
「クロコ。多中が無理なら、石猪だけでも片付けるぞ」
気まずげに口をつぐんだ奈穂を放置して――奈穂にとってもその方がありがたかった――有希は自らを鼓舞する口調で鰐塚にそう告げた。
「そうですね。石猪少尉に対する監視体制は、多中少佐はもとより米津大尉に対するものに比べても緩やかです。階級が重要度に比例しているのでしょうね」
「つまり、それだけチャンスが多いってことだな?」
「先日の日曜日も、監視の目を振り切って若い女と会っていました。おそらく、あの人の暗殺を依頼していたのでしょう。暗殺が上手くいかなければ、新たな同業者と接触を試みると思われます」
「あの人の暗殺が上手くいくはずはない。次に殺し屋とコンタクトする時がチャンスか」
「殺し屋の斡旋依頼にアンテナを張っておきます。石猪少尉からの依頼が引っ掛かったら、上手く誘導しておきますよ」
「ああ、頼んだぜ。平日は軍務があるだろうから、最短でも次の日曜日か」
「そうなりますね。それまで、十分に鋭気を養っておいてください」
「ちょっと待ってください」
考えが足りなかった口出しを反省して黙っていた奈穂が、ここで口を挿んだ。
「文弥さまから処理を命じられたのは多中少佐と石猪少尉の二人だけではなかったはずです。ナオミ・サミュエルというアメリカ人の処分も命じられていたのでは?」
そちらは放置するのですか? と奈穂はセリフの後に視線による問い掛けを付け加えた。
「ああ、そうだったな」
有希は面倒くさそうに答えたが、これは多分に、焦りを隠す為の虚勢だ。彼女は国防軍の二人に気を取られて、もう一人のターゲットをうっかり失念していたのだ。
「クロコ、そっちの調べは付いてるか?」
「いえ、まだです。多中と石猪に関する調査を優先しましたで」
「まだ依頼を受けて三日だからな……。じゃあ、石猪を殺る仕込みの合間で良いから、そっちも調べておいてくれ。居場所さえ分かれば、あたしの方でも探ってみる」
有希がこんなことを言い出したのは、奈穂の疑わしげな眼差しが気になったからに違いなかった……。◇ ◇ ◇
その頃、USNAの新興軍需企業『サムウェイナームズ』のエージェント、ナオミ・サミュエルは本国からの催促メールに眉を顰めていた。
彼女がいるのはサムウェイナームズの日本駐在員事務所だ。この会社は日本に支店、支社を持たない。そもそも、サムウェイナームズに日本で商売するつもりは無かった。――怪しまれないよう、国防軍に対する売り込みだけはしているが。
サムウェイナームズは元々狩猟銃のメーカーで、顧客は主に民間人だった。軍の武器・装備品に参入したのはここ十年のことだ。年々厳しくなる民間の銃規制に、活路を軍用兵器に求めたのだった。
彼らが社運をかけて開発した新製品が「歩兵用高機動装甲服」。超小型ジェットエンジンを内蔵したパワードスーツだ。
しかし、彼らの前に予想外の大きな障碍が立ち塞がる。日本のFLTが開発した飛行デバイスだ。連邦軍はFLTから大量の飛行デバイスを購入し、それを使って魔法師用飛行装甲服『スラストスーツ』を開発した。
サムウェイナームズのパワードスーツには魔法師でなくても使えるというメリットがあるものの、それは決め手ならず、連邦軍の興味は『スラストスーツ』そして『飛行デバイス』に向いている。
日本駐在員事務所は、この難局を打開する為、FLTの弱点を探り可能であれば対米輸出を妨害する目的で設立された物だった。
サムウェイナームズの正式名称はサミュエル=ウェイン=アームズ。ナオミ・サミュエルはサムウェイナームズのオーナーの姪だ。オーナー一族を送り込む程、サムウェイナームズは対FLT工作を重視しているのだった。
実のところ、ナオミが『七賢人』から入手した情報は「摩醯首羅」=「司波達也」ではなかった。彼女たちが入手した根拠の無い情報は、「トーラス・シルバー」=「司波達也」だったのだ。司波達也こそ「摩醯首羅」の正体だ、というのは嘘から出た真、ただのまぐれ当たりでしかない。
ナオミは――サムウェイナームズは、飛行デバイス開発のキーマンである「トーラス・シルバー」を暗殺することで、FLTの開発能力を殺ごうと企んだのである。
『計画は順調に進行中』
ナオミは本国からの電子メールに、そう返事を送った。