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NOVELS書き下ろし小説
- 魔法科高校の劣等生司波達也暗殺計画
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夜の帳に闇は閃く
【プロローグ】
二〇九八年も残すところ二ヶ月足らず。受験生にとってはラストスパートの時期だ。合格間違い無しのお墨付きをもらっている生徒も、それで気を抜いたりはしない。高みの見物が許されるのは、推薦で入学が決まっている者たちだけだ。
黒羽 亜夜子 ・文弥 の姉弟も、未だ見物の高台に登れない受験生だった。しかし魔法大学への推薦入学枠は各魔法科高校ごとに十人。三年生の生徒数が百人を切っている第四高校ならば、上位一割に入れば推薦が取れて受験戦争からは不戦勝で勝ち抜けができるはずだ。この二人が推薦をもらえなかったというのは、不思議を通り越して不審にも思われる。
これには第四高校の他校とは異なる事情があった。伝統と言っても良いかもしれない。
第四高校は設立当初から魔法工学に力を入れてきた。実技面も戦闘向きの魔法より、技術的な意義の高い複雑で工程の多い魔法を重視している。推薦者の選定においてもこの傾向が当てはまる。
他校との最大の違いは記述テストの成績の比重が高いという点だ。他の魔法科高校は実技の評価割合が露骨に高い。例えば一高は魔法科と二〇九六年度に新設された魔工科に分かれているが、生徒の八割超が所属している魔法科の場合、定期試験の点数配分は記述テストが五科目で合計五百点、実技テストが四科目で千二百点。実技の配点は記述の倍以上だ。
しかし「魔法は理論」「魔法は学問」というスローガンを掲げている四高の場合、記述と実技の配点はフィフティ・フィフティ。推薦者の選定においてはむしろ記述テストの結果が重視される。
亜夜子 と文弥 が推薦を取れなかったのは、このような事情によるものだった。もっとも推薦がもらえなかったからといって、二人は全く焦っていない。二人とも最初から推薦希望を出していなかったし、実技重視の魔法大学入学試験には楽勝で合格する自信があるからだ。
だから二人がこのところピリピリしているのは、受験が原因ではなかった。
亜夜子 と文弥 は現在二人暮らし。豊橋市の実家を離れて、四高がある浜松市にアパートを借りている。二人は今、協力して夕食の準備を終わらせたところだった。
「――姉さん、聞いた?」
テーブルに着いた文弥 は、食事を始めてすぐのタイミングで同じテーブルを囲む亜夜子 にそう問い掛けた。
「ロシア人のマフィアのこと?」
マフィアという言葉は本来イタリアのシチリア島を起源とする犯罪組織のことだが「チャイニーズマフィア」「ロシアンマフィア」など、今では組織犯罪集団の一般名詞のように使われている。
「連中、また密入国したって」
亜夜子 の反問に、文弥 は頷く代わりにそう答えた。
「ええ、涼 に聞いたわ。文弥 は誰から聞いたの?」
「僕は黒川 に聞いた」
黒川 というのは文弥 の側近の黒川 白羽 。元々は文弥 のガーディアン候補だった手練れの「忍術使い」だ。嘘か真か、甲賀二十一家・黒川 家の末裔を名乗っている。
この「忍術使い」の名称は特徴的な身体技能と諜報技術を持つ「忍者」の中で、古式魔法「忍術」の遣い手に与えられる名称。つまり「忍術使い」は古式魔法師だ。
一方、亜夜子 の発言に登場した『涼 』は、彼女の側近を務める女性の名だ。フルネームは伴野 涼 。彼女も黒川 同様「忍術使い」。そして涼 の場合は甲賀二十一家・伴家の傍流を名乗っている。黒川 が三十過ぎの男性であるのに対して、涼 は二十代前半の若い女性だった。
「マフィアの相手は私たちの仕事じゃないけれど……一体何をするつもりなのかしら」
亜夜子 が独り言のように呟き、それを聞いた文弥 が口惜しげに顔を顰める。
ロシアから職業犯罪者が密入国――正確には偽装入国したのは、文弥 たちが知るだけで九回目だ。実際にはもっと多いだろう。亜夜子 が口にしたように、マフィアの監視は黒羽 家のミッションではない。九回というのは敵対的な魔法師の流入を洗い出す過程で、偶々発見した回数でしかない。
ただ余りに頻繁で人数も無視できない規模になっているので、手が空いている人員を使って目的を調査させていた。しかしまだ成果は上がっていない。調べ始めてから一ヶ月未満だが、黒羽 家の感覚で言えば何週間も 経っているのに、敵 の狙いが掴めていないのだ。文弥 が苛立つのも無理のないことだった。双子の弟ほどではないが、亜夜子 も現状には不満を覚えている。
「今のところ、広域暴力団の下部組織乗っ取りを進めているみたいだけど……それが最終目的とは思えない」
「そうね。でも私たちの印象だけで、これ以上人員を張り付けておくことはできないわよ」
苛立ちを隠せない声で言う文弥 に、亜夜子 はため息交じりの口調で応える。黒羽 家は新発田家と並び四葉一族の中で多くの配下を抱える分家だが、それでも人繰りに余裕があるわけではない。
黒羽 家の、四葉一族の要求水準を満たせる人材はそもそも希少なのだ。良く言えば少数精鋭だが、裏を返せば育成が追い付いていない。人員の割り当てに優先順位を付けなければならないのは四葉一族も世間の事業体と同様だ。
「残念だけど、この件は当面、当局にお任せするしかないわ」
言い聞かせるように――文弥 に対してだけでなく自分にも――言う亜夜子 に、文弥 は「当てになるの?」という目を向ける。
それでも文弥 は、亜夜子 の判断に異議を唱えなかった。◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
西暦二〇九七年八月四日、世界に衝撃が走った。
その日、一人の 魔法師が世界を震撼させたのだ。
その魔法師は個人で大国の軍事力に対抗しうる実力を実際に示して見せた後、衛星インターネット回線を使って全世界にメッセージを送った。
『――ここに宣言する。私は魔法師とも、そうでない者とも平和的な共存を望んでいる。だが自衛の為に武力行使が必要な時は、決して躊躇わない』
世界には、その言葉を荒唐無稽と笑い飛ばした者もいた。だが事実を知っている者は彼が実際に一人で国家と戦い、勝利できることを知っていた。
あらゆる国で情報操作が行われた。専制国家では徹底した隠蔽、民主国家では戦果の矮小化。敵を取るに足らない存在と印象づけることで、「彼」の力も大した脅威ではないと思わせようとした。
しかし。
情報を操作したその当人たちは。情報操作に関わった者とそれを命じた上層部は。財力や暴力によって国家の上層部に食い込んだ陰の権力者たちは。
恐怖から逃れることが、できなかった。
ただ一人の魔法師に、国家を動かしている者たちが恐怖する空前絶後の事件。
この事件は「彼」の名前から『シバ・ショック』と呼ばれることもあった。◇ ◇ ◇
かつてヨーロッパは貧しかった。古代の文明を失い、社会は停滞していた。アジアの方が余程豊かで、文明も進み、軍事力も上回っていた。だがある時代を境にして、その力関係は急速に逆転していった。
ヨーロッパの諸国は取り憑かれたように世界侵略――彼らの理屈では世界進出、あるいは教化――に乗り出した。アメリカ大陸へ、アフリカ大陸へ、そしてアジアへ。利に聡い商人はこの大事業に資金を投下するだけでなく、時に人員や傭兵も投入した。
彼らは決して矢面に立つことなく、国家の陰に隠れた。
侵略の熱が冷めた頃――あるいは侵略する土地が枯渇した頃――には、彼らは国家の陰に隠れるだけでなく、社会の陰に隠れた。
彼らは世界各地に浸透して得た利権を守る為、社会の裏側で協力組織を構築した。
彼らは自分たちの組織を、単に『組合』――『ギルド』と呼んだ。西暦二〇九七年八月後半のある日、ギルドは緊急で最高幹部会議を開いた。
集まった最高幹部たちは強大な権勢を誇る「陰の支配者」には相応しくもなく、動揺し、狼狽し、虚勢を張って隠そうとしていたが明らかに、怯えていた。
議題となるのは突如出現した巨大なポリティカルパワー。世界の権力構造を単独でひっくり返しかねないジョーカー。社会に寄生することでしか力を得られない彼らとは全く異質な、本物の「力」。
三十年前は四葉一族が世界を震撼させた。わずか数十人で一国を――それも小国ではなく、東亜大陸の南半分を支配していた国を崩壊へ導いた彼らは「触れてはならない者たち 」と恐れられた。
だが逆に言えば、彼らは触れさえしなければ害は無く、表舞台にも出てこないと考えられてきた。だが「彼」は、「表」に出てきた。
自分たちにその気はなくても、一体何時、何が「彼」の逆鱗に触れるか分からない。
結論は最初から決まっていた。
「彼」は排除しなければならない。
軍事力――「表」の暴力で排除できないのであれば「裏」の暴力で抹殺しなければならない。 幸いギルドは「裏」の方が本領だ。
幹部会はギルドの持つ「裏」の暴力を動かすことに決めた。
その力を以て「彼」、司波 達也 を排除=暗殺すると決定した。この決定により実際に動員されることになったのは、ギルドの主要な実行部隊の一つ『マフィア・ブラトヴァ』だった。この組織はシシリアンマフィアとロシアンマフィアを母体とする連合体だ。その配下には「ヤクザ」も含まれていた。「ヤクザ」は「黒社会」、つまりチャイニーズマフィアに対抗する為、ギルドの援助を受け容れたのだ。
大亜連合を退けたことにより、チャイニーズマフィアの勢力は衰えた。『無頭竜 』を始めとして日本から撤退する組織も続出した。ヤクザと手を結び、一部を支配しているマフィア・ブラトヴァがミッションを遂行するには都合の良い状況になっていた。
ただ、相手が相手だ。ギルドは、マフィア・ブラトヴァは準備に一年半を掛けた。手駒となるヤクザを密かに、積極的に増やしていった。
かくして二〇九九年、マフィア・ブラトヴァによる司波 達也 暗殺作戦 が開始されることとなった。◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二〇九九年三月上旬。
黒羽 家の姉弟は自宅のIT(Information Terminal:情報端末)で魔法大学合格を確認して、仲良く笑みを浮かべた。
魔法大学の入学試験は東京を含めた全国九箇所で行われる。首都圏在住の受験生とその他の受験生の間で有利不利が生じないようにする為だ。試験は予備試験、学科試験、実技試験の三日。国立魔法大学付属高校の生徒で魔法大学受験資格を与えられている受験生は予備試験を免除される。
また試験は、魔法実技を審査する関係で国防軍の施設を借りて行われる。大学の試験といえど、受験生が魔法を合法的に行使できる適当な民間施設がないからだ。これには反魔法主義マスコミも代替案を提示できず、文句を付けられずにいる。
まあ、これは余談だ。
二人にとって魔法大学合格は、予定ではなく既定だった。大学入学後の生活基盤も既に整え終えている。今日すぐにでも上京して暮らし始められる状態だ。亜夜子 も文弥 も、地元への愛着がゼロではないが、新生活を待ち望んでいた。
そう。大学合格それ自体ではなく、入学後の新生活への期待が二人の笑顔の理由だった。
若者が持つありがちな、大都会への憧れではない。
東京には「彼」がいる。
二人の望みは「彼」の力になること。
「彼」の力は強大だ。おそらく正面から戦って「彼」に勝てる者は、現在の世界には存在しないだろう。だからこそ側面から、背面から、裏から「彼」を排除しようとする者が大勢いるに違いない。
「裏」は二人の――黒羽 家の得意分野だ。きっとこれから、「彼」の役に立てる局面が出てくるはずだ。
ただその為には、なるべく「彼」の近くにいる方が良い。どんなに情報技術が発展しても、側にいなければ分からないことがある。
これからはもっと「彼」の役に立てる。
その予感で、二人の唇は綻んでいるのだった。